お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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人の自慢話はありがたく聞こう。ねたまず、真剣に耳を傾ければ己の得となる。

「自慢話」と言えば、なんとなくネガティヴなイメージがありますが、私は結構聞くのが好きなのです。

「このバッグ見て!70万もしたけど奮発しちゃったわ」
そんな「思い切り自慢させて!」といった開けっぴろげな自慢を聞けば、本当に欲しいものを手にした喜びが微笑ましかったり、素敵なものを知り、見ることができたとこちらもワクワクします。

「うちの息子、お陰様で◯◯大学に合格しましたのよ」
そう聞けば、どれだけ勉強したら、またどんな学習方法で合格を手にしたのか興味が湧きます。
受験中は誰もがライバルと口を噤んでいた人も、受験が終わればあれこれと美味しい情報をくれたりするので、心置きなく質問を投げかけることができます。

「これ、彼氏が買ってくれたの。今日もこれから◯◯で晩御飯食べるのよ」
そうくれば、男性から大切にされる女性ってこういう子なのね。と参考になったりもします。

つまり人の自慢話の多くのものに、自分の人生を向上させるヒントが沢山隠れているということです。
私が人の自慢話は喜んで聞くべし!と思うのは、そういった理由からなのです。




それは本当に自慢?

自慢というのは概して受け手側の感じる感情ではないでしょうか。
というのも話している本人は自慢しているつもりはないといった事が案外多いものだからです。
私自身も経験がありますが、自分は参考になればと話したことや、ただ聞かれたことに答えただけで、それが自慢話であると取られたことがあります。
本人からすると、「なんでそうなるの?」と不思議ですが、聞く人によって、ただの世間話が自慢話になってしまうこともあるのです。
例えば、独身アラフィフ女性から、「今夜の晩御飯は何を作るの?」と聞かれた際に、「今夜は主人がお休みだから、作ってくれるそうなの」
そう答えただけで、「優しい旦那さんがいるって幸せ自慢?」と陰で言われた事がありました。
また、とっても健康な人が「お金がなくて大変だわ」と話しているとき、「健康なんだからどうにでもなるじゃない。お金は作ればいいけど、健康はそうもいかないから」
そんな会話に対しても、「お金を持ってる自慢?」ととられてしまいました。
つまり、そのお話が自慢話になるかどうかは、受け手側の判断になるということです。聞く人が変わればただの世間話も自慢話になってしまうということなのです。

共感なんていらない

もしもあの時、
「うちの主人なんてなにもしないから居なくて同然だわ」
「私もお金がなくて大変なのよ」
そんなふうに、相手の心に同調すればきっと自慢とはとられることはなかったのかもしれません。
女性は共感を求める人が多いと言います。共に同じように苦しみ、悲しむことで安心するといいます。
しかし、私はそうしたことが大嫌いです。共感はいいのですが、傷の舐め合いはなんの得にもなりません。
人生が上手くいかない同士、辛いわよね、悲しいわよね、大変よね。。。そう愚痴り合うくらいなら、素晴らしい人生を生きている人の自慢話を聞いていた方が、よほど気持ちがいいと感じます。

妬まない、僻まない、羨ましがらない

私は自分の人生を生きる中で、他人を「妬まない」「僻まない」「羨ましがらない」、つまり「嫉妬はしない」と肝に命じています。
このようなネガティブな感情が自分にもたらす利益は何一つないからです。
もちろん私だって平凡な人間なので、時には羨ましさを感じたり嫉妬したり、グレーな感情が顔を出すこともあります。でも、そんな時は意識してネガティブな感情を追い払うようにしています。
そうして気分を変えたら、今度はその人がどのようにして、自分が羨ましいと感じたものを手にしたのかを探ろうとしています。
見栄も外聞も捨てて、「どうやったら手に入るの?」と、直球で尋ねるのです。
人が羨むようなものをたくさん持っている人というのは、人から妬まれることが多いので、素直に「いいなぁ。私も手に入れたいから教えて!」と望めば悪い気はしないようです。皆さん案外親切に助言してくれたり、情報提供してくれたりするものです。

上等な人間の自慢話

自分と「どんぐりの背比べ」くらいの人間関係の中では、誰かが頭1つ抜け出すと、胸がワサワサするものですが、最初から勝負しようがないくらいの人と付き合っていれば、開き直ることができるものです。
その点で、私は非常にラッキーでした。周りの友人知人達は成功している方が多くいるため、羨む以前に最初から降参。学べるところは学び、盗める技は盗むわよ!といった気持ちを作ることができたからです。
そんな人間関係の中にいるうちに、自分の生活も大きく変わってきました。
それは見聞きすることを自慢などと思わず、学びと捉えたお陰だと思っています。嫉妬することなく、自分がそこへ這い上がる糧とすれば、自ずと自分も向上するということです。

だからこそ、人が「あれはただの自慢だわ」と思うようなことでも、興味を持って真剣に聞くようにしているのです。
こんな風にちょっと考え方を変えれば、自慢とは決して悪いものではないということです。
自慢する側から見れば、自慢できるようなことがあるのは素晴らしいことです。また、自慢される側からしても、その話から自分が成功するアイデアを見つけることができるかもしれないのです。
どちらにしても、喜ばしいことではありませんか!
妬み嫉みといった感情を捨てれば、人の自慢も楽しいものになるものです。