先日、試験休み中だった娘と二人で、渋谷へクリスマスショッピングにいきました。
とりあえず、必要なものは揃う一番近い街ということで、子供達とのお買い物には渋谷へ行くことが多いのですが、私は今の渋谷に居心地のよさを感じません。
生活用品、食べ物、衣料品、文具に書籍、必要なものなら歩き慣れた銀座で十分です。
ただ、年若い娘からすると、雑貨も含め、お洋服や靴、バッグなどは、どうしても渋谷や新宿の方がいいらしいのです。
それならば近場で済ませようと、たびたび渋谷へ行くことになるのですが、とにかく疲れます。。。
渋谷を歩く際は混雑を避けて、裏道を抜けて移動するようにしてますが、それでも完全に人混みを回避することはできません。
お目当ての場所に近づくと、どこを歩いても人だらけ、ランチはおろかお茶一杯飲む場所にすら頭を悩ませるほど混雑しています。
新しい商業施設がオープンしたとなれば、そこには長い行列ができ、ゆっくりお買い物どころではありません。
街の大きさに対して人の数が圧倒的に多い街なのです。
東京という街はとても広く、繁華街と言われるエリアが点在しています。
若い人であれば新宿、池袋、原宿、秋葉原、中高年であれば銀座や日本橋など、渋谷以外にもたくさんあるというのに、なぜ人はあれほどまで渋谷に集うのでしょうか。
ハロウィンがあれば仮装してわざわざ渋谷へ集結、またスポーツのワールドカップが行われるときも渋谷で大騒ぎ。。。
あの狂乱を見ていると、申し合わせたように多くの人があの一点に集まるのはなぜなのか?どうして渋谷でなければいけないの?と、不思議で仕方がありません。
渋谷のなにがそこまで特別なのか?
その流れは誰がどこから作り出してきたものなのか?
皆目見当がつきません。。。
今の渋谷がわからないのは、私がすでにその街の部外者となっているせいなのでしょうか。
1980年代、まだ学生だった私にとって、渋谷は特別な場所でした。学校帰りはもちろん、お休みの日もよく渋谷で遊んでいました。
世の流行を牽引するようなファッションが次々と渋谷から生まれ、そんな大人達の作り出す個性が溢れた街は、自分にとっても何かを与えてくれるような気がしていたものです。
それはただ賑やかなだけでなく、ある種のパワーを感じることができた街でした。
流行は変われど、数年前まではまだそんな空気が感じられないことはありませんでした。
80年代の流行はとにかく目まぐるしく変わっていた記憶があります。ハマトラに代表されるようなトラッドから、ニューウェイブに移り変わり、DCブランドや雑誌『オリーブ』から出てきたような若者ががあちらこちらに見られるようになりました。
そして80年代も後半になると、今度はまるでトレンディードラマに出てくるような、ちょっと背伸びをした気取った若者が、ブランド物を身につけて公園通りなどを闊歩するようになりました。
ちょうどその辺りで日本を出ていってしまったので、その後10年以上は渋谷がどのように変わっていったのか、よく知らないのですが、新しい流行を認識したのは、2000年を迎えたあたりでしょうか、子供を伴ってまた渋谷を歩くようになったころだったと思います(あまりよく覚えていません。。。)。
その頃になると、公園通りではなく、センター街あたりに独自のファッションに身を包んだ若者が現れ始めました。
通り過ぎる大人たちが眉をしかめるような派手な身なりのギャル達が、楽しそうにたむろしていたのは、まだ記憶に新しいところです。
流行は変われど、常に新しいファッション文化が生まれてきた街、それが私にとっての渋谷でした。
そんな渋谷の街が無機質に浄化されようとしている。。。そう感じたのは、確か今から7、8年ほど前でしょうか。これもまた定かではないのですが、その頃になると青少年に対する取り締まりが厳しくなってきたように感じます。
中学生などが塾通いのために制服で歩いているだけで、補導の対象になるという話もあり、子供の一人歩きに神経を尖らせていたのを覚えています。
その頃から個性的な若者を見ることがなくなってきたように記憶しています。
いま、渋谷を歩いていても、これぞ渋谷!といったファッションに出会うことはできません。
「渋谷」という個性が見えないといった方がいいのかもしれません。
最近、リニューアルオープンしたパルコに行ってきました。かつてDCブランドに身を包んだ若者が集っていたパルコも、そんなトレンドを感じる場所ではなくなっていました。
中へ入ると、まるで今時の百貨店のようです。スクランブルスクエアもそうですが、もはや若者には手が届かないような価格帯のお店が、キラキラとお行儀良く並んでいるばかりです。
そんな中で行列を作っていたのは、任天堂でした。いまや世界の『NINTENDO』 です。
日本人のみならず、沢山の外国人観光客が列をなしていました。それは入場まで2時間以上もかかるような大行列で、大盛況と見受けられました。
しかし、実際にそんな中へ身を置いても、特別な空気は感じられません。
渋谷の再開発でオープンした他の商業施設もそうですが、ショップやレストランなど「目玉」とされているような店舗はあれど、それは一点集中で、街全体を見渡してみると、どこか個性が感じられないのです。
どこもかしこも同じような色、匂いがするのです。
それは街の小さな個人店が姿を消し、どこへ行っても同じ大手のスーパー一色に塗り替えられたような街の景色と似ています。
改めて見ると、小さな街も大きな街も、東京という場所自体の個性が徐々に失われてきていると感じるのです。
昔、友人達との待ち合わせによく使っていたパルコのシード館などは、渋谷を象徴するような個性的な空気感があったものです。
また老舗のライブハウスが何軒もあり、コアな音楽を楽しめる街でもありました。
かつての渋谷は、音楽やファッションなど、常に新しい文化が生まれる場所であり、だからこそ、多くの若者が集う街であったと納得できます。
ところが、今の渋谷にはそんなワクワクするような特別な空気感がないのです。
それは私が歳をとったせいで感性が追いつかなくなっているのか、また本当に街の方が変わってしまったのか、どちらなのかはわかりません。
渋谷再開発プロジェクトのコンセプトは、
「居心地のいい街づくり」
だそうです。。。
どこが居心地いいの?と思うのは私だけでしょうか。。。
確かにまだ再開発の途中であり、駅周辺も工事が行われている状況で、街自体が美しく整ってはいません。
あちこち迂回するか、商業施設の中を通り抜けながら、街の反対側へ行かねばならないややこしさもあり、とても不便です。
そのせいで、「居心地の良さ」が失われている点もあるでしょう。
しかし、開発が終わり、この不便が解消されたとき、渋谷が自分にとって果たして「居心地のいい街」となるのか、それはちょっと疑問でもあります。
なによりも、かつて自分が楽しんでいた街の姿が変わっていくのは、寂しくもあります。多くの若き日の思い出が、跡形もなく消えていくような思いにとらわれ、なぜそんなに変える必要があるの?と思わずにはいられません。
すでによく遊んだ場所、行きつけだった店などはとうに姿を消してしまいました。
そんな場所を歩きながら、娘達にも「マミーが若い頃、ここには◯◯という店があってね。。。よく遊んだわ〜」などという話をしながら歩くのも珍しいことではなくなりました。
古いものに固執するのはナンセンスだと常日頃から思ってはいますが、新しければいいという事ばかりでもありません。
それはヨーロッパの街並みを歩いていると実感できることです。
何十年、何百年経っても変わらない街は、まさに「居心地のよさ」を感じさせてくれます。
来年に控えている東京オリンピックを視野に、東京という街が変化しています。
前回の東京オリンピックの際は、私はまだ生まれてはいませんでしたが、年配の方に話を聞くと、その時も街は大きく変わったといいます。
便利になったこともたくさんあったでしょうが、その代わりに失われたものも多くあったと想像できます。
今の渋谷も同じなのかもしれません。
身近なところでは、西口の東急プラザもすでに生まれ変わり、かつてののんびりとした昭和感はなくなりました。
来年には駅前の東急百貨店も閉店となります。
これまで当たり前のようにお買い物や食事を楽しんでいた場所がなくなるということです。
「そこでなければいけない」ということではありませんが、そこだからこそ「居心地がいい」という場所でした。
今の渋谷は私にとって「居心地のいい」場所とはいえません。
かつての渋谷を知らない我が子たちに尋ねてみても、今の渋谷こそが彼女達にとっての渋谷なので、特段何かを感じることはないようです。
これは再開発がまだ完成してないのとは全く関係ないようで、ひょっとして、すでに若者にとっては、この個性のない街こそが居心地がいい場所となっているのではないかとさえ思えます。
若者だけでなく、大人も楽しめる街にということのようですが、渋谷はどこへ進んでいくのでしょうか?
そんなことをつらつらと考えながら、それでもまったく答えの出ないままお買い物を終えた時にはグッタリと疲れ果てていました。。。
半日くらいならいいのですが、朝から夕方までこの街で過ごすのはかなり疲れます。
ここが果たして万人にとって「居心地のいい街」となるのか、イベントの夜だけ異様な盛り上がりを見せるための場所になるのか、今の時点ではわかりません。答えはまだまだ先にあると言えるでしょう。
あまりの人の多さにお食事難民となってしまったその日、結局は別の街へ移動したのでした。
久しぶりのシェイク・シャック。
バーガー、フレンチフライにレモネード
疲れた身体にパテの肉汁が滲みました(笑)