専業主婦という生き物

〜フランキーの日常茶飯〜

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自分に自信がある人は幸福感が高い。思い込みで彩るある婆さんの人生。

最近知り合った70歳近い婆さんの話です。
この婆さん、最初に会った時はあまり印象がよくありませんでした。化粧っ気のないシミだらけの色黒肌にも関わらず、ニコリともせずに仏頂面。
きっと誰からも愛されずに生きてきたへそ曲がりな婆さんに違いない ‼︎ などと思っていたのですが、いざ話してみると、なかなか茶目っ気があり面白い人物。ちょっと子供っぽいところもありますが、人生の先輩として、こんな生き方もあるのだなとお勉強させて頂きました。




婆さんの人生

さて、そんな婆さんについて一番驚かされたのが、自分の人生に対する幸福感の高さです。
女として見ると、その容姿は決して美しいとはいえません。顔がまん丸に膨らんでいるオカメ顔で、造作も目も鼻もちっこいのに、唇だけが分厚いへの字ときています。体系も小太りのずんぐりむっくり。周りの男性達も怖くてお近づきにはなりたくないと退くほどです。
実生活はといえば、行かず後家の引きこもりアラフォー娘が一人いますが、夫とは相手の浮気や生活費をもらえないことで早くに離婚。以来、女手一つ働きまくって子供を育て、その傍ら親の介護で十数年を費やしたといいます。
それだけ心と体を酷使しているのですから、当然のことながら病気にもなり、複数回大掛かりな手術や入院生活も経験したそうです。
そして70歳近くなった現在も、行かず後家ニートな娘を養うために、パートなどを転々として働きまくっているそうです。

一見すると、なんという不幸な人生なのかしら。。。と思わずにはいられませんが、本人の思いは違います。

「とっても幸せ。また生まれ変わっても、この自分で同じ人生を送りたい!」

そう自信たっぷりに仰います。
欲深き私など、次に生まれ変わってきた時には、男に産まれてバリバリ稼いで、モデルみたいな若くて美しい女をはべらせてやるわ!とか、もし女だったら超玉の輿に乗って、毎日高級鉄板焼き屋や老舗の鰻屋に通ってやるわ!
な〜んて下世話なことを夢想したりします。
しかし婆さんは違います。夫に裏切られようが、娘の面倒を見続けようが、腰に湿布を貼りながらも毎日体を行使して働く人生を選ぶというのです。

そんな婆さんですが、本人の認識は他者と大きな隔たりがあります。

婆さんが幸せな理由とは

ラッキーな人生
「私って、昔から運だけはよかった」
最初にこの言葉を聞いた時、「マジか ⁉︎」と思った私。
婆さんのこれまでの人生を聞く限り、総体的にみれば決してラッキーではありません。
にも関わらず、婆さんがこれほど自分の人生に満足しているのは何故なのか、正直言って解せません。
70歳近くにもなれば達観するのか?とも思いましたが、同じ年代の知り合いなどは、自分の不遇を嘆き悲しみ、毎日愚痴三昧の生活を送っている人もいます。
人間とは不思議なもので、気の持ちようで見える景色も違ってくるものです。
人生も然り、どんなに不運でも自分がラッキーだと思っていれば、決してラッキーでなくともそんな風に思えてくるのかも知れません。

人の話を聞かない
この婆さん、人のお話にはまったく耳を傾けません。
他人の事にはまるで興味がないからです。
誰かが「今夜の晩御飯は豆乳鍋にするわ!」といえば、ほとんどの人は「あら、寒いからいいわよね」「美味しいのよね〜」など、一言コメントをするものです。しかし婆さんは「私いい肉買ったからしゃぶしゃぶよ」と、他人の言ったことは軽くスルーして、自分の話題にしてしまいます。
別の時は「あのチョコレート、美味しいのよね」と誰かが言えば、「韓国旅行に行きたいのよね」と、まるで違うお話にしてしまいます。
このように、婆さんにとって人が何を言おうがお構いなし。
さらには、他の人が自分の子供の自慢話などをすると、さらに上を行こうと、行かず後家ニート娘がいかに優しい子かを延々と語ります。
これらから見て取れるのは、婆さんの自己評価の高さです。自分のやること、考えていること、もう全てが人よりも優っていると思っていて、それを惜しげもなくアピールするのです。
とにかくそれが忙しく、人の話を聞くどころではないというのが本当のところなのかも知れません。

常に自分が主役
とはいえ、この婆さんにとって人生の主役は自分なのは確かなことです。言ってしまえば誰でもそうなのですが、婆さんの場合は脇役の存在しない人生です。
誰が何をしようが知ったこっちゃない、婆さんだけの人生なのです。
たとえ夫が浮気しようが、娘が嫁に行かず自分に寄生し続けようが、度々の大病に何度病院のお世話になろうが、身体中に湿布を貼り、体調不良に悩まされながら仕事三昧の人生でも、それでも幸せであると思えるのは、他人との比較がないせいなのかもしれません。
比較する相手がいなければ、自分の位置が最高の場所か、最低の場所かわからないものです。
一人芝居だからこそ、競争相手もいなければ、自分が勝ち組なのか負け組なのか、現実と向き合うこともありません。
婆さんは自分を常に主役におく一人芝居の人生を送ることで、他人との比較という愚かな行為を知らずに生きているのです。

やりたい事はなんでもやったと思い込んだ人生

「人生色々あったけど、自分の好きに生きてきた人生だからね。何一つ後悔はないね!」

これが婆さんの口癖です。
それはそれは破天荒に生きてきたのか?と期待させる言葉ですが、話を聞いている限り、特に珍しい経験をしたとか、稀有な体験をした感じはありません。それはごくごく普通の女の一生、というかどちらかといえば苦労の多い女の人生としか感じられません。その苦労も、ありきたりなダメ夫との離婚や身を粉にして働いてきたというくらいのもので、ビックリするようなお話は一向に出てきません。
それでも婆さんにとっては、全て自分で選んで勝ち取ってきた人生だ!という満足感が感じられるのです。
人の人生とはそれぞれ違うものですが、またその感じ方もしかり。
大きなことをやろうが、ありきたりな日々を過ごそうが、自分で選びとってきたという自信が、平凡な人生さえも特別にしてしまうのかもしれません。
客観的に見れば、婆さんの人生は他人からの難題を突きつけられるような人生です。その果てに決断を迫られ、自分で選択してきたというだけで、自分が好きで選んだわ人生というわけではありません。しかし、それを「好きに生きてきた人生」と脳内変換するこの婆さん、その幸福感とは、まさにこの言葉に集約されているのです。

幸福感の鍵は「強さ」

何もかもか満たされているように見えても、実際に自分は幸福ではないと思っている人も少なくありません。
一方でこの婆のように、決して恵まれた人生でなくても幸せいっぱいと感じている人もいるのです。
この婆さんの幸福感がこれほどまで高い理由とは。

●自分に自信があり、自己評価が高い。
●自分は幸運の星の元にいると思い込んでいる。
●他人と自分を比較しない。

なるほど、これは幸福感が高いわけだ!と思わず唸ってしまいましたよ。
これってつまり、「強い」という意味なのです。
自分だけを見つめる強さ、自分がひとかどの人物だと思える強さ、自分には良いことしか起こらないと思える強さ、そして他人と自分の人生を比較せずに、我が道だけを見つめて歩ける強さ。
婆さん、恐るべしです。。。

私はこの婆さんのようにはなれません。これまでの人生で、社会の底辺から天辺に近いところまで、あらゆる場所に身を置いてきたせいで、どうしてもその比較をしてしまうのです。
美味しいものを知らなければ、それが食べられないという苦しみはありません。
この婆さんの強さとは、美味しいものを知らないということすら知らないということです。つまり小さな世界の中で主役を生きる人生で満足しているという、欲がないところなのです。
人はあれもこれもと色々なことを知りたがり、経験したがり、手にしたがりますが、自分の手の平に落ちてきたものだけを受け取る人生こそが、婆さんにとって「生きる」ということなのです。




この婆さんを見ていると、人の幸せって一体なんなのさ!
そう思わずにはいられません。
私は欲張りなので、もっともっと色々なものを見て、知って、経験してみたいと、この年齢になっても好奇心が落ち着く事はありませんが、婆さんが「私は幸せだ!」とニコニコしているのを見ると、これもまた人生なのだと思うのです。
笑って生きるも一生、泣いて生きのも同じ一生です。それなら何があっても笑って自分の道を生きていこう!
そんな婆さんに気概に満ちた生き方が、婆さんを幸せにしているのです。
なかなか学ぶべきところはあります。

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