昨年の夏、ベランダのプランターにマリーゴールドを植えたのですが、その際に花から種を採取して一年間保存していました。
ようやく暖かくなってきたので、その種を植えたところ新しい芽が出てきました。
毎朝、日々大きくなっていく芽に水をやり、しばらく眺めているのが目下の日課となり、それが楽しくて仕方ありません。
土の中に埋めた種がやがてグリーンの芽を出し、少しずつ成長していく様を見るのはなんとも楽しいものです。
夏頃になれば美しい花を咲かせると思うと、それも待ち遠しく、心が知らず知らずに浮き立つのです。
私はガーデニングなどという趣味はありません。花につく小さな虫も嫌いですし、土いじりで手が汚れるのも好きではありません。
それが昨年の今頃、プライベートで様々な別れが重なり喪失感を抱えていたことから、ちょっとおかしくなっていたのでしょうか?
たまたま通りかかった花屋さんで見つけたマリーゴールドがあまりに綺麗だったので、買ってきて植えてみたのです。
その花は「元気をお出し!」と励ますように、それはそれはよく咲いてくれました。
夏を通り越し、10月頃迄頑張って咲いていたくらいです。
毎日毎日水やりをし、一つ、また一つと花開く様子を見ているのが大きな癒しとなったものです。
これまでも気まぐれに切り花を買っては部屋に飾ることはありましたが、土いじりなどは考えられないことでした。
植物を育成する能力が低いであろうという自覚もあり、決して興味を向けることのない分野だったのです。
それがこれほどまでに楽しいと感じるとは!自分でも不思議です。
おまけに「来年も再び蘇っておくれよ」と、ネットで調べながら種の採取までして、一年後に忘れずに植えるということまでしているのです!
と、そんな話を友人にしたところ、
「それは、あなたが歳をとった証拠よ!」
そんな衝撃の一言が。。。
友人曰く、
「人は歳をとって勢いが衰えると、土いじりに走る!」
だそう。。。
そんな話は聞いたこともない!と恐ろしい勢いで否定したものの、後になって考えてみれば、亡くなった父も還暦を過ぎた頃から極端に性格が丸くなり、いきなり野菜づくりなどを始めたものです。
「自分で植えた種が芽を吹き、やがて緑の葉を茂らせ、実をつける様を見るのは癒されるものだ」
そんな事を時折言っていたものです。
そして臨終の間際まで心配していたのは、残していく家族や経営する会社や社員のことではなく、なんと数ヶ月後に収穫する予定だったマクワウリの事だったのです。
なんというふざけたことを!
当時はそう思ったものですが、今はその気持ちがよくわかります。
毎日毎日、まるで産まれたての我が子を愛しむようにお世話をしてきたのです。行く末が気になるのは当然でしょう。
小さなマリーゴールドの芽を眺め、癒されながら、夏には咲くであろう美しい花を思い、自分ももう一花咲かせることができるのではないかしら?
いいえ、花の盛りはとうに過ぎたわ。。。などと独りごちてみたり。。。
これはやはり歳をとったということなのでしょうか?
外見や肉体の衰えは否定しませんが、そこまで老いてはいないつもりです。好奇心だって食欲だって、そして未来への希望だって若い頃と同じようにありますもの。
しかし、実際に私はこれまで触るのはおろか見向きもしなかった土いじりを楽しんでいます。。。
さらには新しい花の種でも植えようかと、先日はお花屋さんを何軒か見て回ってきました。
夜遊びもせず、早起きをしてプランターを覗き込んでいる私。
やはり勢いが衰えているのは否定できないのでしょうかね。。。