1月も半ばを過ぎ、最近はまた平常通りランチのお誘いが増えてきました。
子育ても一段落したアラフィフにとって、話題の中心は「今後のこと」です。
仕事もしていない専業主婦にとって、家事育児が中心だった生活から徐々に卒業して行く年齢に差し掛かったというわけです。
気がついたらアラフィフになっていました。
「光陰矢の如し」の言葉そのままに、それは驚くくらいにあっという間の出来事でした(笑)
10代、20代は遊びと仕事と勉強
この時期はとにかく自分のことだけを考えて、毎日好きなことをして過ごしていました。
ライブやクラブに通ったり、週末にはスキーに出かけ、学校を卒業すると今度はその合間に寝る暇もないほどに仕事をして、また終わると遊びに行き、たくさん美味しいものを食べ、お酒を飲み、毎日お祭りのようでした。
そんな生活に飽きると今度はイギリスへ渡り、相変わらずのライブとクラブ、パブ通いで、海外生活を満喫するかたわら、英語の勉強を必死でやりました。
言葉が出来なければ話にならない!と、渡英してはじめて気づいたのです。
言葉に不自由しなくなると、今度は他の国々にも足を伸ばしました。陸続きでありながら、独自の文化を持つヨーロッパの国々を気の向くままに訪れて楽しい時を過ごしました。
そんな生活は30歳近くなるまで続きましたが、こんな風に自分のことだけを考えて、やりたいことを100%でやってきたことで、ようやく私は自分の子供時代を卒業できたように思います。
30代、40代は子育てと家族サポート
日本に腰を落ち着けることにし、結婚したのが30歳目前でした。そこからは自分のことはさておき、家族ファーストの時期が始まりました。
自分でも「この30代は家族に捧げる!」と覚悟を決めたのです。
子供を産み専業主婦となり、そこからは毎日家事と育児100%の日々でした。
家族が食べる食事はもちろん、ケーキなどデザートもよく作りました。PTA役員はもちろんのこと、地域のイベントのお手伝いまで、子供に関係することはなんでもやりました。
どこへ行くにも子供達と一緒。自分のやりたいこと、行きたいところもすべて子連れです。
それと同時に外国人夫のお世話もあります。日本に不慣れな夫が問題を抱えるたびに盾となり、どこへでも出て行きました。
時ににそんな生活がたまらなくなることもありました。もちろん。。。
これまで100%自分のためだけに時間もお金も気も遣ってきたのが、優先順位が一番下になったのですから。。。
子供や夫が寝静まった後に、夜中でも開いているカフェへ一人で夜お茶を飲みに出かけたり、本屋を覗いたり、時にお友達に付き合ってもらったりしながら、気晴らしをしていたものです。
それでも自分が不幸であるとか、間違った道を選択したとか、その時は全く思いませんでした。
まるで宇宙人のようなわけのわからない子供を相手にするのは、大変な中にも面白さを感じることができましたし、ステップアップしていく夫のサポートも不可欠であると感じていたので。
決して100点満点の母、妻、主婦ではなかったと思いますが、家族のために100%、自分のできることは全部やった!
そんな思いで終えた20年でした。
そして50代。。。
外国人夫もすっかり日本に慣れ、今では私のサポートがなくても自分でなんでもマネージできるようになりました。
そして子供達も。。。まだ学生なので、完全に自立したわけではありませんが、常に一緒にいる必要もなくなりました。
そろそろ「専業主婦」という肩書きがそぐわなくなってきたなと感じています。
100%全力投球
思えばその時々、自分の置かれた立場でやりがいや楽しさを探しながら、思う存分に全力投球してきたように思います。
もちろん「もっとこうすれば、ああしておけば」と、後悔していることは山ほどあります。
人間ですもの。。。
それでも。まぁ、こんなものかなと(笑)
自分自身、満足のいく彩りのある人生を生きてこられた一つの要因は、やはり専業主婦でいることができたせいだと思っています。
二足の草鞋を履いて100%の人生を生きている人もいると思いますが、私の場合はあれこれと複数のことを同時進行するよりも、一つのことにじっくりと取り組む方が向いていたし、何よりもそうしたかったのです。
これは人それぞれの考え方や性格によるものなので、どちらがいいという答えはありません。
ただ、私の場合は仕事にしろ、遊びにしろ、子育てにしろ、人に任せられる性格ではなく、何でもかんでも自分で100%取り仕切らなければ嫌な性格なのです。
もしも仕事をしながら家事育児をしていたら、きっと両方が中途半端になり、その結果罪悪感や劣等感に苛まれ、大きなストレスを抱えることになっていたはずです。
私が専業主婦になった時、深い考えはありませんでした。たまたま仕事を辞めたタイミングで妊娠したこと、生活が落ち着いたらまた仕事を再開するつもりでいたのですが、育児が思いのほか楽しく、すっかり子供との生活に夢中になってしまったのです。まさに子育て100%です。
運良く専業主婦でいる環境を作るべく生活を支えてくれた外国人夫は、まさに私の性格を熟知していたのでしょう。
「あなたは白か黒かの人だから」
そう言って、私の好きなようにさせてくれました。なにかと憎たらしい男ではありますが、その点ではとても感謝しています。
そして子供達が健康であったこと。どんな所にでも、ついて来られる体力と忍耐力があったことも感謝せねばなりません。
ワガママな母についてくるのは大変だったことでしょうから。
50年一区切り
「三つ子の魂百まで」と言うように、私の白か黒かの性格も変わりません。
では、今後の人生において何を100%ととするか。これは大きな課題です。
家庭の主婦、母としての役割は卒業です。
仕事もやりたいことができるのであれば、やりたいという考えはありますが、100%の力を注ごうとは思いません。
そうなると、原点に戻る。つまりは遊び100%が一番しっくりきます。
遊びと言っても、若い頃のように夜通しクラブで踊り狂い、飲み狂うなどという真似はできません。
中年女にとっての最重要課題は健康と美容ですから(笑)
私の考える「遊び」は、その都度興味を持ったこと、好きなことを楽しむことです。
まずは、若い頃のように一人で旅がしたいと考えています。
何十年も前に訪れ、楽しい思い出のある国を再訪し、昔はできなかったこと、この年齢だからこそできる旅をしてみたい。
そして、まだ訪れたことのない国を旅して、美味しいものにも出会いたい。
夢は膨らみます。。。(笑)
私は年齢を重ねることが美しいことだと、ポジティブに考えることができないのですが(若さの特権は多々あるので)、仕事や主婦、母としての役割を一巡し、さまざまな経験をした後で原点へ戻り、今度はどんなものの見方ができるのか?
そんな風に考えれば、年をとることも悪くないのでは?と思えてきます。
人は歳をとると子供に帰ると言いますが、それはきっと幼児化するということではなく、原点に立ち戻るということを指しているのかもしれません。
もしそうであるなら、私のこれからの人生は「遊び100%」です!
健康にだけは気をつけて、たくさん遊んで楽しもうと思います。