お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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専業主婦には向き不向きがあり、いま自分のしていることが苦しいのなら、それは向いていないということなのです。

今年は長女が成人の日を迎えました。
早いもので、娘が産まれてからもう20年。
光陰矢の如しとはこのことです。

「私達、よく育て上げられたわね」

つい最近、週末に珍しく家に居た外国人夫を相手に、おまんじゅうなどを摘みながら私がしみじみと呟いたところ、意外にも外国人夫は真面目な顔で言いました。

「ありがとうございます。あなたがこの20年、家で一生懸命に子育てしてくれたおかげで、良い子に育ちました」

おやおや、ただのリップサービスなのか本心なのか、どちらにしろ言われた方は悪い気はしません。

普段なら「口ではなんとでも言えるわよね」などと悪態をつくところですが、自分でも「我ながら頑張ったわ!」と思っていたところなので、そう言われて満更でもありません(笑)

気を良くした私、

「あなたもよく頑張りましたね。本当によく働いてくれました!」

褒めてもらってばかりでは申し訳ないので、私からも素直にねぎらいの言葉を贈りました。

「あなたが一生懸命に働いてくれたおかげで、私は安心して子育てをすることができたのですよ!」

これまでの頑張りをねぎらわれた外国人夫も嬉しそうでした。大人になっても褒められるのは嬉しいらしく、これまでにないくらいに大きな笑顔を貼りつけたドヤ顔を見せてくれました。







子供を授かってから、二人で話し合ったことは、「絶対に自分たちの手で育てていこう」ということでした。
これは決して立派な決意という類のものではなく、ただ単にそこまで人を信用できなかったせいです。

外国人夫にとっては、日本という未知の国で子育てをしていく不安もあったのかもしれません。ベビーシッターによる虐待、保育園での事故など、他人へ子供を預けることに対しての抵抗が強くありました。

私はと言えば、働くなら育児はできません。と、初めから言っていました。
仕事と子育ての両立など、絶対にできないし、したくないと思っていたのです。
どう考えても、自分が両方をまっとうできるとは思えなかったのです。

そうなると、選択肢は一つしかありません。ベビーシッターなどに子供を託すことができないのなら、これまで通り二人で自由に働くことは不可能です。どちらかが仕事を辞めて家事育児を担うかしか選択肢はないということです。

正直言えば、専業主婦になる気など若い頃から微塵もありませんでした。
当時は結婚して3年ほど。収入の面から言えば私の方が多くありました。
外国人夫は割と何をさせても器用にこなすタイプだったので、子育てを任せても不安はないだろうと思っていました。

しかし、どんなに器用でも子供を妊娠することも出産することもできません。
ここが分かれ道であったといってもいいでしょう。

いざ子供が産まれてみると、私は仕事でも主婦業でもどちらでもいいような気になっていました。
どちらでも100%でできるのなら、きっと同じように楽しいだろうと思えたのです。

産まれた子供はとても可愛くて、子育ても初めてのことばかりで、とてもエキサイティングで新鮮な毎日でした。
もちろん大変ではありましたが、その「大変」の数々は自分がそれまで経験してこなかった事の数々です。
そんな新しいことは、苦労以上に私の好奇心を駆り立ててくれていました。

たまたま妊娠が分かる直前に転職しようとお仕事をお休みしていたこともあり、結局そのまま出産。当然すぐには仕事を再開できないので、その流れでなんとなく私が家事育児担当、つまりは専業主婦ということになったのでした。

(のちに外国人夫も仕事を辞めて、育児参加に乗り出したのですが、それについてはこちらの記事で)
www.hw-frankie.com


さて、それから早いもので20年です。

昨今では育児の大変さばかりが取り上げられていますが、面白いこと、楽しいこともそれと同じくらいあると、今でも私は思っています。

時に仕事をやり続けていればよかったかも。。。

わがまま言わずに仕事と家事育児を両立できていたら。。。

仕事をすることへの未練が残っているうちは(つい最近までありました)正直そう思うこともありました。

せめて子育てが一段落したときに、また復帰できるようにスキルアップしておくなり準備をしておけばと後悔したこともあります。

しかし、そんな「たら、れば」も、今はもういいかなと思えるようになりました。
それも私が50代という年齢だからそう思えるのでしょう。
もしも私がまだ30代、40代であったら、ここまで潔く思い切ることはできなかったはずです。







育児や家事には向き不向きがありますし、専業主婦でいることを楽しめない人もいます。
私も独身の頃は「専業主婦など絶対に無理!」と思っていましたが、いざやってみるとこれがなかなか楽しい毎日で、今となっては、これほど自由度の高い生き方はないと思えます。

ただ、私のように「専業主婦」も楽しいかも!と思えた人間と、なんらかの理由で致し方なくなった人ではかなり感じ方も違っていたでしょう。

40代、50代になって、どうしても仕事がしたい!となった時、必ずそのブランクは大きな足枷となります。

「あの時、仕事を続けてさえいれば、求職にこれほど苦労することもなかったのに!」

確実にそう地団駄踏むことになります。

そんな何十年も先のことでなくても、望まぬまま専業主婦になった人は、育児の大変さに加え、社会からの疎外感や満たされない承認欲求に苦しむことになるでしょう。

どんなに頑張ろうとも誰からも評価されない。それが一般的な専業主婦です。
また、家族にとっては極めて都合のいい存在です。まさに家庭内の便利屋さんといってもいいでしょう。

家族単位ではなく、自分も一人の人間として自分の思う人生を歩みたいと考えるか、家族と共に歩む人生も悪くないわと考えるのか。

前者であれば、まるで家庭に縛り付けられているような、たまらない気持ちになるでしょう。

専業主婦にお休みはないと言われています。家事も育児も完璧にやって当たり前。どんな頑張ろうが誰からもねぎらってもらえないという人も多くいます。
いつも朝から晩まで子供のお世話に明け暮れ、趣味を楽しむこともお洒落をする暇もない。。。そう思っている人も多いでしょう。

そのような人は専業主婦には向いていないのです。これは家事や育児の得手不得手ではなく、自分の中に専業主婦でいることを否定する気持ちがあるということです。

私は特に家事が好きだとか子供が好きというタイプの人間ではありませんでしたが、専業主婦の生活も楽しいものだ思ってやってきました。

よく専業主婦は休みがない、自由な時間がないと言いますが、それは自分で勝手に自分を縛り付けているだけです。いくら専業主婦であっても、本気で自分の時間を作ろうと思えばできるものです。
私にとっては就業時間に縛られることなく、自分で時間割を作れることの方がずっと楽であると思っていました。

また、よく言われるところの「社会からの疎外感」についても悩んだことはありませんでした。仕事をしている時とは全く違った人たちと知り合い、学校や地域の活動も含め、これまで経験したことのない体験ができることの方が新鮮でした。

私の場合は育児に積極的な外国人夫がいてくれたおかげで、それほどのストレスもなく育児をしてこられたのだと思いますが、共に家事育児をしたのはわずか2年ほどのことで、それ以降はずっとワンオペ育児になっていました。そんな育児は確かに大変なことも多かったはずですが、昔の大変だったことはほとんど忘れてしまいました。もともと根が楽天的な性格なので喉元過ぎれば熱さは忘れてしまうのです(笑)








ただ、私は常にこの生活は一生のものではないと考えていました。
常に状況は移り変わっていくもので、10年先、自分がどんな生活をしているかは未知のことと思ってきました。

子供が産まれたとき、長い人生の中でたった10年、20年くらい、専業主婦として家族のために生きてもいいのではないかと思い家庭に入りましたが、思った通りでした。

50代になったいま、私は専業主婦としての役割から少しずつ卒業し、自分のために生きていくという生活にシフトしつつあります。

来年には次女も大学生になります。そうなれば、いよいよ私の便利屋さんも暖簾を下すことになるでしょう。

世の中、思うような人生を生きられる人ばかりではありません。
働きたくても働けない、専業主婦になりたくてもなれない、望んだ通りにいかない人も多くいるでしょう。
そんな中、自分で人生を選択できる人は、非常にラッキーです。


仕事をしていても、専業主婦でも、どちらにしろ大変なことには変わりはありませんが、自分自身で望んだ人生なら、今ある暮らしに感謝できるものです。

そのご家庭ごとにさまざまな理由があるでしょうが、仕事がしたい人も、専業主婦になりたい人も、どうしたら自分の望む形になることができるのか、選択の帰路に立った時に努力しておかないと、必ず後で後悔することになります。

昨今では専業主婦になりたくない女性も多くいます。というよりは、ほとんどの女性が働くことを選ぶようになりました。

逆に専業主婦はと言えば、「貧困専業主婦」などという言葉が出てくるほど、リスクのある生き方とされています。

しかし、社会が、周りがどう言おうが、「これが自分の求める幸せの形だ」と思えるのなら、外野の声に惑わされずその道を行くべきです。

ただ、様々な理由からなりたくないのにならざるを得なかったという人もいるでしょう。
子供の身体が弱かったり、親の介護があったり、夫が転勤族であったり。。。
自分の努力ではどうにもできないこともあります。
そんな方が専業主婦でいなければいけないのは、とてもつらいことでしょう。
それでも、同じ日々は永遠には続きません。物事が常に移り変わっていくのは自然の摂理です。

私は自分が苦しい状況に陥ったとき、なす術がないときは、いつもそう思ってきました。
そして目の前にあること、自分ができうる限りのことを全力でやっているうちに、気がつけば窮地を脱していた。。。そんなことの繰り返しでした。

だからこそ言えるのは、今日と同じ明日はないということ、そして常に前向きに自分でできることはする。

それだけで、自身の気持ちも大きく変わります。

望まぬままに今、専業主婦となってしまった方、きっとストレスフルで不満の多い毎日でしょう。
しかし、何年、何十年後に自分が望む人生を手に入れるために、今目の前にある自分でできることを積み重ねてみてください。
いま、自分がどう生きるかで、先の人生が決まるといっても過言ではありません。
よほどの不運にでも見舞われない限り、10年後の自分は今の自分がもたらした結果となります。









時代によって「専業主婦」の形も変わりつつあります。
我々の年代と今の若い人では生きてきた社会も違えば、当然考え方も異なります。

ただ、どんな時代においても、専業主婦でいることが辛いということは、その生き方自体が向いていないのです。

私のお友達の中にも専業主婦としての生活に耐えきれず、子供が小学生になった時期に復帰した人はたくさんいます。

不向きなことをどんなに頑張っても苦しいだけです。それならば自分が望む場所で生きて行った方が家族にとっても幸せです。
何らかの事情で自分の立ち位置を変えられない人もいるでしょうが、チャンスは必ずきます。その時のために準備だけはしておきましょう。

反対に専業主婦生活は「楽しい」と胸を張って言える人も多くいます。
子供がいるいないに関わらずです。
専業主婦を選択するか否かを考えた時、もちろん子供の存在は無視できないものですが、子供のいない人でも専業主婦生活を存分に楽しんでいる人はいます。

自分になんの利益ももたらさない外野の声は、サラリと流せばいいだけ。
どこで、誰に何を言われても、自分の判断で、自分に向いた生き方を選択するのが一番なのです。