専業主婦という生き物

〜フランキーの日常茶飯〜

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お金が欲しい? 本音はイエスでも、あまり欲をかくとお金は逃げていきます。つまり欲張りは損をするということ。

「お金が欲しいか?」
そう聞かれて「欲しくない」などという人はいないでしょう。私も普段からお金が大好きだと公言し、お金の話も喜んでしますが、お金に関しては決して「欲張らない!」と常に自分に言い聞かせています。

お金というものは人をわせ幸にもすれば、不幸にすることもあるものです。お金に対する考え方、遣い方を誤ったばかりにお金の問題から解放されず悲惨な人生を送っている人もいれば、逆にお金に対して綺麗な考えを持ち、上手に遣い素晴らしい人生を謳歌している人もいます。
知人の資産家男性は常に「欲張るな!」そう言っています。欲を捨てて身の丈に合ったお金との付き合い方をすれば、おのずとお金は入ってくると。反対に欲を張れば張るほどお金の方から逃げていくものだと言います。
よくよく周りのお金持ちたちを見ていると、みんな同じようにお金に対してガツガツと欲張ったところがありません。




「好き」と「執着」の違いを知る

世のお金持ちはお金が大好きですが、ほとんどの人はお金に対する執着心が見えません。ここが大きなポイントなのです。
お金が大好きだからこそ、お金を稼ぐことには貪欲ですが、それと同じくらいお金離れもいいものです。お金離れとは文字どおり、お金を手放すことです。普通であれば「そんな大金もったいない。。。」と思うような額のお金でも、必要な場面になると天晴れ!というくらい気持ちよくお金を差し出します。
それはお金持ちだからでしょ?と思うかもしれませんが、そうではないケースもあります。すべてのお金持ちが生まれてから死ぬまでお金持ちであり続ける人ばかりではありません。いい時もあれば悪い時もあるで、それほどの余裕を持たないこともあるのです。
しかし不思議なことに、そんなお金持ちたちは危機に瀕しても必ず挽回し、以前よりも大きなお金が巡ってくることも多いのです。これはお金に執着することなく、健全な心でお金と向き合い、稼ぐことを楽しんでいるせいなのだと見ていてわかります。「昨日よりも1000円儲かったよ!」そんな些細なことに喜びを見出したりしているのです。
もしもこの方々がお金に強い執着を持っていたとしたら、「たったの1000円ぽっち? もっともっと欲しい!」としゃかりきになり、ゼロの数にしか関心がなくなり、それ以外は目に入らなくなることでしょう。
つまり、お金に執着するということは、心の余裕をなくすということなのです。余裕がなければ自分の人生にとって何が一番大切なものか、考える暇もありません。あれも欲しい、これも欲しい、そのためにはお金が必要だとばかりにマテリアルに走り、家だ車だブランド品だとローンを膨らませ、お金に執着するようになってしまうのです。
お金というのは好きになるものであって、執着するものではないということです。

欲深さが招くもの

いつもお金に関するトラブルを抱えているという人がいます。借金はもちろんのこと、お金を巡って人と争いを繰り返し問題をどんどん拡大させていくような人です。
これは全て欲の深さが招いているのです。1円でも多く欲しい、1円たりとも人には渡したくない!そんな欲の深さが人生をどんどん悪い方へ導いていきます。

人間関係の悪化

どんなに親しい間柄でも、一度お金のトラブルに遭うと途端に関係は崩れていきます。骨肉の争いにあるような遺族間の財産分与争いなどがいい例でしょう。仲の良かった兄弟がお金を巡って争い、挙句に完全に縁を切るという話は珍しいことではありません。
私の親族でもそんな人たちがいました。これまでは仲の良い兄弟であったのに、相続問題がきっかけになり長いこと争い、最後はお互いの消息すら知らない仲になってしまいました。ともに育った血を分けた仲良し兄弟がそんな風になってしまうのですから、人の欲とは恐ろしいものです。
こんな出来事を見てきたので、私は自分の父親が亡くなった際には相続放棄をしました。特にお金には困っていませんでしたし、必要とするようなこともなかったので、父がコレクションしていた骨董品や宝飾品などを形見分けという形で譲り受け、あとは兄弟の行為でちょっとした不動産を譲ってもらっただけです。当時、周りの人たちからは「もらえるもの、権利のあるものはもらっておけばいいのに」などと言われましたが、当時は私よりも兄弟の方がお金が必要な時期だったので辞退したというわけです。
そして10年以上経った現在、兄弟からは「お金が必要なことがあれば援助するから言いなさい」という申し出をいただいています。それは相続の時に欲を出さずに、必要な人に譲ったせいだと思っています。私が放棄した相続分を運用でもしたのか、少しずつそんなお金を大きくしていったようです。つまり、もしも私が相続していたら、湯水のごとき贅沢な無駄遣いで消えていたお金を、兄弟が上手に増やしてくれたというわけです。おかげで元々ウマの合わない兄弟とも縁を切るようなこともなく、なんとか付き合いを保てています。

肉親でなくてもお金が原因で人間関係が悪化するというのはよくあることです。お金の貸し借りを巡ってそれまで良好だった関係が一転したり、共同でビジネスを起こしてみたものの利益の分配で揉めたりと、お金が原因で本性が見えるということもあります。そして挙げ句の果てには、あの人はお金に汚い!などと噂が広まり、人から蔑まれるようになります。
一度お金に関する信用をなくすと、そのイメージを回復するのは非常に難しいものです。ほとんどの人はもう二度と関わり合いたくないと思うことでしょう。
どんなにいいご縁に恵まれても、お金のせいでその縁を断ち切られてしまうことは、自分の人生にとってもお金以上に大きな損失になることは間違いありません。おつき合いする人などいくらでもいるからいいのよ!と開き直る人もいますが、そんな人はいつになっても人生が好転しないものです。
お金のトラブルを抱えている人の多くが人間関係に問題を抱え、一定の人と長くお付き合いを続けることができません。一度仲良くお付き合いをするようになっても、お金の遣い方や考え方の汚さにどんどん人が離れていきます。そしてそんなことを繰り返して一生を終えるのです。

判断力を誤る

お金に目がくらむと正常な判断ができなくなることが往々にしてあります。
賭け事などもそうですが、少しでも勝つとそこでやめておけばいいものを、もっともっとと欲をかいて結局は全てを失ってしまうという経験は誰にでもあるではないでしょうか。ゲーム感覚で一攫千金を狙うならまだしも、増やしたいと思うのならあまり欲を張らず冷静に判断することです。
物事はお金だけを見て判断すると、全体像が見極めづらくなり、結局は判断を誤り、残念な結果になることも多いものです。
本来なら自分の損得以外の部分も考慮するところが、お金に目がくらんで最も大切なところを見落としてしまうせいなのかもしれません。

家族への影響

お金に対する考え方が汚い、またそんな気持ちで生活をしていると、それは家族にも伝染していきます。子供などは特に親からの影響を多分に受けるものです。お金のためなら人と争うことも厭わない、常に「お金!お金!」と奔走している姿を見て育てば、子供にとってそれが当たり前の生活や考え方となり、大人になった時に親と同じような生き方をする可能性が高くなります。

また、とにかくお金を得たいとそれが生きがいのようになってしまうと、家族よりもお金を選ぶようになります。質素な生活をしながら家族と共に過ごす時間よりも、お金を稼ぐ時間を優先するようになるのです。それによってしわ寄せを食うのはまさに子供です。お金にばかり目が行き、放置された子供の荒れた心に気づかない。そんなことにもなりかねません。
子供だけでなく夫婦間のコミュニケーションもおざなりになることもあります。お金に振り回されているがために疲れ切り、余裕をなくし顔を合わせるたびに喧嘩。。。どちらが家事育児の負担が重いかなどお互いに不満を募らせて険悪になってしまっては、家庭そのものが暗くなってしまいます。
お金では買えないものがある。。。よくそう言いますが、ほとんどのもは買えます。時には人の心も買うことができるものです。しかし、買えないものもあるのも、また事実です。健康や運、まがい物でない人の心などは、お金で買えないものです。この世にお金よりも大切なものがあるのは確かなことなのです。

時には損して得とれ

お金の価値とはプラスかマイナスかで計れるものではありません。たとえ自分の懐にそのお金が入ってこなくても、別の価値あるものがお金の代わり入ってくることもあるからです。
数字の上では一見損をしているように見えても、実はもっと大きな実を手にれる種まきになっていることも往々にしてあるものです。損して得とれではありませんが、金銭的には損になるようなことでも、結果的には得をするということもあるのです。
損得ばかり考えずに、多少お金は損をすると思っても、お金以外にどんん価値が得られるかをまず考えてみることも大切です。

自分への投資だけ?

少しお金に余裕ができると「自分への投資」と言って、自分にたくさんお金を遣う人がいます。美味しいものを食べたり旅行へ行って英気を養ってみたり、学校へ通い資格を取得してみたり。。。向上心があり、なおかつ人生を楽しんでいるのは非常に素晴らしいことで、私も大いにやるべきだわ!と思いますが、中には自分の利益になることだけに夢中で、人への配慮を全くしなくなる人もいます。とにかく自分が輝くことだけ、何者かになること、それだけを考えて自分にしかお金を遣わないような人です。
概して、これまでお金に苦労してきた人が、一度小金を握ると陥りがちなパターンで、人からしてもらったことは当たり前とばかりに受け取り、人に還元するということを知りません。私の周りにもそんな人がいますが、栄華は一時のことで、長い目で見るとこんな人は結局あまりいい目を見ている人はいません。
何事もバランスです。人から施してもらったら、そのぶんくらいはお返しをすること。人が自分のためにお金を遣ってくれたら、自分も同等の価値あるものでお返しをする。つまり自分の出来ることを人のためにするということです。そんな気持ちがまた新たなお金を運び込んでくるものです。
自分を磨くことに躍起になるよりも、自分にできた余裕を何らかの形で他人に還元できる人、そんな人の元にお金は集まってくるものです。



カネは天下の周りもの

まさに「金は天下の回りもの」ということです。これはお金をどんどん遣えば、また自分の元に回ってくるというものではないと思っています。
自分の楽しみのためだけに無駄遣いを繰り返し散財するということではありません。有益なものに投資する、またそれを必要とする人に対してお金を遣うことが、回り回って自分に返ってくるものだと理解しています。
自分の貯金通帳にお金が貯まってくれさえすればいい、自分だけが贅沢な生活ができればいい。そんなふうに考えてばかりいる人に大きなお金は巡ってきません。働きさえすれば多少のお金は入ってくるでしょうが、それは苦労の代償であってお金と縁を結んだことにはならないのです。
私はよく例に出すようなお大金持ちではありませんが、あまりお金には困ったことがありません。いつもお金が必要だな。。。というタイミングでお金が入ってくるからです。人はそんな私に「金運がいい」などと言いますが、よくよく考えてみれば運だけではなくそれまでに自分が蒔いた種が必要な時に開花してくれているのだと思います。運がいいとしたら、そのタイミングが合うということでしょう。
かつて人助けのために買い取ったものがのちに高い値をつけるようになったとか、かつて助けた人から助けられたり、そんなことがよくあります。見返りやお金を期待したわけではなく、自分に出来る範囲のことをしただけのつもりでも、お金の神様がそれを投資に変えてくれたのだと解釈しています。
お金に不自由せずに生活している人たちは、お金を手に入れることのみならず、世の中へ出すことも喜んでしています。そして自分だけでなく周りにいる家族や友人知人にも、同じように成功して欲しいと援助を惜しみません。
貯蓄することも大切かもしれませんが、お金を自分のためだけにしまいこんでいるような人で大きなお金を所有している人は、私も周りにはいません。
自分の幸せのためにはもちろんですが、人のためにも生きたお金を遣う。つまり、人がささやかでも幸せを感じるようなお金の使い方をできる人の元にこそ、お金は集まってくるようです。
たとえ今お金がないとしても、欲をかかずにお金に対するリスペクトと正しい考え方を持っていれば、お金は必ず巡ってくるものだと私は思っています。

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