お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

Sponsored Link

上野『みはし』のホカホカお赤飯。美味しいお赤飯は和菓子屋にあり!

お赤飯、大好きです。
お祝い事がなくても、時折自分でも作って食べますが、実家で作っていたような、本格的にセイロで蒸したものではありません。

今は便利なもので、もち米、ささげ、そしてささげの赤い汁まで一気に入れて炊飯器であっという間に出来てしまうお赤飯キットがあるのです。

それで本当に美味しいお赤飯ができるの?と、私も最初は懐疑的でしたが、実際に食べてみると、それはそれでなかなか美味しく、その手軽さも手伝って、すっかりインスタントお赤飯ばかりになっています。

それでも時折、しっかりともち米の美味しさが感じられる本格的なお赤飯が食べたくなることがあります。
そんな時の救世主が街の和菓子屋さんです。

先日、久しぶりに上野の『みはし』さんであんみつを買いましたが、「なんかお腹が空いたわ!」と思い、和菓子屋と言えば「お赤飯!」と頭に浮かび、ショーケースの上を見ると、もちろんありました!

頼んでから用意するようで、少しだけ待ちましたが、ホッカホッカのお赤飯がきました。


付け合わせのカップを避けてみると、、、お茶碗で軽く2杯ほどもあろうかというくらい、たっぷりと入っていました。
お値段は540円(税込)。この安さも嬉しいです。

付け合わせは紀文の竹輪に壺漬け、紅生姜に昆布の佃煮。

ささげもしっかり入っていて、適度な硬さを残したモチっと食感は、インスタントお赤飯とはやはり違います!

黒胡麻もたっぷりついてくるので、上野公園あたりでホッカホッカのうちに食べるのもいいですね。

和菓子屋さんにおいてのお赤飯って脇役といったイメージですが、本当に美味しくて侮れない一品なのです。

自分で作るとなると手間もかかります。それを考えると、安価に美味しいお赤飯が買えるのは、お赤飯ラバーにとっては嬉しい限り。

いま、ちょうど秋祭の時期です。そんな祭で供されているお赤飯も、ほとんどが地元の和菓子屋さんが作ったもの。


こちらは近所のお祭で頂いたお赤飯です。
そのお店によって違うビジュアル、美味しさを味わえるのも楽しいものです。

www.hw-frankie.com

www.hw-frankie.com

上野『みはし』の白玉、杏あんみつ。上野でテイクアウトするならこれ!お土産にもなる和スイーツ。

前回『みつばち』さんのあんみつをご紹介しましたが、こちら上野にある『みはし』さんのあんみつも定番中の定番です。

私がこちらでお気に入りなのが、白玉あんみつです。そして、外国人夫には杏あんみつをいつも買って帰ります。

あんみつといっても、その店により個性があります。「どこが一番美味しい!」ということではなく、甘味に限らず味覚とは主観的なものなので、「どこのものが一番好みか⁉︎」ということなのです。

私の好みのあんみつとは、

・柔らかめの寒天
・餡はこしあんでたっぷり
・赤えんどう豆もたっぷり
・濃厚な黒蜜たっぷり
・ふにゃふにゃの柔らか求肥
・フルーツもクリームも不要!

そんな感じです。

あんみつ

お値段は一個400円(税込)です。
餡はあっさりしたこしあんで、たっぷり入っています。この量はまさに理想的!


こちらの黒蜜は色も薄く、さらっとしたタイプです。


白玉あんみつ

この白玉、柔らかくてモチモチです。
サラサラっとした軽い黒蜜が白玉の美味しさを引き立ててくれます。私がこちらのあんみつで白玉が一番好きなのも、このあっさり黒蜜とのマッチングのせいなのです。
お値段510円(税込)



こちらもたっぷりのこしあんが嬉しいです。

杏あんみつ

大きめの杏が3つとみかん。
私は杏が苦手なので食べたことはありませんが、我が家の外国人夫は「美味しい!美味しい!」と言っております。
お値段は白玉あんみつと同じ510円(税込)。



www.hw-frankie.com

甘味といえばこれ!東京『湯島 みつばち』のあんみつ。テイクアウトでも黒蜜たっぷり!

上野であんみつといえば『みはし』さんがよく知られていますが、実は私にはもう一軒、昔からの馴染みのあんみつがあるのです。

地下鉄の上野広小路駅から湯島へ向かう途中にある、元祖小倉アイスで知られた『湯島 みつばち』さんのあんみつです。

もう、あんみつと言ったら『みつばち』!というくらい、私にとってはお気に入りのお店です。

あんみつ

あんみつに添えられている餡子は断然こしあん派です。
もちろんこちらの餡子もこしあんで、申し分ないのですが、ちょっと少なめなのでこの倍くらいあったらいいのに〜と、いつも思っています。
しかし、それ以外はピーフェクトです!
この真っ白な求肥も、もっちりソフトで、いい仕事をしてくれています。


寒天は密封された袋に入っているので、お水を捨てて容器に盛りつけます。


黒蜜ダク具合が半端ないです。全部かけると、もはや黒蜜そのものを食べているような、黒蜜の味しかしないような、そんな黒蜜スイーツに変身します。


栗くるみあんみつ

私は基本的に寒天、餡子、黒蜜さえあれば他はいらないというシンプルなあんみつが好みですが、秋の味覚となったら話は別です!

こちら栗とくるみ入りのあんみつ。



ここの黒蜜は本当に濃厚で、黒蜜好きにはたまりません!
店舗で食べる場合、この黒蜜は好きなだけかけられるようになっていますが、お持ち帰り用の黒蜜も多過ぎるくらいたっぷりです。

全部かけてしまうと多過ぎるので、残った分はコンビニなどで買った他のスイーツにかけて、美味しさプラスしています。

ちなみにお値段は、

・あんみつ ¥430
・栗くるみあんみつ¥570
(共に税込)

www.hw-frankie.com
www.hw-frankie.com

新型iPhone発表のニュースに考える、スマホの必要性と買い替え時期について。

いよいよ新型iPhoneが発表になるようです。
明日あたりでしょうか。

こんなアナログな中年専業主婦でも、iPhoneは初代発売から飛びつきました。
当時、まだ私がガラケーを使用していた頃、外国人友達が『BlackBerry』を使っているのを見て、「なんて格好いいのかしら⁉︎ 私も欲しい!」と思ったのと時を同じくして、iPhoneがこの世に登場しました。



『Black Berry 』への想いが強く、迷いに迷ったのですが、お友達から「これから買うならiPhoneだよ!」と言われ、どんなものだかわからないままに飛びついたのですが正解でした!以来すっかりiPhoneユーザーです。

新機種が出るたびに並んで買うほどの熱はありませんが、なんとなく2年縛りの契約が解けると、新しいのが欲しくなり、2年に一度年頭に買い替えていたのですが、今年は見送りました。

というのも、「8月に新機種が出るぞ!しかもかなりのバージョンアップになる予定だから、絶対にそれまで待つべき!」
との情報がある筋からあったためです。
8ヶ月も待つの⁉︎ いやだわ!
そう思いましたが、新型がものすごくバージョンアップされてたら悔しいし。。。ということで、まだ古いままなのです。

しかし、8月になっても噂ベースで、新型など一向に発表される気配はありませんでした。

ガセネタを流したわね⁉︎

そう思いきや、9月くらいには新型が出るのでは?との噂がチラホラと出始め、いよいよ発表されるといいます。

私はこのブログもiPhoneで書くことが多いので、結構スマホは重要視しています。iPhoneユーザーの末端としても、その動向は気になるところ。

しかし、よくよく考えたら、そこまで心砕くほど必要なものか?

ごくごくたまに電話を使い、
メールやLINEアプリを使い、
ちょっとした調べ物にネットを使い、

さて、あとはどんな使い方をしているのかしら?

仕事もしていない、ゲームもしない、そんな専業主婦に、スマホなどという多機能な道具が果たして必要なのでしょうか。

多機能な分、価格も高額です。iPhone一台で10万ほどと考えると、そのような高価なものなどなくても、いくらでも普通に生活できるのになぁ。。。などと思うのです。

今時の子供達にとってはあって当たり前、なくては不便この上ないツールでしょうが、私にとってはかつてはなかったものです。
あって困るものではありませんが、実際ある機能のほとんどを使用できていない現状を考えたら、これはいかほどの投資になるのか?と改めて考えてしまいます。

極端な話、スマホならず携帯電話すらなくても、大して困るようなことはないはずです。
電話は家にあります。ネットやブログもノートパソコンを使えば済みます。
利便性さえ捨てれば、なくても困るものではありません。

それなのに、何故か新しいヴァージョンが出るとなると、心ワサワサするのです。

私はミニマリストではありませんが、余計なものはなくていいといつも思っています。
外出時のバッグも小さいものばかり、財布もミニサイズ。化粧品もお直し用ファンデに口紅一本。あとはハンカチ程度しか持ち歩きません。

ジャケットを着用するような冬場なら、ポケットに全部入れて、バッグすら必要ない身軽さです。



これで手持ちのiPhoneがなければ、もっと身軽になります。
もうなくてもいいのではないかしら?と思うこともしばしばあるのですが、やはりスッパリとスマホを捨てる決心はつきません。

それならば、いちいち新型が出るたびに新調せずに、壊れるまで使い倒したらどうか?とも考え始めた頃に、この新型発表のニュースです。。。

スマホの寿命は端末にもよるでしょうが、2年〜3年程度と聞きました。
長く使用していると、バッテリーの劣化などで不具合が出てくるといいます。

私が現在使用しているiPhoneはすでに2年半以上使用しています。
見た目もまだまだ綺麗ですし、普通に使用する分には差し支えないのですが、新型iPhoneのニュースがチラホラと出てきた最近、どうも不具合のようなものが発生しています。

画面の明るさ設定を自動にしていないのに、いきなり明るくなったり暗くなったり。

サイト閲覧中、ページを送ろうとしても、何度も同じページが表示されたり。

読み込みが終わっているはずなのに、画面には半分しか表示されず、下半分真っ白とか。。。

とにかく、何かがおかしい!

色々調べてみたのですが、イマイチ原因はわかりません。

なくても困らないこのiPhoneですが、いま一番お世話になっているのがブログ記事を書くためです。
パソコンを開かずとも、キッチンで、トイレで、ソファーに寝そべってと、どこでも手元で操作できてしまいます。
この便利さはさすがに捨てがたく、やはり持たない選択をすることも、不具合を放置することも難しいなぁ。。。と思うのです。

今のところ、書くことに差し障りはありませんが、数々の不具合を考えると、いつどうなるか不安になります。

外国人夫や子供たちからは、新型が出たらさっさと買い替えたら?と言われています。
これは親切心からなどではなく、みんな私に便乗して新調したいからなのです。

いつが買い替えどきか?
そんな話しをしたとき、「壊れた時」という私に反して、家族は「新型が出た時!」と迷わず即答する人達です。

本意ではありませんが、不具合も出てきたことに加えて新型iPhoneも発表となります。
今が替え時⁉︎ ということなのでしょうかね。。。

人から嫌われても気にすることはなし!私のことが嫌いな人は沢山いますが、生きるに支障はありません。

つい最近のとある週末、近所に住む友達から朝のお茶に誘われました。

ちょうどウォーキング途中だったので、近場のカフェで落ち合うことにしたのですが、どうやら暇なのではなく相談事がある様子。

仕事をしている彼女は、本来なら週末の朝はゆっくりしたいはずなのに、わざわざ外に出てくるとは、よほどのことがあったようです。


よくよく話を聞いてみると、なんでも職場の同僚から、

「あなた、皆んなから嫌われてるわよ!」

などと言われたそうで、たいそう気に病んでいる様子。

この手の相談、多いのです。多分、私があまりに能天気にしているせいで、深刻な話も気安く出来のかもしれません。

それはともかくとして、こんな時に私が言うことは決まっています。

「私と同じだわ〜!」

自分で言うのもなんですが、このような人間関係におけるネガティブケースは、割と経験豊富なほうなので、このような言い方になるのです。

また「私と同じ!」と、相手が思うことで、暗い気持ちが軽減されることも承知の上でのセリフです。

さて、タイトル通り、私のことが嫌いな人は沢山います。




面と向かって

「みんな、オマエのことが大嫌いなんだよ!」

などと言われたこともあるので、それは私の思い込みなどではなく、確かなことでしょう。

普通であればそんな事を言われたら傷つくとか怒るとかするのでしょうが、私は「あら、そうなの?」としか思いません。

それには理由があります。
まず、「みんな」と人を巻き込むような事を口にする人は、嘘つきだからです。
私はこの「みんな、こう思ってる」と言う言葉を一切信用していません。 そう口にした途端、大法螺吹き認定です。

私は天邪鬼なので、人の言葉をそうそう簡単には信用しません。
「みんな、そう思ってるのよ!」
と、言われたら、
「それは本当か?本当にみんながみんなそう思ってるのか?」と、問い返します。
ここで、大概は
「そうだ!みんな思ってんだよ!」
などと、オラオラと威嚇してくるのがお決まりのパターンです。

そこで私は「わかったわ!」と、その「みんな」とされた人達一人一人に尋問を仕掛けます。

つまり「みんな」とされた当人たちに、裏どりをするのです。
この行為はまるで隠れキリシタンの踏み絵のような効力があります。誰が自分の味方かそうでないかを測るバロメーターとなるのです。

経験上、名指しされた「みんな」が、それを言った人と同じ気持ちであったことはほとんどありません。
「何それ?」「私、そんなこと言ってないわ」といった反応がほとんどです。

中には「え?ちょっといま忙しいから」などと、逃げようとする人もいます。こんな人は少なからず一緒に陰口を言っていたか、「みんな」と口にした人の配下に収められているかのどちらかです。

「私そんなこと言ってない!」という方々は、ほとんどその件に関して無関係か、私に対してはなんの関心も感情もない人達でしょう。

もしかしたら、面と向かって尋ねられたせいで本心を言えなかったという可能性もありきですが、私にとっては面と向かって言えないことは思っていないも同然とみなします。

結論から言えば、ここでいう「みんな」のうち、実際に私を嫌っているのはほんの少数です。10人のうち2人もいればよい方です。

なので「みんな、オマエが嫌いだ!」と言われても、それは自分の意思として伝えられない弱い人間が自分の逃げ場所を確保するためについた戯言だと思いスルーすることにしています。

人から何か言われても知らん顔をしているので、「KYだ」「鈍感極まりない」「図太い神経の女」など、色々言われる事もあります。

もちろん、そう言われても傷ついたりはしません。
それは、私が図太い神経を持った人間だからではありません。そんなに図太ければ、いちいち面倒くさい裏どりなどしに行きませんもの。

私だって多少の感受性はあります。傷つく事も悲しむ事もあります。
しかし、このような場合は不思議と何も感じないのです。

それは、全ての人が自分を好きになるわけはないという思いが根本にあるからです。
人の顔色を見て生きているわけではなく、むしろ自分の気持ちを一番大切にしたいと思って生きているので、敵を作って当然であると思っています。

世の中には色々な人間がいます。その全ての人に好かれようだなんて、最初から無理な話ですし、なによりもそんな必要がどこにあるのでしょうか。




よく「人に好かれるための秘訣」などという読み物がありますが、たとえそれを忠実に実践したとて、嫌われる時は嫌われるものです。

どんな人も自分の好みや都合に合わなかったり、不利益になったりすると思うような相手には嫌悪感を持ちます。
しかし、それはその人の行いの善悪がいつも関係しているケースばかりではありません。
自分が何もしなくても、相手にとって不都合であれば、嫌われることもあるという、まさに不可抗力の世界です。

そんな人の都合や好みに気を遣いながら自分の言動を決めるなど、ストレスの極みではありませんか!

何をしても嫌われるのなら、自分の好きなようにやる方が、よほど楽しく生きられます。

私にとっては、「私のことが嫌いな人」がいるのは当たり前の事なのです。

もちろん、自分から進んで嫌われ者になろうなどとは思いません。
礼儀をわきまえる。人の嫌がることはしない、言わない。そうした最低限のことは常に心に留めています。

それでも嫌われることはあるのです。しかし、嫌われるばかりでないのが人生の面白いところ。

こんな風に開き直ったように生きている私でも、窮地に陥った時には救済に駆けつけてくれるようなお友達はいます。

若い頃のように、誰彼構わずお付き合いするようなことはないので、数は多くありませんが、その代わり、本当に信頼できる味方と呼べるようなお友達です。

自分のことが大嫌いな人がいる一方で、大好きだと言ってくれる人達もいるということです。

だからこそ、誰かに「オマエなんか大嫌いだ」と言われても、それがなんなの?と思うのです。

嫌いなら付き合わなければいい。
話をしなければいい。
近寄らなければいい。



それでいいのです。

それをわざわざ言ってくるというのは、その人自身が心に問題を抱えているからです。
幼稚園の砂場遊び友達ならいざ知らず、大人になってまでもわざわざ人に「大嫌い」だなどという言葉を投げつけるのは、よほど溜まりに溜まった何かがあるのでしょう。
気の毒でなりません。。。

どんなこともそうですが、物事を複雑に考えすぎると、悩むばかりです。
とりわけ人間関係の問題は厄介な事が多いもの。
だからこそシンプルに、考えるのが一番です。

自分のことが嫌いだと言う人とは関係を持たなければいい。そう割り切ることです。
たとえそれが職場の同僚だとしても、業務上必要なコミュニケーションだけとれば、あとは仲良くやる必要はないと思っています。

私も過去に職場でこの友人と同じような事を経験しましたが、そんな時、周りからは「チームワークを大切に」「協調性が必要」などと散々言われました。
仕事を円滑に進めるためには、他の人と歩調を合わせ良い関係を築かなければいけないということでしたが、それをしない私が「みんな」嫌いだというわけです。

なんと子供染みた社会なんだ!と驚愕したものです。
なんの議論もなされる事なく、ただ横目で周りの動向を見て空気を読み、それに合わせて行動せよというのです。
そこから外れた者は、みんな「出る杭」とみなされ、叩かれるというわけです。

叩かれると言っても、ただ陰口を言われるとか、嫌味を呟かれるというくらいで、いきなり後ろから鈍器で殴られたりするようなことはなかったので、それは幸運な事でした。

職場に限らず、どこにでもこんな人間関係にまつわる厄介ごとはあるものです。
不特定多数の人と関われば、自分の意にそぐわない人間を排除しようとする人は多かれ少なかれ出てくるものです。
つまり、厄介ではあるけれど、ありふれたことなのです。

人生は短いのです。
自分を嫌いな人の嫌味に付き合うのは時間の無駄以外、何ものでもありません。そんな事で思い悩む暇があるなら、大好きな人達と美味しいものでも食べに行って、楽しむことです。

もし、そんな友達がいなかったら?
一人で美味しいものでも食べながら、好きなことをして一人時間をエンジョイすればいいのです。

件のお友達にもそう伝えたところ、

「それもそうよね!じゃあ、これからランチしましょう」

と、すっかり明るい気分になった様子。

やっぱり食べることは大切なのです(笑)