専業主婦という生き物

美味しいもの、美容、国際結婚、噂話、専業主婦についてなどを思いつくまま綴るブログ。

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人の生活を勝手に美化して、不幸になれと願われても、ご期待には添えかねますとしか言えません。

ここのところ、お天気はあまり良くないのですが、涼しくなったせいか、俄然元気になって社交生活を復活させています。

先日は学生時代からの古い友人と久しぶりに会いました。
若い頃は仲が良かった人でも、この歳になると、生活レベルにも違いが出てきて関係がうまく行かなくなり、疎遠になる人も多くなるもの。
私も古い付き合いはほとんど途絶えていますが、中には今回のお友達のように、若い頃から変わらずお付き合いできる人もいます。



そんな古い友人から聞く噂話のあれこれは、本当にビックリさせられるものも少なくありません。
昔の知り合いの動向など興味はありませんが、自分の事が噂されているとなると、どんな話なのか興味がわきます。

私は普段戸籍上の名を表に出すことはありません。本籍地も変え、外国人夫の姓を使ったりと、結構適当に名乗っていたりするので、古い友人達は私の事を見つけることはできないようです。
当然同窓会などの案内も来ませんが、そのような集まりにはまったく興味がないので困ることはありません。

唯一、今でも仲良くしているそのお友達も、私がそんな考えでいるのを知っているので、聞かれても教えないらしいです(笑)

最近、かつては共通の友人であった人から、私の事をあれこれ聞かれたといいます。

「日本では生活できないからと、家族で海外へ渡りジリ貧の生活を送っているんじゃない?」

「派手な生活で破産してたりして」

その人は昔からそんな事ばかり言っていたものですが、あいも変わらず私に貧乏になって欲しくて仕方がないようです。
その人と会わなくなったのも、ネガティブな事ばかり言ってくるのが面倒になったせいです。

約20年前、比較的お金持ちと結婚したその人と、何にも持たない外国人夫と結婚した私とでは、生活がまったく違いました。
裕福な旦那様の実家で同居生活を送り、経済的な心配もせずに悠々自適であったその人に比べ、私はといえば文無し外国人を育て上げるべく、海外へ出たり日本へ戻ったりしながら、試行錯誤落ち着かない生活を送っていました。

その頃はとても親切で応援してくれていたその人ですが、様子が変わり始めたのは、外国人夫の収入が増えてきた頃からです。

私は子供ができたこともあり専業主婦になりました。経済的にも安定し、お姑さんもいない、なんのしがらみもない生活に満足していました。

そんな私の様子を見て、

「そんなのんびりしているとお金に困るようになるわよ」

「なんで子供を私立になんか行かせるの?」

「なんでそんないい所に住んでるの?お金をドブに捨ててもいいの?」

そう、何かにつけお金の事を口にしてくるようになりました。

私も堅実なタイプではありませんが、さすがに子供が2人もいれば、無茶な生活などできません。
住む場所や子供の教育などは、投資になると判断したからこそで、無駄金を遣っているとは思っていません。

それでも、その人は私の暮らしに難癖をつけてくるようになったのです。
それは何年も続きました。まるで呪いのように。。。
「家賃が払えなくなって追い出されてもしらないわよ」
「子供が大きくなっても大学に行かせるお金すらなくなるわよ」
「働きもせずにのんきにしているなんて、将来何があっても知らないわよ」

もう、全てがネガティブなのです。
実際にその人は私がどんな資産を所有しているかも、外国人夫がどの程度の収入があるかも知りません。
遠回しに聞かれたことは何度もありますが、そのようなことは他人に公表することでもないので、黙して語らずできました。

共通の友人にも、「彼女の旦那、そんなに稼いでるの?」「なんで彼女はずっと専業主婦で働かないの?」などと、尋ねているらしいです(笑)

とにかく、私のお財布の中身が知りたくてたまらない様子でした。
私自身、派手な生活などしてきた覚えはありません。
その人が一番気に入らない私の生活とは、すべて外国人夫あっての生活です。
海外へ行くのも、住む地域にしても、子供の学校にしても、外国人である夫側の文化も尊重しようということで決定したことです。

もしも私が北海道の奥地に住まう日本人男性と結婚していたら、また別の場所で別の生活をしていたはずです。
どんな生活をするかは連れ添う相手によっても変わるものです。

その人自身は長男と結婚したからこそ夫の実家で同居生活をしているのです。家賃も光熱費も税金もすべて親持ちという、恵まれた待遇を望んで同居を決定したのです。

自分がそれなりの生活をしているのだから、人のことなどどうでもいいだろうに、なぜ人の生活にまで苦言を呈してくるのが、まったく分かりませんでした。



最後に会ったのはもう何年も前です。私はすっかりその存在を忘れていましたが、共通の友人を通して、未だに同じことを言っていたことに驚きが隠せませんでした。

聞かれた際、友人が
「フランキーは相変わらずよ。普通に専業主婦やって、のんびり暮らしてるわよ」と、告げたところ、

「まだ、あんな贅沢な生活をしてるの?」

「歳をとってから、いつか生活できなくなるんじゃない?」

「きっと貯金なんかないわよね。」

などと、まだ同じようなことを言っていたといいます。

何故そこまで人の生活に干渉したがるのでしょうか。
もう何年も会っていない相手などどうでもいいはずなのに。。。

「それは、あなたが何の苦労もなく、勝手気儘に生活しているように見えるからかも」

友人に聞くところによると、その人は生活自体は旦那様の実家が面倒を見てくれるため不自由はないようですが、自分の自由になるお金がなく、もう何年も前からパートで働いていると言います。おまけに姑、小姑に気を遣う生活に嫌気がさしているとも語っていたそうです。

「彼女は本来なら、あなたみたいな生活がしたかったのよ」

だからこそ、私の生活が気になって気になって仕方がないのでは?と。

私はあまり人に弱味を見せることはしません。どんなに窮地に陥っていても、それを表に出さないようにしています。
弱い面を曝け出せば、それに乗じて攻撃をしてくる人もいるからです。
どんなに苦しい時も、逆に絶好調の時でも、つねに表にはニュートラルな状態を見せるようにしています。
そのせいで、私が抱えてきた苦労も苦悩も知らないのでしょう。

それは決して人が羨むような生活ばかりではないのです。まさに隣の芝生は青いということ。

苦労のない人生を送っている人などいません。長い人生の中では、誰もが苦しい局面を迎えることもあります。
経済的な問題だけではありません。病気をしたり、子供や夫婦間の問題、仕事の人間関係に親兄弟との確執。
誰もが色々なものを背負って生きているものです。

違うのは、それを嘆き悲しみ表に出すか、苦しさをグッとこらえて笑顔で前に進もうとするかです。



いつも能天気に笑って過ごしているように見える私とて同じです。
いい時ばかりではないけれど、恨みつらみを吐き続け、人の不幸を願っている暇があるなら、自分の抱えている苦しみから脱するための努力にその時間を費やしたいと思っています。

人に不幸を願われるなど、決して気持ちのいいことではありませんが、人の口に戸は立てられないと言いますから、それは不可抗力というもの。

「勝手にこちらの生活を美化されて、勝手に五寸釘打って呪われても、ご期待には添えかねるんですが。。。」

などと言ったところ、友人から、

「そういう、おちゃらけた事を言うふざけたところも気に入らないのよ!」

なんて呆れられてしまいました(笑)

今に至ってはそれくらいしか言葉が見つからないのですが。。。