お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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面倒くさがり屋の人は国際結婚しない方がいい。あるお食事会で感じた英語とか外国人とのお付き合い。

先日、外国人夫からまたしても面倒な要請がありました。
「◯◯さん夫妻からディナーに誘われてるから時間を空けておいて下さい」

嗚呼、またか。。。なんでいつもいつも私が同行しなければいけないのかしらん?
そんな思いにかられ、少しの抵抗を試みたりします。

「それって私が行かなければいけない?あなた一人じゃダメなの?」

「あちらは是非あなたに会いたいと招待してくれているんです!」

「どうして?会ったこともないし、私のことも知らないのに何故会いたがるの?私ってそんな有名人⁉︎」

「それは、あなたが私のワイフだからです」

「つまらない答えだわ。。。」

「夫婦とは一対なのです。だからワイフであるあなたを知ることは、私を知るということになるのです」

「いい大人なんだから、一人の人間として付き合えばいいじゃないのさ!あー面倒くさい!」

「ディナーは銀座◯◯の高級中華だそうですよ。あなたは最近、中華料理にハマってましたよね?」

「まぁ、そうだけどさ、人に気を遣って食べたところでね〜」

「北京ダックあります」

「、、、、、」

「小籠包が絶品らしいです」

「、、、、、」

「フカヒレが美味しいそうですよ」

中華にハマっているとはいえ、自腹ではなかなか足の向かないお店です。もう頭の中では「どうしよう」の嵐。
夫関係の会食は面倒だけれど、美味しいものは食べたい。。。

「わかりました。同伴いたします」

食欲に完敗です。
夜の外出はしない主義ですが、胃袋からの指令とあれば、従うしかありません。。。



国際結婚などしていると、どうしても夫婦で行動しなければいけない機会があったりします。
例えば外国人夫関係者とのホームパーティーや、今回のようなディナーなどへのお誘いです。
そういった集まりが大好物だ!などという友人などは、もう嬉々としてお洒落をして出かけるわけですが、どちらかといえば嫌いだわ。。。などと思っている私からすれば、これはかなりの苦痛になるのです。
それがカジュアルな集いだとしても、見ず知らずの人達と母国語ではない言語でコミュニケーションをはかるなど、どんな罰ゲームだ⁉︎ と思うほど脳味噌も気も遣わねばなりません。

私も若い頃は皆んなとわいわい食べて飲んで騒いでといった場をそれなりに楽しんでいました。しかし今は夜遊びやそれに伴う社交にも全く楽しみを感じないのです。
出来ることならば避けて通りたい!と常々思っています。

その理由は早寝早起きの徹底によって、夜の外出が億劫になったことが一番。

二番目は夫の友人、知人、仕事関係者など、自分とは関係のない見ず知らずの人達に気を遣うのが面倒。

そして三番目の理由が英語を話すのが面倒。

つまり、「面倒くさい」ことは「億劫」だということです(笑)

さて、くだんの食事会ですが、招待してくれた方に手土産を買い、指定されたお店に行くと、5組のカップルで10人もの大所帯。
日本人は私も含めて2人だけ。あとは皆さん、お国は違えど外国の方々です。これだけの人がいればとりあえず笑って頷き食べていればいいだろうと、ちょっと気楽になりました。
「私、美味しいものを食べると無口になるんですの。エクスキューズミ〜」
などと開き直り、運ばれてくるお料理に舌鼓を打っていた訳ですが、ふと斜向かいにいる30代と思しき日本人妻に目をやると、ボトックス何本打ちましたか?というくらいに硬直した作り笑いで、それはそれは居心地悪そうにしています。
食事もポツリ、ポツリと口にするだけ。時折隣に座るパートナーに助けを求めるような視線を送っていますが、そんなことは御構い無しに、その夫も周りの外国人達もノリノリで機関銃の如く英語で話しまくっています。

なんだか大変そうだわね〜などと思いながらも、私は次から次へと出てくるお料理を黙々と、たまに「おいしい!」「ラブリ〜」などと単語コメントしつつ、食べることに集中しておりました。
これはアラフィフにもなる図々しい専業主婦だから出来ることなのかもしれません。
もはや人に好かれようとか、夫の株を上げるために内助の功を発揮しようなどという気はさらさらありません。
しかし、その日本人妻はまだまだ初々しく、必死で皆んなの会話の輪の中へ入ろうと頑張っています。
気持ちはよーくわかるのですが、こんな場面でいくら頑張っても、自分に対する評価はかわりません。つまり無理してもしなくても同じなのです。それは長年の経験から分かっています。つまり、周りはそれほど気を遣ってはいないってことなのです。

さて、一通りお料理を堪能した私は良い気分でしたが、ここでその時を待っていたとばかりに、あちらこちらからあれこれと声がかかります。食べるものだけ食べて知らん顔をするわけにもいかないので、結局は会話に参加せざるを得ないこととなったのです。
割とカジュアルな集まりではありましたが、やはり英語オンリーは辛いものです。
日本語なら自然と出てくる言葉も、英語となると立て付けの悪い古い箪笥の引き出しから、あれこれと言葉を捜しださねばなりません。
ああ、こんなことなら普段からもっと英語を話しておくんだったわ。しっかりブラッシュアップしておけばよかったわ。などと、後悔先に立たずの思いにテンションはダダ下がりでしたが、とりあえず何かしら言葉を発しておけばいいわね!と、お得意の開き直りでなんとかしのいでいました。

その時、「ちょっと席替えしていいですか?せっかくなので日本人妻同士お話ししたいので」と、例の女性が隣へ移動してきました。

「英語ばかりで疲れちゃったわ」

その女性はリラックスした様子で話しかけてきました。

私とて、ここぞとばかりに話したいのは山々ですが、少し複雑な気持ちでした。彼女がどうとかいうのではなく、その場で日本語を話すのが適当なのか?と躊躇していたからです。
日本人同士なら当然日本語で話すのが自然ですが、同じテーブルに日本語を理解しない人が一人でもいたら、誰もが理解できる共通語を話すべきだと常々思っていたからです。
その日も日本語がわからない人が何人かいたので、面倒くさいわ〜と思いながらも下手な英語を駆使していたわけですが、いきなり日本語に引き戻されてか糸がプツンと切れたかのように英語を話すのがすっかり億劫になってしまいました。

外国人と結婚したからといって外国語が堪能に話せる人ばかりではありません。
特に今は日本国内に外国人がたくさん居住している時代です。日本語が堪能な旦那様であれば妻は外国語など話す必要はありません。
私のお友達の中にも、国際結婚しているけれど、日本語以外はさっぱりダメという人もいます。

「英語が堪能であれば、こんな集まりも楽しいのでしょうけどね」

彼女の言葉を聞いて、それもそうだけれど、それだけで万事オーケーでもないのよねぇ。。。とも思ったのです。

英語がほとんど話せないお友達の中には、外国人との集まりが苦手どころか、楽しいと積極的に参加している人もいます。ブロークンでそれこそ単語の羅列だけで会話に参加しているという猛者が。。。
我が身に置き換えてみても、もし私が日本語を話すのと同じように英語を話すことが出来たら、こんな集まりが楽しく感じられるのでしょうか?
夫の友人、そしてその配偶者などは自分の選んだお友達ではありません。当然、好感を持てる人達ばかりというわけではありません。
時にはアジア人に対して好意的でない人がいたり、やたら上から目線で気取った人がいたり、何故か対抗意識を燃やしてきたりするような挑戦的な人もいます。もちろん良い人も多いのですが、どんな人とご一緒することになるかは、まさにロシアンルーレットのようなもの。運が悪ければ不快な思いをすることもあるのです。

そんな状況で語学が堪能であれば、なんとか相手をやり負かすこともできて、確かに爽快かもしれません。そう考えると、やはり語学力は大きな意味を持つことは否定できないでしょう。
しかし、語学力さえあればという考えは少し違うように思います。
要は目の前にいる知らない人たちとの時間を楽しめるか? 外国語でコミュニケーションすることを楽しいと思えるのか、それが大きな要因となる気がするのです(逆に嫌な人と接した時は、戦う意欲があるか否かですが)。

昔はこんな集まりをそれなりに楽しんでいたのは、色々な人と会うことに興味があったり新鮮味を感じていたり、語学力を向上させたいという思いもあり、積極的に人と話すことに意義を感じていたせいなのです。
時に相反する意見を投げ合うこともありましたが、そんな時でさえ言葉のハンデなど意識することなく、ディスカッションする意欲や負けん気がありました。
そんな思いのなくなった今、英語力以前に気持ちがないのです。
そんなことも手伝って勉強も当然におざなり。。。
興味を失い学ぼうという気持ちがなければ、英語力も錆びついてきます。するとますます人の集まる場所が面倒になり避ける。
避ければ避けるほど機会は失われ、ますます語学力は低下するという悪循環に陥るわけです。

社交の場だけでなく、夫との関係にしろなんにしろ、「面倒くさいなぁ。。。」と思うことは多いものです。これは必ずしも言葉の壁だけということではありません。
伝えきれない、理解できない、分かり合えない、それは言葉の違いが一つの大きな原因になっていることは間違いありませんが、相手に対する「気持ち」というのが一番大きいように思います。

「ここは日本なんだから、みんなもっと日本語を学んだらどうよ!」

などと少し酔った日本人妻は言いますが、あちらの方々は微塵もそんなことは思っちゃいません。
英語こそ世界の共通語と思っているのですから、極東の小さな島国の言葉なんぞ話せても、普段の生活が少し便利になるくらいでしょと思っていることでしょう。
こちらが一言「YES」と呟こうものなら、もう「こやつは話せるな!」とみなされ、容赦なく英語という機関銃を乱射されてしまうのです。もう、気遣いも何もあったものではありません。
日本人であるこちらが気遣いと思っていることも、あちらの方にとってはどうでもいいことなのです。
私の場合、そんなわかりきったことが容認できなくなったという「気持ち」の変化が、彼らとのお付き合いを億劫に感じる原因になった気がします。

しかしながら、相手に期待できないのなら、こちらがどうにかするしかありません。
つまり「世界の共通語」を学ぶしかないというわけです。
英語が話せて損をすることはありませんが、国内で暮らしていれば取り立てて得をするということもありません。
とりわけ私のように日常会話と夫婦喧嘩程度の中途半端な英語は使い道もないのです。
そう思うからこそ、更に学ぼうとすることもなく、見て見ぬ振りをして放置してきたのですが。。。




何もしないでいるとお肌なども劣化の一途を辿るものですが、語学力も然りです。
日々の努力がいざという時に活きるもの。分かり切っていることなのに、未だに同じことの繰り返し。
のんべんだらりと暮らしていないで、しっかりお勉強しておかなければいけないと思ったものの、国際結婚なんぞしなければ余計なお勉強など必要なかったのに!と、またしても面倒な思いが湧き上がってくるのです。

出会った頃は「私、頑張るわ!」と言葉や文化の違いもなんのそのですが、人は変わるものです。元々面倒くさがりな性分であれば、何十年も経つ頃には「あ〜、面倒くさっ!」となることでしょう。

さりとて、結婚してしまったものは今更どうにもなりません。これはもう社交のためと思わずに、美味しいものにありつくためのお勉強とでも考えるしかない!と、なんとか自分を奮い立たせてはおりますが、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、今後も私は自分の英語力をどんどん劣化させていくことでしょう。

面倒くさがりな人間は国際結婚などするべきではないのです。さもなくば苦労いたします。。。
と、これが結論です(笑)

東京三大豆大福『松島屋』さん。豆大福もいいけれど、私のおすすめはきび大福だ!

東京には三大豆大福なるものがあります。

音羽の『群林堂』さん。

泉岳寺の『松島屋』さん。

原宿の『瑞穂』さん。

この三つが、その御三家だそうです。
このような話を聞くたびに、どんな基準で誰が決めたのよ⁉︎ と、思ってしまうのですが、この三店の豆大福はどこもとっても美味しくて大好きなので、深く考えるのはやめましょう。

さて、先日泉岳寺で用事があり出向いたついでに、そんな三大豆大福の一つ、『松島屋』さんへ寄ってきました。

いつもお客さんが沢山いるせいか、予約するべき!などと言われていますが、午前中早い時間に行くせいか、私は予約をしたことがありません。いつも近くへ行ったついでなので、売り切れていたらそれはそれで仕方ないと行くのですが、これまで買えなかった事はありません。ただ運がいいだけなのでしょうか? わかりません。。。

(わざわざ足を運ぶからには確実に購入したい。早い時間に来店することが難しいという方は予約が確実かと思います)

この日も店に到着したのは10時過ぎ。すでに5人くらいの人が並んでいましたが、この程度では待つ事はありません。すぐに順番が回ってきました。


いつものように、豆大福6個、きび大福2個、草大福2個の計10個をお買い上げです。

こちらの大福は割と小ぶりなので、家族4人いれば1日に10個くらいは軽く完食できます。
どこの大福もそうですが、その日のうちに食べる!が鉄則です。

こちら、きび大福です。
実は私、『松島屋』さんの大福では豆大福を抑え、こちらのきび大福が一番好きなのです。
プチプチとした食感に歯ごたえあるもっちり感がクセになるのですよ。

ブログ記事用に、この度初めて解体してみました(笑)
美味しそうにみえます。というか、すごく美味しいです。写真では伝わらないのがもどかしいです。。。
このきび大福をいつも2個一気に食べます。

こちら草大福です。
豆大福同様に皮は薄めですが、パクっと口にすると「草だわ〜」と、ヨモギの香りを強く感じます。ツブツブ餡ともよく合います。

そして、こちら豆大福。
生地はやわらかく薄め。程よい甘さの餡としょっぱい豆が美味しさを際立たせています。
ん〜、やっぱり美味しい。

以前は俄然『群林堂』さん派であった私ですが、なぜか『松島屋』さんの大福を頂くことが多く、今ではもうどっちが好きなのだかわからなくなっています(笑)
というか、結局のところ豆大福が好きなんですね。




『松島屋』さんで大福を買った後、これまた近くへ来たのだからと『泉岳寺』へも行って参りました。歩いて5分ほど、とっても近いです。

言わずと知れた『赤穂浪士』のお墓があるお寺です。
平日の昼間だったので人影もまばら。すれ違った数少ない人達がみんな外国人だったというのが興味深ったのです。

ボスの敵討ちだなんて、あちらの方々に心響くものなのでしょうか?
以前、ヨーロピアンのお友達が来日した際にどうしても行きたいというので連れて行ったことがありますが、ストーリーは理解つつもその心情に感じ入る事は難しいようでした。
我が家の外国人夫も然りで、「ボスとはいえ他人のためにそこまでするかぁ?」「先に抜刀したのは浅野内匠頭だろ?それってどうなんだ?」と、また細かいことまで突っ込んでは首を傾げていました(笑)

毎年年末になると、必ずスペシャルドラマになる『忠臣蔵』ですが、家族であの物語に夢中になれるのはどうやら私だけのようです。
嗚呼、私って大福も大好きだし、やっぱり日本人なのね。。。

『松島屋』さんへ大福を買いに行くことがあれば、泉岳寺へも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

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若いうちに沢山旅をしよう。その経験、体験がその後の旅や人生に影響を与えることになるかも。。。というお話。

長女も大学生となり、これからはお友達と海外旅行へ出掛けることもあると思うので、その前の実践訓練ということで初めて娘の仕切りで旅をしてきました。
それが今回の韓国旅行。私は一切口も手も出さず、プランニングから手配、現地でのガイド役も全てやってもらいましたが、いや〜おんぶに抱っこの旅は楽ですね〜。

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今月、娘はまたお友達と海外へ行くと、あれこれ手配に追われていますが、まだまだ「あれは?」「これは?」と一人では不安なようで、事あるごとに頼ってきます。
今は昔と違ってネットであらゆる情報を集め、手配まで出来てしまいます。これが数十年前であれば、本屋のガイドブックや観光案内所の資料、また実際に行った人の話などから情報を集めるしかありませんでした。チケットの手配やホテルも旅行代理店や航空会社に直接行って手配したものです。
それに比べれば、どれだけ海外へ出るハードルが低くなったことか!
まぁ、初めて保護者なしの海外なので当然かといえば当然ですが。。。




私のような中年になっても、一人で、また子連れで海外へ行くのが不安で旦那様やお友達頼りという人が案外多くいます。
渡航する国の情報をなるべくたくさん集め、必要な準備さえ怠らなければそれほど難しいことではないのですが。。。
しかし皆んな一様に「外国だし、怖い」と言います。
これはつまり、「知らない」から「怖い」という発想になるのでは?と思うのです。
歳を重ねれば重ねるほどに人は余計な知識が身につくせいか臆病になります。私も若い頃のように無鉄砲にはなれないのでわかります。
それでも過去の経験から、それがさほど怖いことでも難しいことでもなく、「なんとかなる」とわかっているので、躊躇なく何処へでも一人で行けるのです。
つまり、過去の経験があるからこそ、なにかおきた時に臨機応変に対処する自信というものがあるということです。
出来るか出来ないかはそのとき勝負と言いましょうか、誰にも確かな答えはわかりません。そんな不確かな中で重要なのがこの「自信」というものです。

「怖いもの知らず」という言葉があります。怖いものを知らないというのは、ある意味ものすごい強みになります。側から見ている人からしたらハラハラするものですが、知らないからこそ起こせた行動によって、多くを学ぶことができるのです。
そこで多くの怖いことを知り、学ぶことはその後の人生において大きな助けにもなります。

「かわいい子には旅をさせろ」というのは、まさにそういうことなのです。
親が常に最前線に陣取って守ってあげていれば、子供も安全ですし親の方も安心していられます。しかし子供は自分を守る術を身につけることはできません。
人から聞いたり見たりするのは参考にしかなりません。生きる力をつけることは、自分自身の経験によって学び取らないといけないものなのです。

私が若い頃、身勝手にも一人で海外へ出て行くたびに、亡き父は「死んだものと常に覚悟をしておくことにするよ」と言ったものです。一度出たら何年も帰ってこない娘を待つのはどれほど心配だったろうかと、自分が親になった今ならわかります。
しかし、そんな風に生きてきたお陰で、開き直りという術を得て「どうにかなるさ!」と、生きることができています(笑)

自分の子供達にもそんな力をつけて欲しいと思っています。誰に頼らなくても、一人でもしっかり自分の足で歩いていける人間になって欲しいのです。そのために必要なことは、自分で学ぶしかありません。親ができるのは少しのアドバイスだけです。

誰に頼ることなく、自分が行きたいと思ったところに行く。それは旅に限らず自分の人生にも言えることです。
そんな風に自由に生きられたら、きっと人生はより楽しいものになるはずです。
だからこそ、若いうちにどんどん旅に出て、色々なものを見て経験して自信をつけることです。

何処の国へ行っても、臆することなく誰とでもコミュニケーションをとり、自分の身は自分で守り、食べる物と寝床くらいは確保できるようになれ!
それさえ出来れば、どこででも生きていけるでしょう。




世界は広いのです。そこでは自分が見たこともないような景色があり、生活が営まれています。
そんなことを想像すると、私もまたどこかへ行きたいわ〜とお尻がムズムズしてきます。
あと数年で子供達2人は自立するでしょう。その時は存分に一人でふらふらして、地球の反対側で子供達と待ち合わせ!なんて事をしてみたいなと夢みています。

しかし、親から離れて自分の足で旅へ出ようとする娘を見て、心配と喜びが綯い交ぜになったような複雑な心境になっているのも正直なところ。
自分はいつも自由人気分でいる私ですが、子供のこととなると不安になるのがなんとも矛盾しています(笑)
それでも、子供達にはもっともっと広い世界を見て欲しいと思うのです。

「可愛い、可愛い」ばかりの時は終わりにしなければいけません。子供が親から離れようとした時期に来たら、どんなに心配だろうが不安だろうが、寂しかろうが、親も潔く背中を向ける勇気を持たなければいけないのだと思ったのでした。。。

母の日。行事には興味なし!と言いながらも、「ありがとう」の気持ちに感謝!

雨です。そして今日は母の日。
世間一般で「特別な日」とされているような日は、たとえ誕生日であろうが結婚記念日であろうが、興味なし!と常に言い切っている私です。

別にお祝いをするのが面倒な訳ではありません。ただ、自分にとっては大騒ぎするほど特別な日だと思っていないだけです。

そんな私なので普段から、どんな記念日だろうが「なんのお祝いもいらないわよ!」と言い続けているのですが、何故か我が家の面々は言う事を聞きません。

外国人夫に関しては、大袈裟に祝いたがるのは文化だから仕方ない?と思いますが、私のことをよく知っている子供達までもが、ご丁寧にプレゼントなどを用意してくれるので参ります。

少し前からショッピングなどしていると、大々的に「母の日」商戦が繰り広げられているのを目にしていましたが、興味がないので話題にすらしませんでした。

しかし蓋を開けてみれば、今年も外国人夫からはお菓子を、子供達からは化粧品のプレゼントを頂いてしまいました。

「Happy Mother's Day !!」

「いつもありがとう!」

みんな嬉々として、なんの照れもなく言ってのけるので、逆ににこちらの方がモジモジしてしまいます。
何だかんだ言ってみたところで、こうして労われるのは嬉しいものです。

プレゼントも外国人夫は大袈裟にやり過ぎると機嫌を損ねる、また「花より団子」をよく承知しているので、ちょこっと食べてなくなるものを。
子供達はといえば私がそろそろ新しいのを買わなくちゃ!と思っていたものを選んでくれました。
母親がどんな風に生活しているのか、どんなものが好きなのか、普段から気遣って見ていてくれるからこそのチョイスです。

プレゼントを貰ったことももちろん嬉しいですが、それ以上にこんな子供のように気紛れで身勝手な母を気遣ってくれる心に感動です(感涙)

「母の日」とは、母の方も家族に感謝の気持ちを抱いてしまう日のようです。

サンキュ〜。


ミントチョコの先駆け。白金台『ショコラティエ・エリカ』のおすすめ定番チョコはいまでも大人気!

用事で白金台へ行ったのですが、帰りがけに「そうだ!エリカ!」と思いつき、久しぶりに寄ってみることにしました。

『エリカ』とはお友達のことではありません(笑)

『ショコラティエ・エリカ』というチョコレートショップです。
我等バブル世代にとっては懐かしの味ではないでしょうか?
80年代、まだ今のようにチョコレートの専門店などろくにない時代、よくこちらのチョコレートを買うために足を運んだものです。



このミントグリーンの箱も上品で、自分が貰ってもプレゼントに差し上げてもテンションの上がる包装です。


最近はミントを使ったスイーツが人気ですが、こちらの『ミントチョコ』は当時から定番商品として大人気でした。

ビターなチョコレートに食べた後いつまでも余韻を残す強めのミントは、まさに元祖ミントチョコといえる頑固さというのか、骨太さが感じられます。
だからこそ、こんなに長いこと愛され続けているのでしょう。

私が訪れた際も若い方がたくさん店内にいて、このミントチョコを買い求めていました。
「本物」とは時代を問わないもの。どんな世代にも受け入れられるのは、この店のブランド力だけでなく、なによりも「また食べたい!」「皆んなにも食べて欲しい!」そんな思いを抱かせる確かな美味しさのせいなのです。

『マ・ボンヌ』というミルクチョコの中にマシュマロや胡桃が入ったものをはじめとして、美味しいチョコレートがたくさんあるショップですが、やはり私にとっての『エリカ』は『ミントチョコ』。ついついそちらに手が伸びてしまうのでした。。。

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