最近、小泉進次郎議員の育児休暇取得が話題になっていました。
たったの2週間だそうですが、議員さんという立場では思い切った決断ですね。
休暇中のお給料は満額支給されること、また奥様の資産、ご実家から受けられるであろうバックアップなど、あらゆる面から見れば、我々一般庶民とはちょっと違うかなと。。。これにならって、どれだけの男性が積極的に育休を取得できるのか?といえば、それは疑問に思うところです。
世の中のお父様方は、育休制度の整っている大企業勤務の方ばかりではありません。
ギリギリの人員でなんとか仕事を回しているような中小企業などでは、育休を取得したくてもなかなか難しいというのが現実ではないでしょうか。
とはいえ、小泉議員が子育ての大変さを間近で見て知るという点では、意義のあることではと思います。
さて、我が家にも2人の子供がおります。もう一人は成人し、もう一人も来年には高校を卒業する年齢です。
そんな娘が産まれた20年前はといえば、男性の育児休暇などまったくお話にならない時代でした。
育児は女性が担って当然。子供が産まれたくらいで男が仕事を休む?
聞いたこともありませんでした。
当然我が家の外国人夫が働いていた会社もそうでした。育休という制度自体がなかったので、選択の余地もなかったのです。
しかし我が家の外国人夫は、どうしても育児がしたくてたまらなかったのです。
仕事から帰宅すれば子供は眠っています。きちんと子供と過ごせるのはお休みの日だけでした。彼にとって、それは十分な時間ではなかったようで、ほどなくして外国人夫は仕事を辞めてしまったのです。
ちょうど娘が歩くようになった頃だったと思います。
「これで、子供を連れて公園にも行けるし、ご飯を食べさせたり、お風呂にも入れてあげられるよ!」
本人はウキウキしていましたが、私はといえば、私が専業主婦になり、あなたが稼いでくるってことにしなかったかしら?
どうせならもっと早く、子供が新生児のうちに手伝ってほしかったわ。。。などと、一体なにを考えているの⁉︎ と思ったものでした。
しかしすでに仕事を辞めてしまったので、ガタガタ言っても仕方がありません。それよりは次の展開を考える方が先決です。
一番はやはり経済的なことです。収入がなければ生活はできないので、「それなら私が働こうかしらね」と、腰を上げた途端、「あなたは働かなくていいです」と。。。
さらにわからなくなりました。この外国人、とうとうご乱心?ロトにでも当たった⁉︎ と本気で思ったものですが、よくよく話を聞いてみれば、会社は辞めたけれど、お金は稼いでくるから大丈夫!と言います。
やれるものならやってみてちょうだい!と、私もちょっと愉快なような、意地悪なような、今から思えばずいぶんと悠長な気持ちでお手並み拝見としたのですが。。。
外国人夫は宣言通り、子育てをしながら同時に生活するに不足ないくらいのお金を毎月きちんと稼いできてくれたのでした。
子育てをしながらどのように収入を得ていたか?
簡単に言ってしまえばバイトの掛け持ちです。
具体的な仕事内容は割愛しますが、短時間である程度収入の得られるバイトをいくつか掛け持ちしたのに加え、プライベートで英語を教えたりと、あちこちからちょこちょことお金を作ってくるということをしていました。
バイトをする曜日も日数も、そして時間も不規則でしたが、専門的な仕事であったため、主に午後から、時に夕方からバイトに出かけていました。
そのような時間であれば、昼間子供を公園で遊ばせ、食事やお風呂のお世話などもできます。それらを存分に楽しんだ後で、仕事へ行っていたというわけです。
幸運なことにそんなやり方でもコンスタントに仕事をいただくことができ、最終的には会社勤務の時よりも収入は多くなったくらいでした。
聞いただけでは子育てに仕事の掛け持ちだなんて大変では?と思われるかもしれませんが、側で見ていた限りでは、これまでフルで仕事をしていたのを半分にして、後の半分で子育てをしていたように見え、時間的にもそれほど余裕のないものではありませんでした。
子育てに参加したいがために仕事を辞める。。。これはかなり乱暴なやり方であったと今から思い返せば、よくぞそれで生活してこられたものだと思いますが、それだけ外国人夫は育児がしたかったということなのでしょう。
子育てといっても、男性のやることなので、時にピント外れであったり、自分本位であったりと、こちらが望むようにしてもらえるばかりではありませんでしたが、本来なら一人でやることにもう一つの手が加わることで、心身ともに余裕を持つことが出来ました。
お陰で私もゆったりとした気持ちで子育てを楽しむことができたと今では思います。
ある意味で時代もよかったのかなと思います。20年前といえば、今ほど経済の冷え込みを感じることはありませんでしたし、外国人の数も現在のように多くはありませんでした。
外国人というマイノリティーであるからこそのメリットを最大限に活かすことができたからこそ、アルバイトという形でも十分な稼ぎを得ることができたとも言えます。
もちろん家族が生活していくために、外国人夫も知恵を巡らせ頑張ったのだと思います。そして、それ以外にもそれまで暮らしていた街から、もっと家賃の安いエリアに引っ越しをしたりなど、外国人夫も子育てに参加できるような体制を整えることもしました。
そんな生活を2、3年続けたのち、外国人夫は再び定職につきました。今後重くのしかかってくるであろう教育費を見越して、安定した職が必要と考えたのでしょう。
それでも上の子が小学生になるまでは仕事をセーブして子育てに積極的に関わってきました。
今では子供のことに関して、すっかり私に任せっきりの外国人夫を見ていると、ただ単に可愛い盛りの子供達と遊びたかっただけでは?とも思えます(笑)
それはそれでいいかなと思えます。
子供達が幼い頃に思い切り関わってきたことで、子供達の心の深い部分で父親に対する感謝が見えます。
私が寝た後、成人した長女と二人で近所のバーへ行ったり、夜遅くまでリビングで家飲みしたりと、自然な形で子供達は父親を受けいれています。
もちろん激しい衝突も日常茶飯事ですが、お互いに無関心でいるよりはいいとも思えます。
自分たちの子育てがどうであったか、答えはすぐに出るものではありません。10年、20年後にようやくわかるものです。
そう考えると、子供達が幼なかった数年間、外国人夫が仕事を辞めてまでも一緒に過ごしたことは、間違いではなかったのかなと思えます。
昨今ではスーツを着た男性が抱っこ紐に赤ちゃんを抱いて歩いている姿を見かけます。
かつて我が家の夫がやって周りから笑われたスタイルです。
そんな男性を見ると、素敵だなと思わず視線を向けてしまいます。
そして、いましていることは何十年後かに必ずよい形で返ってくると信じて、大切に育てていって欲しいと思うのでした。。。