専業主婦という生き物

〜フランキーの日常茶飯〜

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専業主婦が『専業主婦』を客観視してみたところ、これはやっぱりお気楽に見えるなと思った件。

昨年は20年ぶりに専業主婦を脱し、少しだけお仕事なんてものをしてみたのですが、大層な社会勉強となりました。

いいこと、悪いこと色々ありましたが、新しい経験を重ねることができたのはまったくめでたいことと感じております。

そんな専業主婦ですが、忙しくお仕事をしている最中にも、専業主婦友達からは毎日のように写メ付きLINEが入ってきていました。
それは少し気を抜くと50件にも膨れ上がるほどの頻度で。。。

内容は他愛もないことです。

今日はどこどこでランチをして、こんなもの食べたわ!今度一緒に行きましょう!

今日は美容デーで、まつ毛のエクステとジェットセット行ってきましたー!

今日はこんな美味しいお菓子を見つけたから、今度お裾分けするわね!

新しいコートとバッグ買ったの!どう思う⁉︎

そんな実況が写真と共に送られてくるのです。

「まったく子供の大きくなった専業主婦は暇だわ!」

「こっちは労働してるっていうのに、まったくお気楽なものね!」

昼休みに手弁当なんぞを食べながら、普段自分が言われてきたその言葉が、そのまんま私の脳裏に浮かび上がり、「あら?」と思ったことも一度や二度ではありませんでした。

「おお!これが世の中のアンチ専業主婦への気持ちなのだわ!」

そう、初めて実感することができたというわけです。



前記したように、本当に専業主婦とは暇なものです。
小さなお子様がいる方々は別として、子供が大きくなり、1日の殆どの時間を学校で過ごすようになれば、専業主婦はその間自由になれます。

もちろん家事をしっかりやろうと思えば、それなりに時間や手間もかかりますが、その塩梅は自分次第です。
今日はお友達とランチでもしながらゆっくりしよう!
今日はじっくりとショッピングでもしようかしら?
みたい映画があるから、サクッと観てこよう!
などなど、自由気ままに過ごせるのです。

これが仕事をもつ兼業主婦ともなれば、そうはいきません。
朝から夕方まで会社に拘束され、時間的な余裕はほとんどありません。問題は時間だけではありません。闇雲に時間を消費しているのではなく、会社にいる間はガッツリと仕事をしているので、その分気力、体力共に消耗します。文字通り心も体も疲れきった状態となるのです。
休みの日でも普段の家事の遅れを取り戻すべく朝から動き回ると、もうあとはゆっくりと体を休めたい。。。と、そんな心境になり、食事やショッピング、映画どころではありません。

そんな時、ふと好きなことを自由にやっている専業主婦が羨ましくなってきたりもします。 自分が好きで仕事をしているにもかかわらずです。

専業主婦でいる時は、それが一番!と思っていましたが、仕事をしたらしたで、これまた悪くないかも?などと思ったこともありました。
一番の理由は家事を完璧にしなくても許されるという点です。
専業主婦というのは、家事育児が仕事のようなものです。家が綺麗であって当然。手の込んだ料理が毎日食卓に用意されて当然。服もシーツもタオルも完璧にお洗濯されていて当然。
自分のコンディションがどうであろうと、家庭がしっかりと整っていなければ、専業主婦を全うしていることにはなりません(と、私は思っていました)。
しかし、ここに仕事が加わることで、そんな呪縛からすっかり解き放たれることができるのです。
仕事で時間もないし、疲れてるしねと、自分への言い訳もできますし、家族も「大変だね」と理解を示し、お手伝いしてくれたりするのです。
我が家の外国人夫などは、「あなたがこんなに働ける人だとは思いませんでした!すごいです!」
そう言って、休みの日や早く帰った日などは、晩御飯の支度などをしてくれました。
子供達も私が帰ると「お疲れ様でした」と、温かいコーヒーなどを淹れてくれたり、お風呂の用意を整えていてくれたりと、まさに至れり尽くせりです。
この時、何故我が家の外国人夫が私が専業主婦でいることを望んでいたのかが分かる気がしました。
だって、帰ったら何にもしなくていいのですよ⁉︎
用意されている温かい食事を食べて、キレイなお風呂にゆっくりと浸かり、明日も早いからとさっさと寝てしまえるのですもの!
外で働いてまで、家に帰ってきてさらに家事分担などしたくはありません。
私が男であったら、やっぱり妻には専業主婦を求めるだろうなと思ったのが正直なところです。

しかしながら現実的に考えれば、基本夫の稼ぎで生計を立てている家庭では、妻が仕事をしていても、上げ膳据え膳には当然なりません。
私も夫が忙しい時は、当然帰宅してから山ほどの家事に追われていました。
そんな日々に疲れてくると、やっぱり私に二足の草鞋を履くことは不可能だわ!専業主婦が一番性に合ってるんだわ!という結論になり、周りの専業主婦友達が途端に羨ましくなったりするのです。

この歳になって、両方を経験できたのはラッキーでした。
本来なら一生専業主婦として生きていたはずが、思いがけずお仕事などする機会を得て、兼業主婦の大変さを身をもって経験することがてきたのですから。

分かったことは、世間一般で言われているように、やっぱり専業主婦ってお気楽な生き物なんだわ!ということ。
そして、大変な思いをして仕事と家事、育児に奔走している方からすると、時に羨ましい存在なのだということです。

喉元過ぎれば熱さ忘れるで、完全に専業主婦に戻り、またしばらくすると隣の芝生が青々と見えてくることがあるかもしれませんが、私にとってはやっぱり専業主婦としての生活が一番なようです。

ところで貰ったお給料ですが、そのまま手付かずで口座に入っています。
なにか頑張ったご褒美に買おうかな〜などと思っていましたが、特に欲しいものも浮かばずで、未だに遣えていません。
宵越しの金は持たない専業主婦なので、そのうち大放出してしまうでしょうがね。

『専業主婦という生き物』などというタイトルを掲げながらも、実のところそれを客観視出来ていなかったわけですが、この新たな経験により、さらに学びがあったことは、このブログを運営する上でも大きな収穫でした!

「陰徳」というもの。目には見えない人の心ほど尊いと思ったお話。

「陰徳」とは、人に知られないように、陰でそっとする善行のことです。


普段、あまり親切でないと思っていた人が、実は陰ながら自分に対して思いやりのある行動を取ってくれていた。。。

ストレートな性格ゆえ、「なんでも口に出してくれなければわからないわ!」と、いつもそんなことばかり言っていた私。
「陰徳」というものなど、滅多にお目にかかれるわけはないと思っていました。
ましてや普段、あまり自分に対して感じがいい人でない場合は尚更、親切など期待しないものです。



「陰徳」というだけに、まさに陰で行われていることなので、気づかなくて当たり前と言えば当たり前(?)と思わないでもありません。
殆どが第三者から「実は、あの人がこんな事をしてくれていたんだよ」と聞き及んで、初めて気づくと言った感じではないかと思うのです。
私は人からなんだかんだと世話を焼いてもらったり、親切にしてもらうことが多いので、なおさら陰でして頂いている事に気付きにくいのかもしれません。

しかし、誰かに教えてもらったりしなくても、何かの偶然で「ああ。。。自分のために、そっとこんな事をしてくれていたのかぁ。。。」と、気づく瞬間があることを、最近初めて知りました。
それは周りにことさら注意を払うようになったとか、気を配るようにしたとかではなく、まさにふとした時に自分の中に答えが降りてきたような、いわゆる「感」のようなものからでした。

例えば必要なものがなくて困っている時、さっきまでなかったものがふと見ると用意されていたり、大変なことは回避できるように手を打っておいてくれたり、何かにつけて私が大変な思いをしないための環境を作ってくれていたり(今にして思えばですが)。
そんなことが起こると、最初は「何故かしら?」と思いながらも、
「あ〜ら、ラッキー!困ってたから助かったわ」
と、それがただの偶然であるかのように、能天気な私などはまったく気にも留めていなかったのです。しかもそんなことが度重なっても、鈍感ゆえ「あれ?」「こんな都合のいいことって、重なるものかしら?」と思いながらも、それ以上考えることはしませんでした。
それが、ふとした瞬間に「まさか?」と閃いたのです。
よくよくその時々の情景を思い出してみると、目から鱗が落ちるように「ああ!」と、合点がいったのでした。

考えてみれば、あの時も、あの時も、いつも同じ人がすっと動き、その直後に私に都合のいいことが起こっている。。。
それに気づいた瞬間、ひどく心に沁み入るものがありました。「わー!」っと大袈裟に感動するというよりは、シンシンと温かい喜びが積もってくるといったイメージです。
そしてあれこれと考えました。
自分が窮地を救われた時に、それがさも運が良かったからの結果だと思っていた自分の傲慢さを恥じてみたり、決して言葉にはせず、気づいてくれなくても、なにかを誰かのためにしてあげたい。大袈裟にいえば、人の幸せを祈るような、そんなピュアな心とはどのように育まれるものなのかなど。
自分には真似のできない「陰徳」というものを受け取って、初めてその尊さを実感したというわけです。
言うは易しで人に施すことは簡単なようで難しいものです。しかもなんの見返りも期待せずに、ただ陰で尽力するなどというのは、なかなか真似のできることではありません。

「どうして言ってくれないの? やってくれたのなら、そう口に出してくれなきゃわからないわ!」と、そんなことばかり思ってしまう私は、人間として未熟だったようです。

生粋の日本人だけれど、人生の半分を外国人夫やそのコミュニティーの中で過ごしてきたせいか、何に対してもストレートに表現することがいつのまにか当たり前になっていました。
自己主張して当たり前、そうでなければ全てはなかったも同然とばかりに、いつの間にか人が語る、また目に見える心にしか目を向けないようになっていました。
しかし、人の親切心というのは、決して見た目だけではないのですね。
一見あまり親切ではない人に対しては苦手な人だわ。。。あまり好きではないわ。。。などと思ってしまいがちですが、人の心の中ほどわからないものはないということです。

こんな話を外国人夫にしてみたところ「やりたくて勝手にやってるんだからいいんじゃない?」と、感動すらない様子。。。
「陰徳」という言葉の持つ尊さは、やはり外国人にはしっくりこないようです。
あの方々の文化は

「キミ、困ってるんだね!僕に任せなさい!」

「ほ〜ら、こうしてあげたから、もうキミは大丈夫さ!」

「サンキュ〜!あなたは何という素晴らしい人なんだ!感謝するよ!」

そこで大袈裟にハグをし、お互いの背中をポンポンし合う。。。
と、こんな感じでしょうか(笑)

まぁ、これはこれでストレートにわかりやすくいいとも思うのですが「陰徳」というには程遠い感じです。
自分のために密かに心を砕いていてくれたと気づいた瞬間の感動に比べたら、やはり薄い感じがしてしまいます。

日本人の物言わぬ裏側の心に辟易とすることも少なくない私ですが、こんな控えめな思い遣りに触れると、やはり「日本人っていいわ〜」と思うのでした。。。

勘違い中年オヤジはなぜ威張りたがる⁉︎ 女、子供にしか威張れない50男、60オヤジは散れ!

私は幸運なことに、これまで出会ってきた男性は比較的紳士の方ばかりでした。
暴力はおろか、声を荒げるようなことも、乱暴な物言いをするようなこともない男性ばかりです。
レディーファーストではないですが、常に女性を大切にしたいと考えている人が周りに多くいました。
外国人夫にしても、女性を女性としてきちんと扱ってくれる人です。重いものを持ったり、汚い仕事をしたりはさせられたことがありません。知り合った頃に比べれば多少の気遣いはなくなったとはいえ、それはお互い様です。しかし基本的には何十年経っても女性には優しい人です。

しかし、世の中そんな紳士ばかりではありません。人の話などからとんでもない男性がいることは承知していましたが、実際に自分が体験するのとそうでないのとでは、感じ方は全く違います。



これは、昨年出向いていた会社にいた男性のお話です。
全ての男性ではなく一部なのですが、とても威張りたがる人達がいました。しかも女性に対してだけです。
仕事を依頼するときも、常に「あれ、やっとけ!」「これ、いますぐやれ!」「それじゃ、ダメだろ!ったく!」「何やってんダァ?」
もう、聞いていて、なんて無礼な物言いをするのかと、私などは目つきが変わるほどに頭にきたものです。
言われた女子も苦々しい顔をしながらも、ずっと年上の男性に言われるからか、黙って従っていました。
なんでも海外と比較をしたくはありませんが、あちらで同じ事をしたら明らかにパワーハラスメント扱いです。

これらの男性、全員が50〜60歳代のオヤジです。まさに昭和を引きずった時代錯誤も甚だしい勘違い世代といったところ。。。

「女は生意気なことを言わず、黙って男の後ろで言うことをきいておれ!」

女性に対して思うのは、それが全てなのでしょう。
私は男女平等を声高らかに訴えるタイプの女ではありません。どちらが上か下かではなく、お互いに違った性を持つことで、それぞれの役割があると考えています。
男性に適したこと、女性に適した事は違います。それぞれが得意の領域でリーダーシップを取り合い、共存していければと考えています。
しかし、この日本ではなかなかそのような考えは受け入れられないようです。
私は会社のオヤジから乱暴な物言いをされるたびに「ずいぶんと無礼ですね。それが人にものを頼む態度ですか?礼儀はないのですか?」と、答えていました。
そこで更に声を荒げてくれればいいものを、オヤジ達はみんな黙りこくってしまいます。そんなことが続いた末、どうなったかといいますと。。。
オヤジ達は私には一切声をかけなくなりました。世間話はもちろんのこと仕事をしていてもだんまり。視線も合わせずに苦虫を潰したような不機嫌な顔を見せるだけです。
反論できないという事は、それが正しいことではないとの自覚があるのでしょう。しかし、自分よりも若い女に抵抗されたことが悔しくてたまらないのかもしれません。

そもそもこのようなオヤジ達、うだつが上がらない輩が多いのです。取り立てて仕事が出来るという訳でもなく、見た目が素敵ともいい難い。ただ長くその場(会社)に居座って、現状維持に必死になって生きているだけのような、埃だらけになった古い置物同然の半端な骨董品です。
そのくせプライドだけはやたら高く、どうだ!どうだ!といい年をして自己アピールするのです。その一つが威張り散らすという行動になっているようです。

尊敬出来る人とは、黙っていてもされるものです。そのような方はただ大声を張り上げて無理矢理周りを動かすのでなく、常に周りに気を配り、人のフォローもしているものです。
そして、そんな姿を見ているからこそ、周りも一生懸命にやろうという気にさせられるのです。
無礼なオヤジ達のように、大声でアピールせずとも、威張り散らさずとも、やり方次第で周りを動かすことはできるのです。

こんなオヤジ達は概して上ばかり見ているものです。自分よりも役職が上の人に対しては、借りてきた猫のようにモジモジ。相手を見て態度と行動を変えるという、小賢しいことを平気でします。
それがまた見苦しいのです。自分が言ったことに上役が反論すれば、すぐに手のひらを返す節操のなさ。。。
男らしさのかけらもございません。

大声で威張り散らせば人は自分のいう事を聞く。自分を偉いと思ってもらえる。そんな浅はかな大人を誰が尊敬できましょうか?
還暦近くまで生きてきて、そんな事すら思い及ばず、ただ女子供に威張り散らす。。。
もうこれだけで、どれだけ頭が悪いのだ?と思われても仕方がありません。
もしかしたら、自分が尊敬されない人間である事を承知しているのかも知れません。その鬱憤を晴らすために威張り散らすという行為に走っているという風にも考えられます。

もちろんこんな威張り屋のオヤジばかりではありません。同じオヤジでも
「ありがとうございます」「お願いします」など、労いの言葉を忘れない非常に丁寧な方もたくさんいます。
そんな方々は概して頭の良い方が多いものです。上手に人を使うためには、どうすればいいのかを知っているのですね。

男でも女でも、歳をとればその分余裕が出てくるものです。上も下も横も、あちこち見ずに生きていても、人の評価は自分の行いに起因することがわかってきます。
いい年をして承認欲求を炸裂させ、無理矢理「俺を尊敬しろ!」とばかりに威張り散らすオヤジ達!自分達の馬鹿さ加減を世間に晒している事を自覚するべきです。
さもなくば、時代錯誤な老人はさっさと散れ!です。

「もっと早くに出会っていれば」も運の良し悪し次第。タイミングとはすなわち運。

「もっと早く出会っていれば。。。」
などと言うと、なにやら道ならぬ恋でもしているような感じですが、残念ながらそんな色気のあるお話ではありません(笑)

暇を持て余していたお正月、久し振りにブラリと本屋を覗いてきました。
そこで、かつて大変お世話になり、私の人生に多大な影響を与えたある方の新刊著書を見つけました。



その方、O氏と出会った時、私はまだ20歳。一回りも年上のその人から、自分らしく生きるためのヒントを沢山頂きました。それが今の私を作ったと言っても過言ではないほど、この人のような生き方がしたい!と強く思ったものです。

好奇心が旺盛で、自分の好きなことには凝りに凝って猪突猛進。ここぞという時は勝負にでる男らしさと破天荒な振る舞い。そのくせ物腰柔らかで、いつも飄々と人生を楽観視しているような人でした。

四年余りO氏の側にいて、もう「卒業だわ」と勝手に離れた私なので、その後一度お会いしただけで、もう何十年もお目にかかってはいません。
それでも時折メディアに登場する姿や、著者やブログなどを通して、その活躍をこっそりと覗き見るというようなことはしています(笑)

そこには、今でも変わらないその人の姿があります。興味を持ったことにはすぐに飛びつき実行する。
明日は明日の風が吹くと、飄々と生きているところ。
やはり、この方はいくつになっても私のお手本なのだなと思うのです。

さて、そんなO氏の新刊著者ですが、昭和の時代に名を馳せた、ある故人の人生訓を書いたものです。
私もO氏を通じて何度もお会いしたことがあるのですが、それはそれは魅力的な方で、まだ若かった私にとっては、宝の持ち腐れというほどにもったいない出会いでした。
もしも私がもっと早く生まれて大人だったら、その出会いを更に有意義なものにすることが出来たことでしょう。しかし私にとってその出会いは完全にタイミングを外していたのです。
まだ子供だった私は、ただ屈託無く若さゆえの傲慢さモロ出しで、その方から何かを学ばせて頂くなんて気持ちの欠けらもありませんでした。
ただ、その人の好意に甘えるだけ甘え、それが当然なのよとばかりに振舞っていました。
数年前、その方が天寿をまっとうされた際、家からほど近い場所でお別れの会が催されました。ニュースで知ってはいましたが、私は行きませんでした。「人間、死んだらそれで終わりだよ」故人が昔言っていたそんな言葉のせいかもしれません。
それが、ほんの少し心に引っかかっていました。


ちょっとお話しが逸れましたが、O氏の新刊著者を読んでいるとき、
「ああ、もっと早くこの本と出会いたかった。。。」
と、心底思いました。
件の故人が語ったことに、こんな意味があったのか。。。
こんな思いで、あの話をしてくれたのか。。。
そんな気づきが沢山あったからです。
それは私が生きる上で必要としていた言葉達だったのです。
それらをしっかりと理解できていたら、これまでの躓きも回避できたのにと。。。
それと同時に、当時O氏はこんな思いを抱えていたのか。。。
あの飄々とした姿の裏にこんな苦悩もあったのか。。。
そんな沢山の裏側に気づくことができたからです。
もしもあの頃、私がもっと大人であったなら、もっと共有できることがあったのに。。。そう思うと、タイミングの悪さに悲しくなります。

人との出会いもそうですが、この本のように「物」との出会いもタイミングが大切だということなのです。
自分が何かに悩み苦しみ、答えを探しているときには出会えず、すべて失った後で出会うというタイミングの悪さ!
これはO氏との出会いにおいても同じように感じます。
O氏やその著名な方との出会いは私に大きな影響を与えはしたものの、出会うタイミングがベストでなかったのです。

かつての私はO氏の鞄にくっついたチャームのようなものでした。そこには人間同士の尊敬といったものはなかったでしょう。O氏にとってはただお気に入りの物をいつも手の届くところに置いておく。たまに役に立つこともあるけれど、ただキラキラとそこに華を添えてくれればいい。ただそんな存在だったのです。
もちろん当時の自分はそう思ってはいませんでした。愚かにも氏とは同等であるかのように思っていました。
しかし、自分がこの年齢になってみればわかります。あの頃の私にあったのは若さと無鉄砲さだけです。そんなことはとうの昔に通り過ぎてきたO氏にとっては、なんら学びになるようなものはなく、私から与えられるものなど何もなかったのです。

その証拠にO氏は今でもあの頃と変わらない生き方をし、私はといえばO氏をお手本としたような生き方を模索し続けています。
だからこそ、もしもお互いに影響を与え合えるタイミングで出会えていたら、私も今とは少し違った生き方ができたのでは?と思うのです。

そのような事に想いを馳せるのは無駄な事とわかっていても、いつまでも悔しい気持ちに囚われてしまうのは、O氏の存在こそが、未だに私のアキレス腱だからなのでしょう。
なんと言っても、初めて尊敬しまくった「大人」でしたから。。。

新年早々、タイミングの悪さに思い当たり、ちょっと凹んだりもしたのですが、O氏ならきっとこう言うでしょう。

「出会いが遅すぎた? そうではない!その時必要だからこそ、出会ったんだよ!」

確かに、鞄につけるチャームほどの価値も無くなった劣化した中年と化した私の姿を見たら、まさに「出会うのが遅すぎだよ。。。」と笑われてしまいそうです(笑)

O氏にまたお会いしたい気持ちもありますが、キラキラとしたチャームのイメージのままいるのも悪くないかなと思ったりもします。
きっと、ご縁があれば再びお会いする機会もあるでしょう。なければないでそれも運命!
それこそ、O氏が私に与えてくれた人生訓だということ、忘れていました。。。

タイミングなんてものも「運」の一つ。
タイミングを外したら、運が悪かったとさっさと諦め、タイミングが合えば「ラッキー!」と喜べばいい。
人生なんて、そんな大層なものではない。もっとシンプルに考えて、日々一生懸命に生きていけ!

それこそが、若かった私にO氏が教えてくれた事なのです。

シュトーレン熱冷めやらぬ!『ロブション』の和三盆、ショコラのシュトーレンにハマりにハマった!

シュトーレンといえばクリスマスです。我が家ではクリスマスの日には、ケーキと同じくらい楽しみにしているものです。

普段、割とお菓子やケーキを手作りして食べる我が家ですが、シュトーレンだけはダメです。どうも美味しく満足できるようなものが作れないのです。
そうなると、プロの作ったものを外から調達することになるのですが、昨年は理想的なシュトーレンと出会ってしまい、クリスマスも終わり年もとっくに明けた今も、シュトーレンブームが止まりません(笑)




そのハマりにハマっているシュトーレンとは『ロブション』のシュトーレンです。
昨年のクリスマス前に、知人から頂き初めて口にしたのですが、もうこれがドンピシャリと味覚ツボにハマったのですね。

普通は真っ白なお砂糖に包まれたシュトーレンですが、こちらは和三盆糖が使用されているため茶色いのです。
サラッというより、シットリとお砂糖が貼りついている感じで、切る時に塊がポロポロと落ちてしまうのでなかなか難しい!

これ、とっても甘いのです。外側の和三盆も中の生地も。
日本人の私は、外国人夫や子供達が好むようなデロデロに甘いお菓子はどうも苦手で、どちらかといえば甘さ控えめなスイーツが好みなのですが、それでもこの甘いシュトーレンは何故か頂けてしまいます。
スパイスの調合の妙か、甘さと素材とのバランスなのか、いやはややはりプロの作るものは違うわ〜と感動すら覚えます。

このシュトーレンがあまりに美味しかったので、今度は自分で調達して参りました。というか、娘が買ってきたのですが。
和三盆のシュトーレンの他に、ショコラ味があったというので、それもゲットしてきてくれたのですが、食べてビックリ、これがもう美味しいのなんのって!

なるほど!説明を読んで激しく納得です。ここまで味覚ツボにハマるわけは、大好きなアールグレイ風味だからなのです。
ショコラなのですが、チョコレートの香りやお味は強くなく、どちらかといえば優しくふんわり。それでもショコラもしっかりと感じられるという絶妙な塩梅。
最初は「ショコラのシュトーレンなんて邪道じゃない?」などと偉そうに言っていた私ですが、一口食べて降伏です(笑)
和三盆も美味しいのですが、比較すると意外なことにショコラの方が甘さが控えめで、私好みのお味でした。
もうこの一本はリピート間違いなし!と太鼓判です。

シュトーレンは本来、クリスマスの約1ヶ月前から少しずつ切って食べ、その日を待つといった習慣があるように、日を置けばそれだけ味が染みて美味しくなるといわれているので、当然日持ちもします。
とは言え、我が家ではあっという間に食べ尽くしてしまいますが。。。

このロブションのシュトーレン、3月くらいまでは販売しているようなので、冬の間は常備スイーツにしたいと思っています。

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