専業主婦という生き物

美味しいもの、美容、国際結婚、噂話、専業主婦についてなどを思いつくまま綴るブログ。

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子育てに正解はなし。立派な親になるよりも自分らしい子育てにこだわる理由。

パートのお仕事を始めてずいぶんと経ちました。他部署の方々とも面識ができてきて、色々な方とお話しする機会も多くなりました。

最近、ランチ休憩によく会う違う部署の女性達から子育ての悩みなどを語られることがよくあります。

子供を産んで産休後に職場復帰した女性、すでに二人、三人と複数の子供を持ちながら働いている女性、シングルマザーなどさまざまな人がいます。

物理的な大変さはもちろんのこと、子供の成長の遅れを心配したり、うまく育てられていないのかも?という不安、言うことをまったく聞かなくて困っているなど、また子供を預けて働くことでの罪悪感、反対に子供を理由に早退や欠勤をしなければいけない心苦しさなど、悩みは一つではないようです。

私は専業主婦として子育てをしてきたので、働くお母さん達の悩みを聞いても想像の域を出ません。
ただ、仕事で疲れて帰宅した後に、山盛りの家事を前に言うことをまったく聞かない子供達にぐずられでもしたら、それは大変だろうなぁ。。。ということくらいはわかります。





子供というのは本当に思い通りにはなりません。いつもは静かなのに、ここという時に騒ぎ出して言うことを聞かなかったり、大切な日に突然熱を出したり、どんなに根気強く教えても覚えてくれなかったり、大人の常識など到底持ち込むことはできません。

親とは勝手なもので、自分の子供にはとかく期待してしまいがちです。私もそうでした。子供達が小さな頃は「こんな子に育って欲しい」と勝手に理想を持ち、あれもこれもとできうる限りのことをしました。
それでも子供が成人した今、自分の思い描いていたような人間になったかといえば、まったく結果は違っています(笑)

今だからわかることは、子供をどう育ててきたか、子供とどんな関わり合いをしてきたか、それが子供の人間形成に大きな影響を与えるのはもちろんですが、決してそれだけではないということです。
その子供の持って生まれた性格、遺伝的要素、成長する過程で出会う親以外の人間との関係など、様々な要素が関係してくるものです。

その証拠に同じような環境で同じように育てた子供でも、成長するに従いそれぞれの個性が出てきて、決して同じような大人にはなりません。

また、親がどんなに愛情を注ぎ、立派な姿を手本となり見せて育ててきても、道を外れてしまう子供はいます。
私は自分が子供だった頃、また親になってからも、そんな子供達をたくさん見てきました。

子育てとは簡単なことではないのです。きれいごとで通用するなら、これほど多くのお母さん達が悩むこともないでしょう。

それは、どんな赤ちゃんであろうが、お年寄りであろうが、人はみんな「違う」からです。
違った特性を持った人間が、とってつけたようなマニュアルで都合よく「良い子」に育つと思う方が無理な話です。

私はその職場のお母さん達に、

「立派な母親になどなる必要はない」

そう言っています。

一生懸命に真面目に良い母親でいようとする人ほど悩みます。もちろん努力するのは大切なことですが、その思いが強すぎて自分を追い込んでいってしまう人もいるのです。

必要なのは、自分のペースで自分らしい子育てをすることだと思っています。
誰かの意見に左右されたり、他の子と自分の子を比べて優劣を意識したり、そんなことをやめるのです。

我々子育てを終えた世代は、

「大変なのは今だけよ」

「今が一番可愛い時なのだから!」

「そのうち自分の方が子供に依存するようになるわよ!」

「子育てなんてあっという間に終わって、その頃を懐かしく思うものよ」

そんなことを言います。
私もよくそんなことを言います(笑)

実際にほとんどの親子関係ではそうであると思います。
それは決して嘘ではなく、心からの本心ですが、全ての人に当てはまるとは限りませんし、いま大変な子育ての渦中にいる当事者からすれば、「そんな先のことよりいま大変なのよ!」と思う人もいるはずです。





昨今の「5080問題」(50代の子供が80代の親に依存して生活している問題)などを見てもわかるように、一歩間違えば、子供が小さい時とは形は違えど、より深刻な子育ての問題を抱える事になるのです。
そして、そんな子供を持つ親が必ずしも愛情を注がなかった、また毒親だったかといえば、そんな家庭ばかりではありません。

ごくごく普通に愛情を注ぎ、親として出来る限りのことを子供ためにし、自分では正しいと思っていた子育てが、数十年後になって上手くいかなかったとわかることもあるのです。

だからこそ、子育てとは難しいことなのです。どう育てれば良い子になる!などという確証はどこにもないのですから。。。
子育て本も、子育ての先輩のいうことも、案外当てにならないことが多いものです。

私は人の意見に耳を傾けるのは時に逆効果だと言っています。

自分の経験からものを語っても、それはその人の経験による結果です。参考にはなるかもしれませんが、万人にとって最善であるとは限りません。

もちろん苦しい胸の内を誰かに話すのはいいことだと思います。
古い世代の人間は「愚痴などこぼすな」と言いますが、私は愚痴を言うのは大いに結構だと思っています。
どれだけ子育てが辛いか、大変か、どんなに逃げ出したいか、どんどん口に出すべきです。
真面目な人ほどそんなネガティブなことを言っては母親失格なのでは?と、うちにとどめてしまおうとしますが、偽りの明るさで自分の中に毒を溜め込んこでプラスになることなどありません。
思い切り吐き出して、たとえ一時でも気持ちをスッキリさせれば、また辛い事にも向かっていく活力が復活するものです。

若い頃、友人が子育ての大変さから「子供を可愛いと思えなくなった」と、言ったことがありました。
ほとんどの人は、それは子供が可哀想よ。そんなことを思ってはダメ!と子供の可愛さについて延々と語っていました。
それはまさに正論でしたが、私自身は「可愛いと思えないものは仕方ない」と思いました。
そこで、「好きなだけ悪態ついてみなさいよ」と、子供のなにが嫌なのか、どんなところが気に触るのか、思い切り愚痴を言わせることにしたのです。
ここで思い切り愚痴った分、子供の前ではニュートラルでいること!という約束つきでです。

自分の子供に対する悪口を言うのは、普通であれば罪悪感があるものです。しかし追い詰められていた友人は堰を切ったように毒を吐き続けました。

そんなことを繰り返しながら、半年ほど経った頃、また子供のことが可愛いと思えるようになったといいます。
今でもその当時のことは語り草で、「あの時、自分の気持ちを偽ることなく悪態つけたお陰で乗り越えられたわ」と言います。
今では成人したそのお子さんと、時折ランチやお買い物を楽しむなど、普通の母子として暮らしています。

それはある意味、運のいいことなのでしょう。人によっては、完全に親子関係が断絶したり、問題を抱えた人間に成長していた可能性もあります。

それでも外に吐き出す意味はあるはずです。たとえ一時でも心がスッキリするなら、何もしないよりはマシと言えます。

もしも話す相手がいないのなら、ブログを始めましょう(笑)
冗談ではなく、自分の思いの丈を吐き出す場所としてはなかなかいいものだと思います。
他者からのお説教めいたコメントや批判が嫌ならば、そのような機能を削除することも可能です。

日記のようではあるけれど、向こう側にはきっと自分の思いを読んでくれ、共感している人もいるはずです。
そう考えれば、日記以上の意味を感じることができるはずです。

私も心が暗くなるような出来事があった時、モヤモヤとした時など、よくこのブログに書き散らかします(笑)
書いたもののお蔵入りしているものも多数ありますが、それすらも自分の気持ちを客観的に見つめるための材料になってくれています。





自分が通り過ぎてきた道だからこそ、改めて子育てに正解はないといえます。

可愛い自分の子供です。誰もが愛情を注いで育てたいと思うのは当たり前のことで、人から教えを請うようなことではありません。
その当たり前が辛くてできないからこそ人は悩むのです。

それは時に弱さであり、無知であり、親の方も問題を抱えているケースもあります。しかし、テレビのニュースになるような事態を招くほどではなくても、小さな闇を心に抱えながら子育てしているお母さん達はたくさんいるでしょう。


私自身、決して立派な母親ではないと自分では思っています。
子供達に誇れることなどありませんし、私の背中を見ていなさい!と言えるほどのこともしていません。
家事も育児も頑張ってきましたが、それはただ母親として当然の役割をしただけのことです。
なにも特別なことはしていません。

それでも、子供達は困った時や悲しい時、悩んでいる時には、私の元に来ます。
普段は憎まれ口ばかりでも、私が病んでいるときは、労わり世話を焼いてくれます。

決して聖人君子のような子供達ではありませんが、泣いたり笑ったり落ち込んだり、愚痴を吐いたりしながら、伸び伸びと普通に育っています(笑)

心身ともに健康であればそれで十分です。誰からも愛されるような立派な人間ならずとも、ただ自分らしく生きていって欲しいと思うだけです。

私自身、立派な母親になろうとするよりも、自分らしく自分のやり方で子育てをしてきました。そのおかげか、子育ての辛さに追い詰めらるようなこともなく、のんびりと自分のペースで子育てを楽しむことができました。

もしも私が「子供の見本となるような、良い母親でいなければ」との思いでいたら、きっと私は子育てが辛い事となっていたでしょう。


子育ては難しいものですが、だからこそ肩の力を抜くことも必要です。
どんな立派な親でなくても、たとえダメな姿を見せたとしても、親子の絆とは案外丈夫なものです。

自分が意識せずとも、子供は親のいいところ、ダメなところをわかっています。
きっと親子なんてそんなものです。
人に誇れるような立派な子育てなどしなくても、親子の絆はそう簡単に切れるものではありません。
子供にとっては唯一の親なのですから。

アラフィフとなった今も私は完璧な母親とは程遠いと感じています。
それでも、ふとした時に、子供達から認められていると感じられる瞬間があります。

それは子供たちが私の服を「これ、素敵だね。貸して!」と着て出かけていく時、「あのケーキの作り方、教えて!」とおねだりされる時、私のお勧めする映画を観たよ!と報告してくる時、私が若い頃に使っていたバッグを大切に使っているのを見た時、そんな些細な事ですが「あらあら、私みたいになりたいの?」などと、ニヤリとしてしまいます(笑)

子供の手本になるような母親でなくても構いません。ただ子供達が辛く悲しいとき、困った時に遠慮なく駆け込んで来られる駆け込み寺のような存在でいられれば十分です。

自分が育てた子供でも、それは私ではありません。私のようにならなくても、その子供なりの「自分らしさ」を大切に、自由に生きていってくれればそれで母は幸せです。

頑張った人、努力をした人が必ずしも報われるわけではありません。それは子育てに限ったことではありません。
人は持って生まれた性質、才能、そして運というものに大きくその人生を左右されるのもまた現実です。
時には理不尽な思いを抱えることもあるでしょう。
それでも自分らしくあることで、そんな理不尽なことも受け入れられるようになるものです。





私自身、悩みを抱えたり、迷ったりした時は必ず「自分」という原点に戻って物事を眺めるように心がけています。

アラフィフにして、まだ迷いながら生きているのです!

と、相変わらず長いです。。。

喋り(書く)始まると止まりません。
子育てトピックは専業主婦にとってはとても身近な題材なので、いくらでも語ることができます。職場のランチタイムなど、あっという間に終わってしまいます(笑)

散々語っておきながらなんですが、こんな私の言うことも例外ではなく、当てにしてはならないということです。

職場の若いお母さん達にもそう言っています。
これはすべて私の経験から語っている結果論であり、それは決して万人にとって正解ではないのだから、「こんな子育ての考え方もあるのね」くらいの参考にして頂戴ねと。

そして、

「あなた達はそれぞれのやり方で、自分らしく子育てをすればいいの!」

そう、お弁当をもぐもぐと食べながら言っています。

それにしても長い!くどいです!(笑)
5000字を越えてしまったので、今日のところはそろそろお開きとします(笑)