お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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「運命の出会い」とはなんとも都合のいい思い込みだけど、それで未来が変わることもある。

先日、たまたま行った街の百貨店で、素敵な鞄と出会ってしまいました。
「物欲はすっかり減退したわ」などと言ってはいますが、未だに鞄と靴には目がいってしまう私。
最近はなかなか気に入ったものがなかったのですが、季節が変わるせいかちょっと春っぽいそのバッグに目を奪われてしまったのです。

今あるものを見直して、断捨離してから新しい物を買おうと思っていたのですが、鞄と靴に関してはまだ済んでいない状態です。本来ならば見送るところですが、着色していない自然な革の色のバッグで、手持ちのバッグにはない素敵なお色。
しかもお値段もそこそこで、あ〜どうしょう。。。と(笑)




この日、目的地へ向かう道すがら、買い物などする予定のない某百貨店へ通り道として入り素通りするつもりだった私。
目をつぶって歩いているわけでもないので、当然のことながら両脇にズラリと並ぶ商品が目に入るわけです。
照明の加減なのか、百貨店の中というのはなんだかキラキラしていて、ついつい目を奪われてしまいます。
そんな中、例のバッグが。。。
そこだけスポットライトが当たっているが如く目を惹くバックに吸い寄せられ、あら素敵!と手に取り鏡なんぞを覗いてみてたのです。
その日着ていた白い服になんとも似合うではありませんか!

「あ〜、どうしよう。。。」
どうしようというのは買うか買わないかではありません。黒かライトブラウン、どちらにするかです。
もう買うって決めちゃってるんですね(笑)

ああでもないこうでもないと悩んでいる時間はないので、結局季節を考慮してライトブラウンをお買い上げ。
バッグを見つけてから、2分くらいの出来事でした。

私は買い物をするとき、あまり悩みません。本当に気に入った物しか買わないと決めているのですが、そのような本気にさせてくれるような出会いってそうそうあるものではないからです。
なので、出会ったときは「これは運命の出会いだわ!逃したら後悔するわ」と、即決するのです。

これまでの経験上、買った後悔よりも買わなかった後悔の方がはるかに上回る結果になるとわかっているからです。ちゃんと記録などとっているわけではありませんが、自分の中では統計上そうなっているのです。

「運命の出会い」なんて、なんと都合のいい言葉か!と、私の消費行動の理由付けに外国人夫などは苦笑しますが、出会いとは人でも物でもそんなものなのではないでしょうか。

例えば普通にいつものルーティーンで生活していたら出会わなかった人と、ひょんなことから出会うなんてことがあります。
本来ならあい交わることのないような人とご縁ができるなどというとき、まさにそれは運命ではないかと思うのです。
喜びだけでなく苦しさや悲しみなどというネガティブな感情が生まれる結果になったとしても、そこには人間としての学びがあったりします。
その人と出会わなければ決して持つことのなかった時間や感情です。
これほど多くの人が行き交う中、自分が一生のうちで出会える人の数などたかが知れています。そんな数少ない出会いの中で選ばれたもの同士です。そこには何かしら、自分の意思ではどうにもならない力が働いているはずです。

よく「運命の相手を見分ける」といった読み物を目にしますが、私からしたら出会った人全てが運命の人なのではないかと思うのです。
たとえすぐに別れてしまうような相手であっても、出会えたことこそ奇跡だと。
その人と出会わなければ持てなかった感情、知ることのなかった事、行かなかった場所など、起こり得なかった出来事など、新しい出会いによって、さらにまた新しい様々な事に出会うことができるのです。

物でも同じです。買うはずのなかった物を買うために費やしたその時間が、少しのズレを生んで、自分の未来がまた少し変わるなんてことだってあるかも知れません。
つまり人でも物でも、その出会いによって自分の人生が変わるというのは往々にしてある事なのです。
良い方に変わるのか、はたまた悪い方に転ぶのかは神のみぞ知るですが、自分の人生に大なり小なり影響を与える、それが「出会い」というものなのではないでしょうか。

だからこそ私はどんな小さな出会いにも「これぞ運命だわ」と、気持ちを向けるようにしているのです。
時にそれは外国人夫の言うように都合のいい考えかも知れませんが、「運命の出会い」が毎日毎日そこら中に転がってると思うと、どんな事も時間も決して無駄にする事なく、些細な事にも大切に向き合っていこうという気持ちになれるのです。

買った新しいバッグを手にお出かけした先で、ひょっとしたら素敵な事が起こるかも?などと、これまた都合のよい想像をしながら悦にいるのでした。