お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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受験英語は意味なし?役に立たない英語は勉強する必要がないのか。

ただいま受験に向けてお勉強中の娘。とりあえずはダイニングテーブルに陣取り参考書などを広げてはいますが、こんなの大学入るためだけの勉強だよね。。と愚痴ってばかり。。。
特に「英語」に関しては、
「こんな言い回し普通しないでしょ⁉︎」
「間違ってないんだろうけど、不自然じゃない?」
「こんな難しい単語、普段使ってる人いないでしょ⁉︎」
などと突っ込みまくっています。



受験英語って難しい‼︎

娘はハーフなので当然産まれてからずっと英語を聞いて育っています。
そのおかげで学校のテストなどは特に試験勉強などしなくても、人並み以上の点が取れるので全く努力をしません。
しかし高校3年になったある日、先生に呼び出された娘はこう言われたそうです。
「あなたは英語ができるかもしれないけど、受験英語を知らない。上位校を目指すなら受験に沿った英語学習をしなさい」と。
確かに模試などの結果を見ると、明らかです。リスニングや長文読解などはパーフェクトでも、文法で点数が取れていなところがあります。
「あなた、ハーフのくせに間違えちゃうわけ〜⁉︎」
などとからかったところ、受験勉強用の問題集や某大学の過去問などを見せられました。
いやいや、ビックリしました!これが思った以上に難しいんですよ!
私も生活するには困らない程度の英語はできますが、答えがわからず固まってしまうような問題がたくさんあります。
30年近く一緒にいるネイティヴ夫の口から一度も聞いたことのないような単語も沢山見受けられます。
昔の英語教育に比べれば、まだ生活に寄り添った内容になっているようですが、娘の言う通り、こんな難しい単語必要なの⁉︎ というものがゴロゴロでてきます。
これが現代の受験英語というものですか。。。
日本の大学生、優秀なんですね。こんな小難しいボキャブラリー頭の中に詰め込んじゃうんですから⁉︎
(その割にはネイティヴに対面するとモジモジするのは何故なんでしょうかね。自信を持つべし!です)

試験では通用しない英語

確かにちょっと英語ができるくらいでは太刀打ちできないのが受験英語というもののようです。
普段、ラフに使っているぶん、しっかり使い方を考えずに、まぁ似通った意味だけどこの場合は微妙にニュアンス違うんだよな〜で、本来教えられていない(教科書や参考書にない答え)解答を導き出すと、見事✖️をつけられたりすることもあります。
これは余談ですが、娘が中学生の時、まだ教わっていない単語をテストの解答で使用ところ、まだ範囲外の答えだからと✖︎をつけられたことがありました(笑)
これを聞いたとき「いかにも日本らしいなぁ」と呆れていましたが、試験とはそういうものなのだと、娘も学びがあったことでしょう。
こうなると、学校での勉強や受験において、ハーフであることはアドバンテージではない気もしてきます。
余計なことを知っているより、真っさらな状態から、試験に即した勉強をした方が有利なのでは?と。
しかし、根本を考えてみると、なぜ受験をするのでしょうか? 人は試験にパスすることを目的として受験するわけではありません。その先に続く将来のためです。受験はただの通過点にほかならないのです。
となると、受験よりもその英語を将来どう自分のツールとして役立てることができるか?その方が大切です。

無駄ではない

では、こんな受験英語は無駄なのか?といえば、私は必ずしも無駄であるとも思いません。
日本語でもそうですが、語彙力というのは重要です。英語も単語を知らなければお話になりません。つまり、受験勉強で習得したボキャブラリーも役に立つということです。
近頃の参考書は本当によくできています。単語帳も例文満載で、ただ単語を覚えるのではなく、その使い方を詳しく例文で表してくれている非常に親切な作りのものが多く、受験とは全く関係のない専業主婦の私でも、時折手にとってパラパラと見てしまうくらいです。
思えば私が英語を学習したはるか昔、いつも分厚い和英辞典を繰って使い方を学んだものです(涙)。
それに比べて、なんと優秀な教材たち。。。これだけのボキャブラリーをもってすれば、いざって時はネイティヴを論破できちゃうじゃない⁉︎ というほどの語彙力がつきそうです。
とにかく一歩日本を出れば、自己主張の激しいナンセンスさんに遭遇するのは日常茶飯事です。そんな時の武器になるのは間違いないでしょう。
そのものズバリ表す言葉を知らないと、こうでああでと回りくどい説明からしなければなりません。
どんなに流暢な発音で話しても、レベルが知れてしまい、敵はそこをついてきます(常に戦闘モードです)!
私が英語を勉強し始めた時、文法は頭に入っているのに、ボキャブラリーがないために言いたいことが言えないという悔しい経験を、もう嫌というほどしました。
そんな経験から言えば、基本的な文法とボキャブラリーは、あって損になるものではありません。



意味があるかないかは二の次

英語のみならず他の教科の勉強も、こんなこと知らなくても生きて行けるわよ!といったお勉強も多々あることは否定しませんが、それでも知らないよりは知っている方がいいことは沢山あります。
使うか使わないかではなく、まずは知るということです。その中から将来自分を助けてくれるものが見つかるかもしれません。
要領よく最低限必要なことを学び、合理的に生きようなんてことは、若者には不要です。無駄になるかもしれないこともどんどん試して、視野を広げることは大切なことです。
そんな訓練を若い頃に積んだからこそ、のちに無駄なく生きるための判断、選択ができるというものです。
今の子供たちは、あまりにお利口さん過ぎます。
我が子を見ていても感じることですが、大人というか冷めているというのか、なんでも合理的にことを運ぼうとし、バタバタと足掻くことを格好が悪い、頭が悪いと切り捨てようとします。
周りから見たら「あんなことやって、馬鹿じゃなかろうか?」「無駄なことに一生懸命になって、アホだわ〜」と、呆れられるくらいの方が人間力はつくのになぁ。。。と思うのですがね。
受験勉強に限らず、本人が必死になってやったことは決して無駄にはなりません。
全てのことが役に立つとは言えませんが、逆に言えばどこかで役に立つ可能性もまた皆無ではないのです。
だからと言って無理強いはしませんが。。。
本人がこれはしなくていい苦労だ!自分にとってマイナスにしかならないと思うのなら、それは結果的に無駄な努力となるでしょう。
本人が強く望み、自主的に頑張ってこそ力になるものです。そして、それを生かすも殺すも本人の生き方次第ということになります。

まとめ

とある予備校の先生が「英語を制す者、受験を制す」と言っているのを聞いたことがあります。
色々な大学の受験詳細を見ていても、確かに英語配点を高くしている大学、学部も増えています。
これをみる限り、将来的には英語を使うことができるのはアドバンテージになるのかもしれません。というか、それが当たり前の社会になっているかもしれません。。。
結論としては、受験英語もしっかり勉強しておいて損はないんじゃない?ということです。
生きた英語を学びたければ、その後の人生でしっかり学ぶべき機会はありますからね。