専業主婦という生き物

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「諦める」とは「見極める」ということ。諦めるべきこととタイミングについて。

「諦める」とは仏教でいうところ、「物事を見極める」という事らしいです。
なるほど。。。
「諦める」とは、見極めたその先にあるものを自分自身が受け入れる行為なのですね。





諦めるということ

人間生きていれば思い通りになることばかりではありません。というより、思い通りになることの方が少ない?往々にして「諦める」ことが必要な場面に出会ってしまいます。
どうしても欲しいのに手に入らないものってありますからね。手に入らないとわかっていても、一縷の望みをかけて追いかけ、期待し続けることは誰しも経験があることでしょう。
しかし、そういうものって結局は手に入らないのです。どんなに頑張って手を変え品を変えとチャレンジしたところで、「手に入らない」と最初からわかっていたことは無理なケースが圧倒的に多いのです。
これは人間に備わった第六感とも関係しているのかと思います。予感と言いますか、無理だろうな。。。という感ですね。
そんな感に導かれて物事を見極められれば、無駄な努力をして時間を浪費することもないだろうにと思うのですが、人の心とはそんなに物分かりのいいものではありません。
もしかしたら?万が一?などと、自分の中に勝手に期待を作り出すからです。
ここに「見極める」力が必要になるということでしょう。完璧に期待なしと見極めることができれば、諦められずに苦しむこともなく、次へ進むことも簡単になるでしょうから。

諦められない性分

私は割と諦めの悪い人間です。思う通りにいかないようなことがあっても、どうにかならないかしら?と足掻きまくるという(笑)
たとえ「これは無理だろうな」という感が働いても、なかなか諦めがつかないのです。そのせいか、思い切り玉砕するようなことも多々あり、そこでようやく諦めるということになるわけです。
そこまで木っ端微塵になれば、さすがに諦めの悪い人間でも諦めざるを得ないという状況になりますから、自らすっぱりと心を決めるというよりは、諦めるより他に道はないといった感じになるのです。

きっと物事を見極める力が不足しているのか、勝手に可能性という幻想を作り出しているのか、実際にやってみて失敗を自覚しなければ期待を捨てることができないのです。

どんなことに対しても「為せば成る!」という気持ちで生きてきましたが、実際にどんなに努力しても頑張ってもダメなことってあるのです。この歳になればそんなことは山ほど経験しているので、それは十分に承知しています。
それでも諦めが悪いのは、きっと持って生まれた性分というものなのでしょう。

人間関係、恋愛関係

ただ一つだけ、人間関係においては非常に諦めが早いです。
他人の思惑や言動に心を煩わされるのはナンセンスだと思っているので、他人に対し何かを望むとか、期待するなどということはしないようにしています。

お友達関係においても、どんなに社会的地位があるような立派な人物でも、たいそうなお金持ちでも、自分が一緒にいて不愉快になるようなことがあれば付き合いはすっぱりと諦めます。
恋愛に関しても同じです。今は結婚していますから恋愛とは無縁ですが、独身時代を思い返すと、自分のことが好きではないと思われる男性は、どんなに好みであろうと素敵な人であろうと諦めます。また、たとえ両思いであっても未来が見えない相手と一緒になることも諦めていました。

これはある意味、相手を見極めていたといことになるのかもしれません。
自分にとってどんな存在になり得る人か、プラスとなるのかマイナスとなるのか。。。
若いというのは盲目的なイメージがありますが、未来への可能性を存分に秘めている分、打算的なものの考え方をするものです。逆に中年となった今の方がより純粋なものの考え方をしているなと思うくらいです。

どんなに好きでも明るい未来の見えない相手、その関係性においてお互いが発展する可能性がないと思われる相手、ついでに言えば不可解でその心がわからない難しい相手など、つまり自分を苦しめる要素のある男性との関係は最初の時点ですっぱりと諦めていました。

そのお陰か、ダメンズと関わることもなく、100%とは言わないまでも、満足のいく相手と縁を結ぶことができました(笑)

前と後

物事を諦める場合、何か始める前に諦めるのか、やってみた後で諦めるのか、同じ諦めるにしてもタイミングという問題があります。
どうせ諦めることになるのなら最初に諦めた方が時間を無駄にしなくても済むと思うものです。なによりもやる前に諦めるよりも、やった後で諦める方がより難しくなりますし。
行動を起こす前に諦めてしまえば、そもそも何も始まっていないのですから労力はゼロ、時間のロスもありません。しかし後となると、これだけ頑張ってきたんだから!と執着する心はより強くなります。

ここで必要なのが、やはり「見極める」ということになります。見極めることができれば、費やす時間が無駄になるのか、そうでないのかがわかります。

私は最初から物事を不可能であると諦めるのは好きではありません。前にも述べたようにそれは往生際の悪い性分でもあり、どんなことにも可能性がある!と思いたいという心の癖のせいですが、それだけ無駄の多い人生を送ってきたことも否定できません。

そんな自分の経験から考えると、「諦める」という一つの行為に対しても、諦めるのかそうでないのかは、必ずしも自分の意思でコントロールできる時ばかりではない気もします。
ただ、自分の子供達には「やる前から諦めるな」とは、一応言っています(笑)
時として「諦める」が「逃げる」と同じ行為になってしまうことがあるからです。
若者にはどんなことも果敢に挑戦していって欲しいのです。たとえ玉砕しても、傷ついても、チャレンジするという経験を積んでほしいのです。それはいずれ物事を「見極める」という力になるからです。
どんなに経験を積んでも、私のように性分から失敗を繰り返す大人もいますが、逃げの人生よりはよほど気持ちがいいものです。

まとめ

自分自身の努力だけで結果が変わる事であれば諦めが悪くてもいいと思っています。小さな可能性でも、それにかける価値はある。もしも叶わず最終的に諦めることになったとしても、足掻き続けた時間や経験は無駄にならないはずです。
逆に第三者の気持ちが関与してくることに関しては、潔く諦めるべしです。自分を変えることは出来ても、他人を変えることは容易ではありません。みんなそれぞれが自分の利益を考えた上で生きているのですから。

つまり自分でコントロールできないことに関しては、潔く諦めるべし!ということです。
「諦める」とは、なかなか難しい事ではありますが、こと人に関しては「期待しない」という気持ちを持つだけでいいのです。
期待する心があるから諦めるという行為にブレーキがかかるのであって、それさえなければ案外簡単に諦められてしまうものです。

私のように未熟な人間は、物事を見極めるなどというたいそうな事は出来ないので、いつもこんな風に気持ちに落とし前をつけているのです。

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