専業主婦という生き物

〜フランキーの日常茶飯〜

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断捨離流行りか。人間関係を「切る」とかいう傲慢。

よく煩わしい人間関係を「切ってやった」などとドヤ顔で言う人がいます。10代や20代の若者ならまだしも、いい歳をした中年からそんな言葉を聞くと、脳味噌でも膿んでるのか?と思わないではいられません。

勘違いと奢り

たしかに不愉快な人間関係に煩わされるのは時間の無駄なので、我慢してお付き合いをするくらいならそんな関係は解消すべきだと思っています。
しかしそこでわざわざ「切ってやった」とばかりに吹聴することは、まるで上から目線の独りよがりであり、自身の幼稚さを曝け出しているようなものです。
嫌なら直接本人に「会いたくない」と伝えるか、それができなければそっと関係を断てばいいことなのです。
そこをあえて「切った」などと公言するのは、その関係において主導権を持っているのは自分だ!という大きな勘違いと奢りがあるからです。
ネットなどを見ていても、色々なところで「人間関係を切った」「友人関係を断捨離した」という言葉を目にしますが、これまではあまり気にしたことはありませんでした。しかし、それに気づかされたのは、自分がその言葉の受け手になった時でした。
(切られた⁉︎ 断捨離されたんですってよ⁉︎)


「切られた」経験

その人とは古くからの友人ではありましたが、自分から遊びに誘った事はほとんどなく、声をかけられた時に都合が合えば会うという程度の関係でした。 それも年に2、3回程度のことです。
そんな距離のある関係だと思っていたので、人伝に「フランキーとはもう会わないわ。切ってやったから」と言ってると聞いたときは吃驚仰天してしまいました。
共通の友人の一人に「切った」と言う理由を詳しく聞いてみると、私がその人の意見に同調しなかったことが原因のようでした。
「あれは黒だよ」と言う言葉に、「私は白だと思う」そう言ったことで気分を害したらしいと。
大きな対立があったわけではありません。これまでのお付き合いの中で、例えば住む場所には「そんな高い家賃払えないからやめなさいよ!」
専業主婦でいることに対しては「将来お金に困るんだから働きなさいよ!」
また、子供の教育に関しても「私立の中高一貫校?そんなの無意味!お金の無駄!」
と、事あるごとにその人と私とでは考え方が違っていたのです。(考えてみたら、ほとんどがお金がらみの話ですね。。。)
しかし、私は自分の好きなように、やりたいようにやり、その結果その人の危惧するような事態にはいたらず、相変わらず呑気に暮らしている。そんなところがどうやら面白くなかったのではないかとのことでした。
こんなことが積もりに積もっての「切った」発言だったようです。
「フランキーちゃんって、昔から人の言うことは聞かない人。今はいいかもしれないけど、調子に乗ってるとこの先大変なことになるよ」
と、親切にもご心配までして頂いていたようなのです(なにが大変になるのか、心当たりがないのですが。。。)。
自分の思い通りに動かない人間は、きっと不快なのでしょう。その人自身が「ムカつく人間関係は断捨離するの」と言っていたそうなので、人の言うことを聞かない私は、きっと不愉快な存在だったに違いありません。
しかし、どこの誰が他人のために生きているのでしょうか?と逆に聞いてみたいものです。
人の評価を気にするあまり、言いたいことも言えない、やりたいこともできないだなんて生き方はナンセンスです。
その人にとって、自分の周りにいる人間は、すべて自分と「同じ」でなければいけなかったようです。
いい歳をした中年女が正気か⁉︎と、こうして書いているだけでバカバカしくなります。

独りよがり

「切った」と言われても、こちらは多少の腹立たしさは湧き上がってきたものの、「あゝ、そうかもう会わないってことね」と、それくらいの思いしかありませんでした。残念であるとか関係を修復したいなどという気持ちは微塵も湧いてきません。
つまり、こちらにとってもそれほど重要な相手ではなかったということです。もしも本当に必要な人であれば、直接話し合っていたでしょう。
こちらが黙認している一方で、色々な所で「切ってやった」と吹聴しているのは、はたから見ていてかなり滑稽なことです。
自分が思っているほど相手は自分のことを重要視していない。そんな事実にも気付かずに、まるでなにか権限でも得たように「切ってやった」っとは。。。
その人は、「気に入らない人間は断捨離するの」と、新旧多数の知り合いを「切ってやった」そうです。
(そうそう自分の思い通りに動く人ばかりではないということです)
一見すると自分の方が相手を見限っているようですが、実は自分の方が見限られたということまで想像は及ばないようです。(そこまで客観視できれば、こんなアホなことはしないでしょうが。。。)
アラ50にもなれば、ほとんどの場合、人はそんな言葉を口にしないものです。要領よくスルーしたり、そっとそんな人との距離をとることを選ぶものです。

人は変わるもの

共通の友人が「昔からの付き合いなんだから、仲直りできない?」と仲裁を申し出てくれたりもしましたが、そもそも喧嘩をしたつもりもありません。すべては相手側の心の問題なのです。
人間関係には古いも新しいも、長いも短いも関係ありません。
人は変わるものだからです。かつてはよい関係であっても、年月が経つうちに人の置かれる環境も変わります。
とりわけ女は結婚した途端にガラリと自分の立ち位置が変わるものです。誰々さんの奥さん、なになにちゃんのお母さん、そんな「自分」以外の要素もその人の評価の一つとしてカウントされるようになります。
これまたナンセンスなこと、私は私なのよ!と思いながらも、それは事実なのです。
そうして家族や環境、お金など様々なことが背中に張り付いて行く過程で人は変わるのです。そこに若い頃と同じ人間関係を期待するのは無理があります。

去る者は追わず

人間関係とは難しいものです。お互いに違う人間同士、時には誤解や齟齬が生じることもあります。それがきっかけとなり、もうお付き合いなどしたくない!そんな強い感情を持ってしまうこともあるだろうと理解はしています。
ただ、自分こそが正義であると、上から人を切り捨てるが如く態度はいけません。人間として小さ過ぎます。
まるで「言ったが勝ち!」とばかりにいい気分なのかもしれませんが、「切った!」「断捨離してやった!」などと安易に口にする前に、その関係を客観的に見て、己の言動の愚かさを知るべきです。そうすれば、裏で人が自分のことを笑っているのがわかるはずです。

と、多少憤ったりしましたが、所詮は専業主婦という小さな世界で起こっている些細なこと。
誰に関係を切られたところで、世界が変わるような事件ではありません。
切った方も切られた方も、月にいっぺん美容院で髪を「切る」程度の出来事。
去る者は追わず、忘れるが利口というものでしょう。

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