お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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「もっと早くに出会っていれば」も運の良し悪し次第。タイミングとはすなわち運。

「もっと早く出会っていれば。。。」
などと言うと、なにやら道ならぬ恋でもしているような感じですが、残念ながらそんな色気のあるお話ではありません(笑)

暇を持て余していたお正月、久し振りにブラリと本屋を覗いてきました。
そこで、かつて大変お世話になり、私の人生に多大な影響を与えたある方の新刊著書を見つけました。



その方、O氏と出会った時、私はまだ20歳。一回りも年上のその人から、自分らしく生きるためのヒントを沢山頂きました。それが今の私を作ったと言っても過言ではないほど、この人のような生き方がしたい!と強く思ったものです。

好奇心が旺盛で、自分の好きなことには凝りに凝って猪突猛進。ここぞという時は勝負にでる男らしさと破天荒な振る舞い。そのくせ物腰柔らかで、いつも飄々と人生を楽観視しているような人でした。

四年余りO氏の側にいて、もう「卒業だわ」と勝手に離れた私なので、その後一度お会いしただけで、もう何十年もお目にかかってはいません。
それでも時折メディアに登場する姿や、著者やブログなどを通して、その活躍をこっそりと覗き見るというようなことはしています(笑)

そこには、今でも変わらないその人の姿があります。興味を持ったことにはすぐに飛びつき実行する。
明日は明日の風が吹くと、飄々と生きているところ。
やはり、この方はいくつになっても私のお手本なのだなと思うのです。

さて、そんなO氏の新刊著者ですが、昭和の時代に名を馳せた、ある故人の人生訓を書いたものです。
私もO氏を通じて何度もお会いしたことがあるのですが、それはそれは魅力的な方で、まだ若かった私にとっては、宝の持ち腐れというほどにもったいない出会いでした。
もしも私がもっと早く生まれて大人だったら、その出会いを更に有意義なものにすることが出来たことでしょう。しかし私にとってその出会いは完全にタイミングを外していたのです。
まだ子供だった私は、ただ屈託無く若さゆえの傲慢さモロ出しで、その方から何かを学ばせて頂くなんて気持ちの欠けらもありませんでした。
ただ、その人の好意に甘えるだけ甘え、それが当然なのよとばかりに振舞っていました。
数年前、その方が天寿をまっとうされた際、家からほど近い場所でお別れの会が催されました。ニュースで知ってはいましたが、私は行きませんでした。「人間、死んだらそれで終わりだよ」故人が昔言っていたそんな言葉のせいかもしれません。
それが、ほんの少し心に引っかかっていました。


ちょっとお話しが逸れましたが、O氏の新刊著者を読んでいるとき、
「ああ、もっと早くこの本と出会いたかった。。。」
と、心底思いました。
件の故人が語ったことに、こんな意味があったのか。。。
こんな思いで、あの話をしてくれたのか。。。
そんな気づきが沢山あったからです。
それは私が生きる上で必要としていた言葉達だったのです。
それらをしっかりと理解できていたら、これまでの躓きも回避できたのにと。。。
それと同時に、当時O氏はこんな思いを抱えていたのか。。。
あの飄々とした姿の裏にこんな苦悩もあったのか。。。
そんな沢山の裏側に気づくことができたからです。
もしもあの頃、私がもっと大人であったなら、もっと共有できることがあったのに。。。そう思うと、タイミングの悪さに悲しくなります。

人との出会いもそうですが、この本のように「物」との出会いもタイミングが大切だということなのです。
自分が何かに悩み苦しみ、答えを探しているときには出会えず、すべて失った後で出会うというタイミングの悪さ!
これはO氏との出会いにおいても同じように感じます。
O氏やその著名な方との出会いは私に大きな影響を与えはしたものの、出会うタイミングがベストでなかったのです。

かつての私はO氏の鞄にくっついたチャームのようなものでした。そこには人間同士の尊敬といったものはなかったでしょう。O氏にとってはただお気に入りの物をいつも手の届くところに置いておく。たまに役に立つこともあるけれど、ただキラキラとそこに華を添えてくれればいい。ただそんな存在だったのです。
もちろん当時の自分はそう思ってはいませんでした。愚かにも氏とは同等であるかのように思っていました。
しかし、自分がこの年齢になってみればわかります。あの頃の私にあったのは若さと無鉄砲さだけです。そんなことはとうの昔に通り過ぎてきたO氏にとっては、なんら学びになるようなものはなく、私から与えられるものなど何もなかったのです。

その証拠にO氏は今でもあの頃と変わらない生き方をし、私はといえばO氏をお手本としたような生き方を模索し続けています。
だからこそ、もしもお互いに影響を与え合えるタイミングで出会えていたら、私も今とは少し違った生き方ができたのでは?と思うのです。

そのような事に想いを馳せるのは無駄な事とわかっていても、いつまでも悔しい気持ちに囚われてしまうのは、O氏の存在こそが、未だに私のアキレス腱だからなのでしょう。
なんと言っても、初めて尊敬しまくった「大人」でしたから。。。

新年早々、タイミングの悪さに思い当たり、ちょっと凹んだりもしたのですが、O氏ならきっとこう言うでしょう。

「出会いが遅すぎた? そうではない!その時必要だからこそ、出会ったんだよ!」

確かに、鞄につけるチャームほどの価値も無くなった劣化した中年と化した私の姿を見たら、まさに「出会うのが遅すぎだよ。。。」と笑われてしまいそうです(笑)

O氏にまたお会いしたい気持ちもありますが、キラキラとしたチャームのイメージのままいるのも悪くないかなと思ったりもします。
きっと、ご縁があれば再びお会いする機会もあるでしょう。なければないでそれも運命!
それこそ、O氏が私に与えてくれた人生訓だということ、忘れていました。。。

タイミングなんてものも「運」の一つ。
タイミングを外したら、運が悪かったとさっさと諦め、タイミングが合えば「ラッキー!」と喜べばいい。
人生なんて、そんな大層なものではない。もっとシンプルに考えて、日々一生懸命に生きていけ!

それこそが、若かった私にO氏が教えてくれた事なのです。