お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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専業主婦の半数以上が働かないことに罪悪感を持っているって⁉︎ なんと世知辛い世の中になったことか。。。

最近ネットなどで、専業主婦の半数以上が専業主婦であることに罪悪感を持ち、ランチなどにお金を遣うことに後ろめたさを感じているという記事を見ました。

専業主婦である私、何故だ!?
とっても不思議になりました。

何もせずに毎日遊んでいるだけならまだしも、子育てに家事、学校や地域の活動など、家族の生活に関することは一手に引き受けているのです。
ランチ代くらい自由に遣って当然!
私はずっとそう思い、一度として後ろめたさを感じたことなどありません。




人のお金を使っているという罪悪感

人のお金、つまり夫が稼いでくるお金を遣うことに後ろめたさがあるということですが、そんな方々は当の夫から「人の金遣って遊ぶな!」などと普段から言われているのでしょうか。
もしそうであるのなら、今すぐ夫のパンツを洗うことを拒否し、自分も仕事をしてお金を稼ぎにいけばいいのです。きっと罪悪感などきれいさっぱり消えるでしょう。

しかし、夫は何も言わないけれど、勝手にうしろめたさを感じているだけだとしたら、そんな罪悪感は見当違いです。
社会がどのように変わろうが、周りの人がどう考えようが、夫婦の関係は二人のものです。お互いが納得し合い、仕事と家庭を分業しましょうということであれば、家庭を切り盛りする専業主婦にもお金を遣うくらいの権利は与えられているはずなのです。

社会貢献していないという罪悪感

働いて税金も納めていない。これはよく言われることです。
そのせいかまるで社会のお荷物、寄生虫のように言われる専業主婦ですが、まったく社会の害悪かといえばそうともいえません。

世の中にはやらなくていいようなことでも、誰かがやって当たり前とされていることがあります。
その一つが学校などのPTA活動です。毎年役員決めの季節になると、あちこちからストレスに満ちた声が聞こえてきます。
この厄介で面倒な活動で重宝されるのが専業主婦という立場の人達です。

私も子供が幼稚園の頃から、現在(高校生)にいたるまで、万年PTA役員です(笑)
決して自分から手を挙げるわけではありません。しかし「仕事をしているので無理です」という人ばかりの中では、必然的に専業主婦に白羽の矢が立つのです。
私など毎年「今年はやらないわよ!」と宣言するものの、結局は先生から「決まらないので頼みます」と、お電話を頂くというパターンです。。。

他にも地域の活動など、なにかと言えば専業主婦におはちが回ってきます。
子供達の登下校の見守りから、地域のイベントなど、仕事をしていないというだけで、当たり前のように声がかかったものです。

ボランティアとして無給で人様のために動いているのは社会貢献の一つです。

家庭内でも同じです。専業主婦家庭は当然のことならワンオペ。そのおかげで夫の方は家事も育児も妻に丸投げ状態で仕事や遊びに没頭できるのです。
もしも共稼ぎであれば、そんな自由は許されません。

収入を得て税金を納めることだけが社会に貢献することではないのです。
専業主婦であっても誰かの役に立っているということを忘れてはいけません。

時間を無駄にしているという罪悪感

主婦業とは効率よくうまく回せば、一日中拘束されるような仕事ではありません。
たとえ小さな子供がいたとしても、子供の生活に合わせて、自分の好きなことをする時間を得ることは不可能ではありません。

確かにまとまった時間を取ることは難しいものです。子供の衣食住のお世話、幼稚園や習い事の送迎など、次から次へとやるべきことが出てきます。
しかし、たとえ細切れの時間でも、隙間時間を見つけることはできます。

私も子供たちが小さい頃は、どうにかして自分の時間を作れないものかと、家事の効率化を考えたり、自分の生活サイクルを変えてみたり、試行錯誤してきました。
早起き習慣ができたのもその頃です。

今では子供達も成長し、一日のほとんどの時間を自分のために使えるというありがたい状況になり、今度は「はて、この時間を何に使うべきか?」と、逆に困ってしまってしまったくらいです。

このように子供に手がかからなくなった途端に「無駄な時間を過ごしてる?」という罪悪感を持つようになる人もいます。

私は一人でぶらぶらと街歩きをするのが好きなので、たとえランチなどお友達と集う予定がなくても日々退屈を感じることはありません。
しかし中には、「何もしないことが申し訳ない」と感じている人もいます。

そもそも、何もしないからといって誰に対して、何に対して罪悪感を持つのでしょうか?
何もせずに寝ていようが、お友達とランチをしていようが、お買い物をしていようが、自分のために時間を使っていることに変わりはありません。

何もしていないことに後ろめたさを感じる人は、きっと何をしていても罪悪感を持つでしょう。
そんな人はやはり小遣い稼ぎにパートでもした方がよさそうです。




社会との関わり

専業主婦であることに罪悪感を感じるのは、自分の中だけの問題ではなく、社会との関わりも無視できません。
とりわけネットの発達した現在は、容易に他者の意見を見聞きできたりします。
昔であれば、自分の身の回りにいる人しか比較にはなりませんでしたが、いまは違います。ネットで検索すれば、あらゆる情報がこれでもかというくらいに出てきます。
そのせいで、不安を煽られたり、焦ったりすることもあるのでしょう。

専業主婦のうち罪悪感を感じる層とは、私のようなアラフィフではなく30代という若い人が多いそうですが、それもこの情報過多な時代の真ん中にいるせいなのかもしれません。

人と違う事をしている不安

今は年寄りであろうが小さな子供のいる主婦であろうが、社会に出て働くべきという風潮になっています。
若いファミリー世帯のほとんどが共稼ぎの時代です。
そんな中、専業主婦をしていれば当然周りからも「働いてないの?」といった目で見られます。

もし離婚にでもなったらどうするの?
旦那さんに何かあった時、大丈夫?

そんなふうに不安を覚えさせるような声も聞こえてきます。

しかし、不安とは他人に煽られて感じるようなものではありません。自分自身がよく考えた上で不安に感じるのなら、不安を解消すべく働くなり、対策をとるべきですが、お家の事情もよく知らない人に「大丈夫なの?」などと、お節介を焼かれても聞く耳を持たないのが一番です。
何かあっても誰が助けてくれるわけでもありません。

人と違うスタイルでいても、何ら不安に感じる必要はないのです。
見るべきは周りではなく、自分の生活です。

認められたいという欲求

専業主婦の仕事とは普段当たり前のようにしている衣食住をマネージすることが中心になります。
当たり前ゆえに、誰からも評価されないことに悶々としている人もいるでしょう。

よく主婦の仕事は年収で換算すると何千万などという話がありますが、主婦業とはそれほどすごい仕事なのでしょうか?
実際にフルタイムで働きながら、主婦業もこなしている女性は世の中にごまんといます。
程度の差こそあれ、実際に兼業でも家庭生活がしっかり回っているのなら、両立しているということになります。
働きながらできるようなことを専業にしているにも関わらず、高評価を得たいということ自体が私には理解できません。

確かに専業主婦は大げさに言えば一日24時間年中無休とも言えます。しかし、仕事と同じでそこには能力の差というものがあります。
果たして世の中の専業主婦全てが、周りの人に「すごい!」と賞賛されるような仕事をしているのでしょうか?
少なくとも私は自分自身、誰でもやれば出来ることを専業としてやっているという意識です。そこには当然承認欲求などはありません。

専業主婦として承認欲求を満たしたいならば、子供全員東大に入れるとか、マーサ・スチュワートなみにセンスを生かした暮らしでもクリエートしちゃって、世の中に注目してもらうしかないでしょう。

自分の生き方は自分で決めるべし

私は決して専業主婦を推奨しているわけではありません。
過去記事にも書きましたが、ある程度の条件が揃わなければ、専業主婦でいるメリットはないと思っています。

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昔とはガラリと社会も変わりました。夫だけの稼ぎで悠々自適に暮らしていられる時代ではなくなったいま、経済的な面から考えても、これからの時代、女性も仕事をしていた方が楽しく生きられるのではないかなとも感じます。

一方で専業主婦であることも否定はしません。それは個々の選択であるからです。
経済的には豊かではなくても、将来的な不安はあるけれども、それでも子供を自分の手で育てたい、また働く夫のために100%のサポートをしたい。そんなふうに考える女性もいるかと思います。
社会がどうであろうと、自分はこうしたいと思うのであれば、やりたいようにやるのが一番後悔が残りません。
そこでどういう結果になろうが、自分で選択した生き方であるなら、それは自己責任です。

それにしても、働いたら働いたで「自分の子供くらい自分で育てろ」と言われ、専業主婦として家にいたらいたで「働いて税金納めろ」とせっつかれ、一体どうすればあれこれ言われずに済むのでしょうかね。

自分の生き方にすら他人に難癖つけられるなんて、世知辛い世の中になったなぁ。。。と感じるのでした。

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ブログ記事タイトルの誤字脱字。とんでもない間違い発見で冷や汗出るも、時すでに遅し。。。

昨日、いつものようにブログ記事をアップし、最後にきちんと表示されているか確認した時にたまたまランダムに表示された過去記事の一つを開いてみました。
ずっと昔に書いた「かりんとう」の記事です。

こんなきっかけを得た時は、誤字脱字チェックも兼ねて記事を読み返すようにしているのですが、今回は冒頭から「ギョッ!」としてしまいました。
なんと、タイトルがとんでもないことになっているのに気づいたのです。



ブログを始めて一年以上ともなると、さすがに記事数も増え、以前書いた記事のことなどすっかり忘れていたりします。
折を見て、記事一つ一つ再度推敲してみようかと思ってはいますが、新しい記事を書くという作業の方が楽しいため、未だ実行には至っていません。
だからこそ、目につくところに出てきたときはランダムに読み返すということをしてきたわけですが、これは早いところ過去記事チェックをすべきだわ!と強く思いました。

今回のタイトル間違いをしたのはこの記事です。

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すでに修正してありますが、具体的にどんな間違いだったのかというと。

「変わらぬ美味しさ」

と、書いたつもりが。。。

「買わぬ美味しさ」

そう誤変換していたのです。

意味不明ですが、「買わぬ」という部分が最悪です。。。


以前も別記事のタイトルの間違えに気づき、アップした後に修正したということがありました。
しかし、一度インデックスされた記事は最初にアップしたタイトルのまま、今も表示されてしまっています。
いくら修正しても検索で表示されるのは、永遠に最初に投稿したタイトルということのようです。

これまでタイトル変更、修正した記事は、たまたま検索上位にかかっていない記事だったので、あまり人様の目に触れることがないというのだけが救いです。。。



さて、間違いといっても、ただ漢字の変換間違いで、まるで関係のない言葉に置き換わっていたり、ただの脱字など、間違ってはいてもなんとなく意味はわかるという間違いもあります。
読んだ人が「ああ、ただの誤字脱字だわ」と、わかるパターンです。

しかし、まれにどんな運命の悪戯か、今回の記事のように「ひょっとして、これはこの言葉通りの意味?」などと勘違いさせるような誤字を知らないうちに打ち込み、投稿までしてしまうということがあるのです。

何度も推敲してからアップしているつもりでしたが、案外いい加減だったわ。。。と、気づきました。
全ては自分の「うっかり」と「校正の甘さ」故なので、今後はとんでもないタイトルを平気でアップするような事態にだけはならないよう、注意しなければ!と思ったのでした。

小倉山荘 リ・オ・ショコラ『想ひそめし』。プレゼントにもおやつにも最高な絶品チョコレートおかき。

おかきの専門店として有名な京都長岡京「小倉山荘」さんですが、Riz au Chocolat 「リ・オ・ショコラ」というチョコレートブランドもあります。

小倉山荘リ・オ・ショコラ(ベイクド)

その人気商品が『想ひそめし』というチョコレートおかきです。


恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか

壬生忠見     

私が恋をしていること、もう世間に知られてしまった。
人知れず、そっと想い始めたばかりなのに。。。

小倉百人一首の41番、壬生忠見の一首から名付けられたという、ちょっとロマンチックなネーミングのお菓子ですが、私も夏の間は想い続けておりました。。。
というのもこのお菓子、冬にならないと店頭に並ばないのです。
毎年11月頃解禁ということで、まだかまだかと待っていましたが11月1日に無事発売となりました!

今年もようやく『想ひそめし』を楽しめる季節になったというわけです。




想ひそめし(ご愛食用袋)

こちらは自宅用ですが、贈答用の箱詰めももちろんあります。

中身はビターとスイートの2種類。
各6袋ずつ計12袋。1袋あたり12.5gで、平均して9粒ほどのおかきが入っています(税込972円)。


スイート

スイートの方は、ミルクチョコレート、ホワイトチョコレート、ストロベリーチョコレートのかかったおかきです。




ビター

ビターは抹茶チョコレート、ホワイトチョコレート、そしてビターチョコレートのおかき。


割ったチョコレートおかきの断面を見てください。このチョコレートコーティングの厚さを!
これがこのおかきの美味しさで、とにかくおかきよりもチョコレートが主役?でも、おかきもいい役割してるし!と、どちらの美味しさも存分に楽しめるバランスになっています。

チョコレートおかきといえば、表面がツヤツヤとしているものも多いのですが、こちらは純粋にチョコレートだけのコーティングなのでとってもマット。その分チョコレートの美味しさをダイレクトに味わえます。




想ひそめし 冬 Mitsuiro

この「三つ色」は柚子・塩キャラメル・ビターの3種の味わい。
柚子の風味が強く感じられる和のこだわりが感じられるフレーバーです。



この「想ひそめし」、とにかくどのフレーバーをとっても文句なしの美味しさです。

クリスマス限定

毎年、クリスマス仕様のパッケージが登場します。
今回は自宅用なので通常の袋詰めを購入しましたが、プレゼント用などにはクリスマスパッケージがおすすめです。

ご参考にこちらは昨年購入したクリスマスパッケージです。バックのようになっていて20袋とたっぷり入っています(税込1,620円)。

小分け袋もクリスマス柄で、とても可愛かったです。

半分の10袋入りという少量サイズもあります(税込810円)。
コロンとした円柱のようなクリスマスパッケージのものがすでに店頭にはたくさん並んでいました。

クリスマスだけでなく、子供達が幼い頃はバレンタインデーのプレゼントなどにもよく利用していました。
大人でも子供でも家族で楽しめる冬には最高のギフトとして、大いに役立っています。

もちろん、自宅用にも毎年リピートしまくっています。



人生がうまくいかないと落ち込んでいる時に起こった出来事に、目から鱗で救われた気持ちになった話。

ここのところ定期的に訪れる「なんだか、何もかもうまくいかない。。。」といった憂鬱な時。

やることなすこと裏目裏目で、心を暗くするようなことばかりが立て続けに起こったりします。そうなると、日々起こるほんの些細なことですら落ち込む恰好の材料になって、どんどん落ち込みを増長させていきます。

そうは言ってもいつまでも過ぎてしまったことをクヨクヨ考えていても仕方がないので、そんな時は寝てしまうのですが、どうもモヤモヤと心から離れないこともあります。



私も立派な更年期なお年頃、身体の方はあちこち不調を感じることもあります。
一方気持ちの方はなんとか元気なつもりでいましたが、やはり若い頃のような勢いはもうありません。
いたずらに「更年期鬱」だなんてググってみたり。
全部は当てはまらないけれど、当てはまるところも確かにあるし。。。
原因というものがますますわからなくなると、余計に気持ちの落ち込みが深くなっていくのです。

挙げ句の果てに、もう自分は若くない。。。このまま人生という坂道を下っていくだけなのか。たとえ若かった頃のように毎日エキサイティングなことがあふれていたとしても、それを掴み取る気力も体力も、もう私にはないだろう。。。

このように気分はどん底を這い回っていたのでした。
そんな時です。ある些細な出来事によって、その状況を外側から見つめられるようになりました。

ある出来事

ずいぶん前ですが私はある店で食事をしました。ランチどきで混んでいてバタバタとしていたせいか、お会計の時は気づかなかったのですが、後から財布を見ると500円ほど多くお釣りをもらっていたようでした。直後であれば店に戻ることもしたでしょうが、遠く移動した後だったのでそのままになってしまっていました。

その後、再び同じ店を訪れる機会がありました。心の隅に前回の500円が軽く心に引っかかっていて、どうしたものかと迷っていたのですが、時は前回と同じランチどきで、私の後ろにはお会計の列ができていました。
結局面倒になり、そのままお会計をすませ外へ出たところ、今度は1000円多く支払いをしていたことに気づきました。
ここでまたどうしようかと思いましたが、前回のこともあったのでそのまま店に戻ることはしませんでした。

「やっぱりツキのない時ってこういうことが起こるんだわ。。。」

またしても気持ちが鬱々とすることを積み上げてしまったと、ひどく落ち込んだものでした。

しかし、その釣り銭間違いはそれで終わりませんでした。
その日の帰り、コンビニへ寄り買い物した私は、そこでもらった釣り銭が500円多かったことに翌日気づきました。釣り銭を間違えたのではなく、正確にいえば店員さんがある品物をレジに通すのを忘れたようです。翌日レシートを見ながら家計簿をつけた時に気付いたのです。

なんでこうも間違いが続くのか。。。間違っても気づけばそこで正すことができますが私は気づかないようです。
お札の釣り銭は確認しますが、小銭はもらったらそのまま財布にジャランっと入れてしまうので、気づきにくいようです。

この一連の間違いですが、最初に500円プラス、次に1000円のマイナス、そして最後に500円のプラス。
お釣りを多くもらった時はどうしようかと後ろめたさを感じたり、多く払ってしまった時は損をしてしまったと悔やんだり、心がモヤモヤとしてたものですが、実のところ私は得もしていなければ損もしていなかったということになります。

まさに「金は天下の回りもの」です。

全く違う時間であったり、違う場所で起こったことにもかかわらず、結局最後は綺麗に辻褄が合っている。。。

そう気付いた時、物事は複雑を装って私たちの生活を揺さぶったりするけれど、実のところはこうしてスッキリと収まるようにできているのかもしれない。そう思ったのです。

いい時もあれば悪い時もある。楽な時もあれば苦しい時もある。山と谷を交互にやり過ごす先には平坦な場所が広がっっているということです。

そんなふうに考えると、心を暗くするような出来事が続いたとしても、どこかでそのマイナスを回収する出来事があるのだろうと思えます。
なにやらくよくよ、悶々と落ち込んだりしていましたが、この一件によって目から鱗が落ちたように考えが変わったのでした。




冷静に、客観的に

そもそも、その心を暗くする出来事とは、そんな大それたことなのでしょうか?

「ああ、ついてないわ。。。またしてもこれ?」

何かうまくいかないことがあると、普通の時であれば気にも留めないようなことでも、落ち込んでいるときは過剰に反応しがちです。
しかし、よくよく考えてみれば人生を変えてしまうような悲劇であることはほとんどありません。

もしもとんでもない不幸が訪れたとしたら、その先にはとんでもない幸運が待っているはずです。人生は辻褄が合うようにできていると考えればそういうことになります。
しかし、そんなとんでもない幸運などそうそうは巡ってくるわけがありません、そうなると、その時に見舞われた不幸はきっと大したことではないのです(そう思うことにするのです)。

ただ自分がクヨクヨと気にしているだけで、他に及ぼす影響があるか?
誰かを巻き込むようなことなのか?
そこを考えるとハッキリするでしょう。

もしも、他者にとってどうでもいいことなら、気にしているのは自分だけということになります。
自分の中だけで完結できることであれば、物事はそれほど複雑ではないのでしょう。文字通り気にしているのは自分だけということです。

そんな些細なことを大袈裟に考えて、無理やり自分の中で誇張させ落ち込むのは滑稽なことです。
まずは冷静になって、そんなに落ち込むほど大袈裟に考えること?と自問してみることを覚えたのでした。

新しい出来事で上書き

それでも気持ちが戻らない時は、ひたすら時間が経ち、嫌な感情が薄れ、やがて記憶から消えていくのを待つしかありません。
毎日次々となにかしら新しいことが起こり、その全てがうまくいかないこと憂鬱になるようなことだったとしても、また次の瞬間には別の出来事がやってきます。それは過去の出来事を上書きしてくれるという役割もあります。

どんなことも完全に忘れずとも薄れてはいくもの。
私は嫌なことこそ忘れないようにと心しているので、時折それらを取り出して思い返すようなこともしますが、それでも記憶は薄れていきます。
もしも本当に思い出すのも嫌なことであれば、もっと早くそれらの記憶は他の出来事によって上書きされ、すっかり薄れてしまっていたことでしょう。

どうにもならない時、どんなことをしても心が晴れないときは、冬眠中の熊のようにじっと丸くなって寝ているのが得策と言えましう。仕事にもいかなくちゃならないし家事もあるし、暇な専業主婦のように寝ていられない!そんな人はせめて心だけでも休ませてじっと嵐を待つしかありません。

プラス、マイナス、0

人生がうまくいかないときって、本当に何をしてもうまくいきません。本人の努力や気力だけではどうにもならないという時があるのです。

それでも淡々と生活していれば、いつかその不運の分だけ幸運を感じられる日がきます。月並みな言い方ではありますが、本当にいい時もあれば悪い時もあって、過ぎてみればプラマイゼロになるのだなと改めて思いました。

たとえどんな不運な時であっても、最後はきっと辻褄が合うはず。そう思えれば少しは憂鬱な気持ちが軽くなるものです。

もしもこの憂鬱な気持ちが更年期によるものであるなら、数年後にはそこから抜け出し辻褄あわせに、とんでもなく素晴らしい日々が待っているんじゃないのかしら⁉︎
などと明るい妄想をしながら、何もかもがうまくいかない日々をやり過ごしてやろう!と思うのでした。(笑)



病院へ行くと体調が悪くなるのは何故なのか?自分に合わない場所はあるのかもしれないと思った話。

私は以前病気をしたこともあり、今でも年に何度かは検査のために病院へ行っています。

それに加え、先月からは普段はしないところもチェックしておこうと、別の診療科の検診も加えたため、いつもよりも頻繁に病院へ足を運ぶこととなっています。

検査のために訪れるので、私はピンピンしています。どこといって不調に感じる場所もなく、検査を受けて先生と「変わりはありませんか?」「絶好調です」なんて会話をして終わるのですが、問題はその後です。

どういうわけか、病院を出る頃になると、ほとんどの確率で体調が悪くなるのです。




ある時はひどい頭痛に襲われ、また別の時は立っていられないほどの目眩、また別の時は吐き気や全身の倦怠感など、とにかく酷く具合が悪くなるのです。

徒歩で行ける距離にある病院でさえも、なんとかタクシーに乗り込みやっとの思いで家に帰り着くといった感じです。

体調不良を起こすのはいつも総合病院のような大きな病院で、近所のクリニックといった小さな病院ではそんなことはありません。

いつもというわけではないのですが、どこの病院でも大病院ではかなりの確率で体調が悪くなります。

割と昔からなので、ある時現在の主治医に相談してみました。
しかし、先生は「なんでだろうね〜」と首を傾げ、「頭が痛くなったらこれ飲んで寝てれば?」とロキソニンを処方するだけ。。。
きっと更年期女はなんでもありとでも思っているのかもしれません(笑)

それにしても、元気に病院へ行ったのに、具合が悪くなって帰ってくるだなんて、ちょっと矛盾しています。
本来、病院とは逆の役割を持っているのですから。

病院へ行く前日などは、「明日は病院へ行ったついでにあそこにも、ここにも寄っていこうか?」などと計画を立てたりするのですが、いざ当日病院を出ると、それどころではありません。

毎回というわけではないのがまた不思議なところですが、そんな感じなので病院の予約のある日は、人と会う約束などを入れる事ができません。

こんな人、どこかにいないでしょうか?
お友達に聞いても、みんな「病院へ行って具合が悪くなるだなんておかしい人ね」と笑うばかりで、同じような経験をしている人はいません。

色々な検査を受けて疲れるから?

周りを沢山の病人に囲まれているから気疲れする?

重篤な患者さんの多い場所だと雰囲気がどんよりとしているから?

たまたま寝不足とか、無自覚なだけで元々体調不良だった?

色々と原因を考え、あの最悪の体調不良を回避するためにはどうしたらいいのかと考えますが、未だになんのアイデアもありません。

お友達には「病院嫌いなんじゃない?」などと言われましたが、特に病院が嫌いとか医者や注射が怖いなんてことはありません。
むしろ、お気に入りの主治医とのお喋りを楽しみにしているくらいです。

やっぱり更年期の影響かしら?
そうも考えましたが、こんなことは更年期なお年頃になるずっと前からのことです。
本当に訳がわかりません。。。

ちなみに帰宅し、ロキソニンなどを飲んで翌朝まで寝ていると、スッキリと回復。いつもそのパターンです。

爆睡すると治るということは、やはり寝不足が原因なのでしょうかね。。。




そういえば、病院以外にも行くと同じように不調になる場所があります。
青山にある某カフェなのですが、そこへ入ると決まって体調不良を起こします。
症状は病院の時と同じです。だんだんと気分が悪くなってきて、酷い頭痛が起こったり、目が回ったり、のんびりお茶など飲んでいられないような状態になります。

たまたまそうなのかと、ずっと思っていたのですが、つい先日久し振りにそのカフェへ立ち寄りお茶を飲んでいると、徐々に体調が悪くなってきました。
久し振りだったので忘れていたのですが、そういえば前回来た時も、その前も、というか来るたびに体調が悪くなってる⁉︎ と、気づいたのです。

狭い店内の割には客席数が多くあるので、ちょっと息苦しく空気が滞っている感じを受けるせいかもしれませんが。

その時は気分が悪くなってきたと思ったときにすぐに店を出たせいか、それほど酷いことにはなりませんでした。

もしかして、自分にとって相性の悪い場所ってあるのかしら?
そんなことが頭を過ぎりました。
人でも食べ物でもなんでも、相性の悪いものは必ずあります。
嫌いではないけれど身体が受け付けない食べ物や、自分にとって決して悪い人ではないけれど、なぜかうまくいかない人など、誰にでもあると思います。

場所もそれと同じで、本人の好みに関わらず、相性の合わない場所というのがあって、そこへ行くと身体が拒否反応を起こす。そんなこともあるのかなと、ふと思ったのでした。

カフェのようにすぐに逃げ出せる場所であればいいですが、病院はそんなわけにはいきません。

来週はまた病院で検査です。
割れるような頭痛に襲われるか、目眩でふらふらになるか、何も起こらないか、こればかりは行ってみなければわかりませんが、いつもとは違う病院へ紹介で行くので、どうなるかちょっと興味深くもあります。