専業主婦という生き物

美味しいもの、美容、国際結婚、噂話、専業主婦についてなどを思いつくまま綴るブログ。

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専業主婦の心のうち。思い通りの人生を生きようだなんて妄想は、そろそろ捨てようかと。

「自分はこれまで、思い通りの人生を生きてきたわ」

そんな事をつい最近まで平気で言っておりました。
しかし、よくよく考えてみれば、そんな思い上がった考えは身の程知らずであったと思う今日この頃。

何故そう思うに至ったかといえば、それは暇だからでしょうか。
ふと、空虚のようなものを感じたりする事があり、つらつらと余計なことを考えてしまうのです。
専業主婦生活をそれなりに楽しんでいるとはいえ、いつも満たされているわけではありません。



思えば、これまでの人生は思い通りに生きているようでいて、結果をみればちっとも思い通りになどいっていません。

やりたいと思った仕事もその時々、なんらかの形で手をつけやってきましたし、遊びの方も寝るのを惜しむほどに気がすむまで遊びまわりました。海外に目が向けば日本を飛び出し、暮らしたいと思う場所でも生活してきました。

今思えば、まるで行き当たりばったり、思いついたことに飛びつく安易な生き方でしたが、それが思い通りの人生を生きていることだと、長い間錯覚していたのです。

将来の夢を持って、きちんとしたプロセスを経て夢の実現に向かうということが、何故できなかったのか?まるで、正攻法を行ってはいけないように感じていた?と思うほど、自ら外れようとしていたのが不思議でなりません。

周りのお友達が「同時通訳になりたい!」「タレントになりたい!」「玉の輿にのりたい」「スタイリストになりたい」など、それぞれの目標を持ち、それに向かって努力をしている時でさえ、私にはそんな明確な目標はなく、ただ毎日好きなことをして、楽しく暮らせないかなぁ。。。などとのんきに考えていました。

そんな時、フランソワーズ・サガンの『愛と同じくらい孤独』というインタビュー集を読み、「これだわ!」と膝を打ったのでした。



愛と同じくらい孤独 (新潮文庫 サ 2-15)


それは、私が17歳のときでした。

そこでサガンは
「永遠に子供でいたいのです。大人にはなりたくないのです」
と、そんなことを語っていたと思います。

この言葉を見た時、まさに私が心の底で望んでいること、しかし言葉にできずにいたことだと感じたのです。

以来、私の目標は「永遠に子供でいる事」になりました。
このような発想が俗に言うところの天才と呼ばれる人にだけ許された特権だと言うことを知るには、まだ私は子供すぎたのです。

自他共に認めるおばさんという年齢になり、その思いがいかに身の程知らずであったかと気付いてしまいましたが、時すでに遅しで、今だにその思いを払拭することが出来ずにいます。

すっかり大人になってしまったいまでも、私は大人でいることが心地よいとは感じられません。

気まぐれでわがままで、泣いたり笑ったり怒ったりと、好奇心の赴くままに行動し、感情をむき出しに生きていても、子供は可愛い寝顔さえ見せれば全て帳消しになります。
真の自由とは子供にだけ与えられた特権なのかもしれません。

しかし、大人は違います。自由に振る舞えば振る舞うほど人は警戒し、敵が増えていきます。運が悪ければ激しい攻撃に遭うことさえあります。
甲冑を身に纏うがごとく武装し、あらゆる武器を携えていくうちに、子供でいることができなくなるのです。

私も例外ではありません。実際は正真正銘の薄汚い大人そのものになっているのです。
子供のままでいたいがために物分かりのいい振りをしながらも、心では違うことを思っていることもあります。
ちょっと油断すると、自分の口から「今の若者は。。。」などという言葉が出てきたりします。
大人である自分が子供に向かって緩やかな牽制をしてみたり、少しでも危機を感じれば「大人を舐めたらいけないわよ!」などと、脅かしてみたり。。。
まるで深いお堀をはりめぐらせるように自衛のために大人という壁を作り、自ら子供である事を否定するような言動ばかりしてしまいます。



今の私はどこからみても、その辺にいるアラフィフの専業主婦です。
仕事もせずに、毎日食べて寝て、偉そうな事を言って、家事をするだけの女です。

思い通りに生きてきたつもりが、結果はこれなの⁉︎

改めて我が身を省みて驚いてしまいます。

しかし、そんな愕然とした思いを抱えていたのは私だけではなかったのです。

先日も仲の良いお友達とお茶を飲んでいる時、ついそんな事を愚痴ると、「それ!わかるわ!」と、大いに共感されたのです。

あるお友達は、

「私が思い描いていたのは、外国人エリートと結婚して、悠々自適な専業主婦になるはずだったのよ!」

そのために彼女は海外に留学もし、何年もヨーロッパの企業で仕事をしながら虎視眈々とそのその夢を叶えるべく道を歩んでいました。

どこからどう見ても、自由に自分の思うような人生に向かって、抜かりなくやっているように、本人のみならず周りも思っていました。

「しかしさ、どうよ!この歳になってみれば、専業主婦にこそなれたけど、普通の日本人と結婚して、なんとも平凡な人生じゃない?」

思い通りに生きてきたつもりが、思い描いていたものとは全く違う結果になった事を嘆きます。

また、別のお友達は、

「私もさ、今頃は5億円くらいは自分の貯金を持ってるはずだったのに、歳をとればとるほど、増えるどころか持ち金が減ってさ。。。」

こちらも途中で旦那様の会社が危機に陥ったり、予期せぬ出来事に散財を余儀なくされ、軌道を外れたといいます。

自分の何がたりなかったのでしょうか。
何が至らなかったのでしょうか。
思い通りにやっていても、思い描いた通りの人生にならないのは、なぜなのでしょうか。

すでに半分以上も過ぎ去ってしまった人生です。手遅れという言葉が頭の中に大きく浮かび上がります。

ただ一つ、確かなこと。今だからこそわかることは、ゆるゆると生きていてはいけないということです。
何事も全力投球しなければ結果は出ません。思い通りに生きてはいるけれど、ゆるゆると自分を甘やかしながら生きていれば、それ相応のものしか手に入らないということです。
つまり、その結果が今の私なのです。

「楽しければいいじゃないのよ〜」などと言っているうちに、あっいう間に時は流れ、自分が無駄に過ごしてきた時の膨大さに唖然とします。
そこから起死回生とばかりに、また見つけた何かに全力投球できればいいのですが、身についたゆるゆる習慣と心の癖はそう簡単に治るものではありません。
それこそ、人格を変える覚悟で挑まねばならないでしょう。



自分の人生において、私はこれを成し遂げたわ!といった充足感が欲しい方は、決して専業主婦になってはいけませんね。
家事を頑張ったとか、必死で子供を育てた!なんてことは、誰もが普通にやっていること。
よほど家事の達人や世の中がどよめくほどのすごい子供に育て上げない限り、ただの主婦です。

せめて仕事でも続けていれば、自分自身のゆるゆるとした精神を正す機会があったかもしれません。
組織の中で世間の厳しさと向かい合うことで、自他共に少しでも納得のいく結果を残そうと努力する事が出来たかもしれません。
もしも大した事が出来なかったとしても、仕事というやり甲斐を人生の達成感に結びつけることもできたかもしれません。
なにより、時間を持て余し、このような事を真剣に考えるような暇もなかったでしょう。

何歳からでもやり直しはできる!
そんな事はもう散々聞いてきましたし、それもありとは思いますが、同時に「三つ子の魂百まで」とも言います。
この根っからのゆるゆる気質に加え、長年の専業主婦生活でさらに磨きがかかっているのです。今更何を頑張れと言われても、頑張れる気はこれっぽっちもしません。

せいぜい、ブログであれこれ好き勝手書き続けるか、ちょっとしたパートでもやって小金を稼ぎ、スナフキンのように放浪するか、そんなところが身の丈に合っているといったところ。
いい加減、青臭い妄想は捨てて、これからもゆるりと気楽に生きていくしかないなぁ。。。と思うのです。

自分の人生というものを、これまであまりネガティブに考えたことはありませんでした。
これって、もしかして更年期障害の影響で情緒不安定になってるのか⁉︎ とも思いましたが、大袈裟ではなく全て事実です。

やはり、私に残された道はただ一つ。
もう大きな打ち上げ花火のような人生を目指すのではなく、今ある当たり前の生活の中で小さな幸せを感じながら、平凡に暮らしていくことを上等として生きていくことです。
過剰な期待や華やかな妄想はキッパリと捨て、これまで通りゆるゆると日々を過ごしていく。これしかありません!
ちょっと退屈ですが。。。

しかし、せめて自分の子供たちには、私のこの遅かりし気づきを伝えてあげなければと思うのです。
ソファーにだらしなく寝そべり、携帯片手にグタグタとしている娘を見やりつつ、

「せめて、貴方達だけでも自分の思う通りの人生を成し遂げて!」

そう、淡い期待を託すのでした。

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