お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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人生を変えた言葉「井の中の蛙大海を知らず」。無知と傲慢さを自覚させてくれた出会い。

人には自分の人生を大きく変えるような出会いというものがあります。その時は気付かずとも、後になって「ああ、あの出会いこそが人生の転機であったな。。。」と、わかることもあるのです。

私にもそんな出会いがありました。

まだ20代の前半、時はバブル真っ只中。何もかもを手にしたような気になって有頂天だった頃のお話です。

ある日、仕事関係で知り合った知人男性とお寿司屋さんのカウンターに座って、美味しい海の幸に舌鼓を打っていました。

当時その男性は一回りくらい年上だったでしょうか。ちょうど長い海外出張から戻ったところに偶然顔見知りであった私と出くわし、晩御飯のお相手にとお寿司屋さんへ連れていってくれたのでした。

なんだかんだと海外の土産話を聞きながら、色々なお話をしたのですが、その時に男性から言われたのがタイトルの言葉でした。

「井の中の蛙大海を知らず」

「君は何もかもがわかったように言うけれど、僕からするとただの井の中の蛙だね」

そう言われたのでした。






若さもお金も遊び友達も、キラキラしたものは何でも手にしたような気になっていた当時、何もかもが上手くいっていて私の人生上々だわ!と、調子に乗りまくっていました。

そんな時に投げられた言葉です。
怒りを通り越して、ショックを受けました。

「狭い日本の、さらに狭い自分達の世界の中だけで生きているあなたは、実は何にもわかっていない。」

「自分のことをチヤホヤと持ち上げてくれる人の中で有頂天になっているだけ。」

「あなたの苦労や経験など、ありふれたものであり、なんら特別なことではない。」

「偉そうな事を言うなら、もっと広い世界に出てから言いなさい。」

今思えばかなり酷いことを言われまくっています(笑)

当時は若さゆえの傲慢さから、かなり生意気な言動をしていたのでしょう。思い出すとその未熟さや愚かさに赤面してしまいそうです。。。そして、それくらい言われても当然とも今なら思えます。

しかし、当時の私はそんな自覚などまったくありませんでした。
本来であれば「もう二度と会いたくないわ!」と憤慨し、ぷいと席を立ってしまってもおかしくはありませんでした。

しかし、なぜかその時は怒りの感情はなく、逆にその人の言葉の数々がひどく心に響いたのです。

もしかしたら、その人の辛辣な言葉の裏に愛情のようなものが読み取れたのかもしれません。

私はその数ヶ月後に日本を出ました。
もちろん理由はそれだけでなく、ちょうどそれまでの生活に飽きがきていたというのか、もっとなにかできるはず、新しい世界に飛び込んでいきたいという気持ちを持っていた時期でもありました。
そんな気持ちを大きく後押しされたというのか、アイデアのようなものを授けてもらったのかもしれません。
漠然とした思いを現実にする決心がつきました。

すぐに準備を始め、まさに井の中の蛙が大海を知るために、居心地のよかった井戸を飛び出したのです。

そして大海を泳ぎ始めた途端に、その男性の言っている意味がわかりました。

それまで持っていた私の常識や価値観といったものは、物の見事にひっくり返されることの連続だったからです。

今でも、「井の中の蛙大海を知らず」。この言葉は忘れることができません。

どんなに順風満帆にいる時でも、必ずこの言葉を思い出します。

もしかして、私は自分の小さな世界しか見ていないのかしら。。。

自分や自分が属するコミュニティの中だけで通用する価値観なのではないかしら。。。

いま、上手くいっていても決して有頂天になってはいけない。

そんな風に自分を戒めるようにしています。





なにが正しいのか、間違っているのかはわかりませんが、自分や身の回りの人達の思いだけが正しいわけではありません。
人はそれぞれの価値観の中で生きていて、場所や人が変われば思いも変わります。
そう思えるようになったのも、井の中から出たおかげです。

自分の無知や傲慢さを気づかせてくれ、「もっと視野を広げよ!」と教えてくれた、そんな出会いがあったからこそ、今の自分があると思っています。
当時、多くの人が若い女の子を喜ばせようと表向きの言葉でチヤホヤしてくれたものですが、こんな風に辛辣な言葉で私の価値観を粉々に打ち砕き、新しい世界に向かうきっかけを作ってくれたその男性には、とっても感謝しています。

もしもあの時、その男性と偶然会うことがなかったら?
その男性が私を井の中の蛙呼ばわりしなかったら?

もしかしたら私は同じ井の中で生きていたかも知れません。大海を知らなければそれはそれで自己満足に浸って幸せに暮らすことはできていたと思います。

それでも色々なところへ足を運び、こことは全く違った生活を送り、沢山の人々と出会い共に過ごしたことは、今では貴重な経験であり、自分の人生をよりよく生きるためのヒントにもなっています。

いま、特別な人生を生きているわけではありません。ごくごくありふれた普通の暮らしですが、そんな平凡な生活が幸せだと思えるのも、一度外に出た過去の経験あってこそだと感じています。

もちろんまだまだ海は広く大きく、私の泳いだことのない海域は無限にあるでしょう。
まだまだ知らないこと、見たことのないもの、一生巡り会えないものも無数にあることでしょう。
それでも小さな井の中から飛び出した意味は大きかったと言えます。

若い人達に「こうしなさい」などというアドバイスなどできませんし、するつもりもありませんが、、、

「小さな井の中を飛び出して、大海を泳ぐのはなかなかエキサイティングで楽しかったわよ」

それだけは言えます(笑)