悶々と悩むほどの事でなくても、なにか心に小さな影を落とすような出来事は日々あります。
側からは毎日元気いっぱい、明るく生きているように見えても、その実どこか心の中に苦しい思いを抱えて生きている人は沢山いるはずです。
思い通りにならないことに苛立ち、落ち込み、足掻いて、どうにもならなくて諦めて。。。
私はいつもそんなことの繰り返しです。
なんとか自分を信じて頑張ってみる。
できうる限りのことは全力でやってみる。
前向きに考えれば、そうする事に意義はあるのでしょうが、努力をしたからといってそれが報われることばかりではありません。
自分にはどう頑張ってもできないこと、どんなに考えてもどうにもならないことはあるのです。
そうして絶望して、心の中に悶々とした思いを抱えて暮らしているわけですが、そんな状態を続けていては不健康です。
そんな時、私が最後に行き着くのはいつも「開き直り」です(笑)
こんな小さな世界の瑣末に翻弄されるなんて馬鹿げたことだわ!
私が今抱えている苦悩は、この小さな世界の中だけで起こっていること。もっと視野を広げてみれば、ほんのミジンコ程度の出来事に他ならない!
50年以上生きてきても、まだ見た事のないもの、行った事のない場所、経験した事のないこと、会ったことのない人、(ついでに食べたことのない物)は数え切れません。
もう人の一生なんて小さい!小さい!
いつもそんな風に考えるようにしています。
そんな小さな人生に起こるさらに小さな出来事に悩んだり、心を曇らせるだなんて、それはおかしな事なのよと自分に言い聞かせるのです。
本を読んだり、映画やドラマを観たり、音楽を聴いたりすると、そこには様々な人生が描かれています。
そんな中にある誰かの一生に自分人生を照らし合わせてみれば、それは全く違う世界で起こっている違った出来事ばかりです。
苦しみも悲しみも、喜びも幸せも、みんな違います。
人生は多様なものなのだなぁ。。。
そう思うと、今自分を取り巻いているものが全てであるという既成概念が取り払われていくように感じます。
違う人生もあると思えば、今に執着する必要も感じません。
家族、友人、職場など人間関係においても、自分を悩ませている人が一体どれほどの人物なのか?それほどまでに立派な人なのか?
そう考えると、大した人物でもないというのがほとんどです。
そんな大したことのない人に、煩わされているの?と思うと、なんだか馬鹿らしくなってもきます。
自分が何者でもないのなら、周りにいる人間も同類。同じようなレベルの人間が集まっているものです。そんな中で上下関係を意識する事自体おかしな事なのではないかとすら思います。
最近よく「マウンティング」という言葉を聞きます。それによって不快になることが多いのも理解できますが、結局のところ同じような人間の集まる小さな世界で起こっている事です。
そんな中でマウントしあう事に意味はありません。
自分のいまいる世界の外に目を向ければ、そこにはもっと素晴らしい人もいるし、酷い人もいるのでしょうから。
いま自分がいる場所こそが全てではありません。他にも世界は広がっていて、自分が望みさえすればいつでもそこへ飛び出していくこともできます。
そこに見えるのは違った可能性です。
今の自分が無力であったとしても、他の世界でもそうだとは限りません。
この小さな世界の中でうまくいかない事があるからといって悲観する必要はないのです。
ここがダメなら、また新しいところへ行こう。
そう思えれば気も楽になってきます。
なんとなく抽象的な物言いで、きっと読んでいる人は訳がわからないと思うのですが、こんな事を書いている理由はといえば、つまりは自分の理想とする「自分」と現実のそれとの乖離というのが全ての原因なのです。
歳をとるごとに身体の衰えを嫌でも意識するようになります。体力面だけでなく記憶力や瞬発力の低下、新しいことを吸収していく能力。。。日々嫌というほど感じています。
そんな衰えを自覚するごとに、かつてあった自信も自然と萎んで行きます。。。
そうなるとどんどん弱気になってしまい、物事を悲観的に捉えてしまうのです。
しかし、それではいけません。
物事がうまくいかない言い訳を探す前に、この小さな世界の外に目を向ければ、まだまだ自分が自信を持って生きられる世界があるはず、
そういう思いで生きていれば、少しは明るい気分にもなれるかと思ったのでした。
今日はなんとなくうまくいかない事が重なって弱気になったので、美味しい大福を食べながら自分を叱咤激励するようなことを書いてみたくなりました。
心が弱っている時は甘いものを食べるに限ります。お砂糖と一緒に心も溶けて癒されていくようです。
そんな大福の記事はまた後日ということで。。。(笑)