お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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子供を叩くのは、自分が感情的になり、怒りでコントロールを失っての行動です。他に理由などありません。

買い物などで街をふらふらしていると、小さな子供相手にマジ顔でキレているお母さんをよく目にします。

先日も新宿の百貨店でお買い物をしていたら、そんな親子を見かけました。




何が気に入らないのかはわかりませんが、駄々をこねて泣きわめく子供に、最初は色々と言葉をかけてなだめていたお母さんも、いい加減キレたように、パシッ!と子供のお尻を叩きました。
余計に火がついたように泣き出す子供。すると今度は腕をピシャ!ピシャ!と連打で叩きます。

あまりの剣幕に恐れをなしたのか、子供はヒックヒックしながらも、必死で感情を抑えようと泣くのを我慢しているようでした。

これは別に特別な光景でも、軽蔑すべきことでもありません。
子供を育てたことのある人なら、誰でも一度ならず子供に手を上げた事はあるでしょう。

私とて、例外ではありません。
娘達が小さな頃は、聞き分けがあまりに悪いと、その小さなお尻をバシ!っと叩いたものです。

子育て真っ只中の当時は、それが躾の一環であると、本気で思っていました。
言ってわからないのなら、悪い事をしたらこのような罰があるのよ!と身体で覚えさせるしかないと。

今思えば、子供は本当に親の言うことがわかっていなかったのでしょうか?
もしかしたら、わかっていてもやめられない、わかっていてもやめたくない。と、そんな心境だったのでは?などと思うのです。
大人でもそんな時があります。私などアラフィフになった今でも、やるべきでないとわかっていても、ついついやってしまうことなど日常茶飯事なのですから。

しかし、そんな時、誰かが根気よく自分を諭してくれたら、時間はかかるかもしれませんが、心に落ち着きを取り戻すことができたのではないかと思うのです。

今振り返ってみると、子供に手を上げてしまう時は、自分自身が怒りに我を忘れ、完全にアウト・オブ・コントロールといった状態の時なのです。

子供のため、躾のため、そんなことはただの言い訳です。
子供叩いてしまう理由とは、自分が怒りに支配されて、コントロールを失っての行動、それ以外にはありません。




何もかもが思い通りにならない子育てに疲れ果て、さりとて手を貸してくれる人もなければ、胸の内を存分にさらけ出す場所も時間もない。
ただ一人、まるで宇宙人のように理解不能な小さな子供と日々格闘し続けるのは、想像以上にストレスとなるものです。
どんなに子供が可愛くても、それはまったく別の話で、ムカッとくるときはくるのです。

親とて人間です。観音様のようにいつも広い心で、何もかもを受け止めるなどという真似は出来ません。

このお母さん、きっと普段は優しいお母さんなのでしょう。顔を見れば、なんとなくわかります。
そんな優しいお母さんでも、感情をむき出しにしなければならないほど、気持ちを高ぶらせることもあるのです。

子育てしている最中は、自分がしていることを決して間違っているとは思っていないものです。
公衆の面前で我が子に手を上げたこのお母さんも、そうなのでしょう。

しかし、客観的に見られる今だからこそ思うのは、やはり自分が未熟であったということです。

根気強さが足りなかった。

自分の感情を冷静に省みることができずにいた。

私が我が子にお尻ピタン!をやっていたのは3歳までです。
自分なりに、3歳までは口で言ってもわからないと判断していたのです。
わかっていたのか、いなかったのかは、子供達も覚えていないとのことでなんとも言えませんが。。。
とにかく、それ以降は手をあげることはしませんでした。

幸いなことに、子供達はお尻ピタン!を覚えていません(笑)
覚えていたら、今頃何を言われていたか。。。

もしも、私がもう一度あの頃に戻ったならば、きっとお尻ピタン!はしないでしょう。

手を上げそうになったら、まずは子供のことよりも、自分の心に目を向ける努力をします。
どうしたら子供を泣き止ませ、言うことを聞かせるかの前に、

私ったら、いま激しく怒り狂ってる!

なんでこんなにムカつくのかしら⁉︎

この怒りはどこからくるの⁉︎

そう、自分の中に湧き上がる怒りの感情の正体を知り、冷静になってみる。
そうするうちに、少しはクールダウンできるかもしれません。

言うは易しで、怒り沸騰の時はなかなか難しいかも知れませんが、子供を叩いて育てるのは、やはりいい事とは言えません。

小さな子も大人も、誰でも人から殴られたり叩かれたりすれば傷つきます。
また、叩いた方も同じように拳は傷み、傷ついているものです。

力任せに服従させる事が出来るのは、子供が小さいうちだけです。大きくなればお尻ピタン!くらいでは言うことは聞いてくれません。
その挙句にどんどん暴力がエスカレートしてしまう危険もあります。

愛の鞭などと言いますが、それは直接手を上げたり、言葉の暴力を浴びせることではありません。
手を上げずとも、あらゆる場面で試練を課すことで、愛の鞭を振るう事はできるのです。

子供もいつまで小さいわけではありません。やがて成長し様々なことを学んでいきます。そうした中、叩いて育てるなどということは通用しなくなります。

我が家の子供達は現在、大学生と高校生です。目に余る言動があった時などは、もちろん親として怒ります。
その時、いかに相手の心に響くような説教ができるか⁉︎
それが重要になるのです。
ああ言えばこう言うと、生意気な口答えばかりされ、ムカ〜っとくることも多々ありますが、そこで怒っては負けです。

とにかく大人としての冷静さをもって、何がどういけないかを諭さなければなりません。
親がギャーギャーと怒りを露わにすれば、その剣幕に慄くことはするでしょうが、尊敬はまず得られません。

この人の言うことは聞く価値がある。

そう子供に思わせる事が重要なのです。

子育てとは長い道のりです。ずっと先にあるものを見据え、今こうすることで何十年先にどんな影響があるか?そんな事まで考えながら、子供に向き合っていかなければなりません。

叩いた先になにがあるのか?
親も子もネガティブな感情以外はなにも残らないでしょう。

甘やかさないことと叩くことは、決して同義ではありません。
自分が散々お尻ピタン!をやっておきながらなんですが、子供を叩いて育ててもいいことはないと思った方がいいでしょう。

それは、先にも申し上げた通り、怒りの感情を放出するだけの行為だからです。子供のためでもなんでもないのです。

子供は可愛い時ばかりではありませんが、お互いにワガママな人間同士。子供ばかりを責めるのではなく、自分のしようとしていること、していることにもしっかり目を向けるべきでしょう。

イライラしてばかりだと、自分も疲れてしまうし、ストレスになりますので。。。

ストレスは万病の元です。怒らないことは、子供のためのみならず、自分の心身の健康を守ることにもなるで、できることなら穏やかな心で過ごしたいものです。