お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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過保護に育てると、結局苦労するのは子供自身。子はさっさと親から離れましょう!

以前『過保護のカホコ』というドラマがありました。
過保護な両親に育てられた一人娘が恋愛を通して成長していくというコミカルなドラマで、私も楽しみに毎週観ておりました。
しかしね、これはドラマでのお話です。実際、過保護に育てられた子供は、社会に出てからとっても苦労します。もう、能無し扱いされること間違いなしです(笑)



『過保護のFrankie』

私自身、「過保護のフランキー」として育ちました。欲しいものはなんでも買い与えられ、社会人になって幾ら稼ごうが親にお金など渡したことはありません。それどころか、お小遣いまでもらっていました。
出かける時の送迎も一声かければ親がすっ飛んできます。自分でなにもしなくても一言言えば全て問題解決してしまうというぬるい育ちなもので、家を出た時には訳の分からないことばかりで、たいそう困ったものです。
しかし、海外で一人暮らしをしたおかげで、幸いにもそのぬるさを早々に挽回できたのです。もしもずっと親と一緒にいたら、今ほど生きる力はつかなったでしょう。そして父(守ってくれる人)亡き今となっては、本当に海外で苦労してきてよかったと思うのです。

我が家の子育て

そんな自分の経験から、私は自分の子供達を育てる上での軸を「自立」としていました。
とにかくいつ世の中にたった一人で放り出されようが、自分の力で生きていける人間にする。これは外国人夫にとっては当然のことで、彼自身そう育てられた人なので、夫婦の意見は一致していました。
では、自立させるためにどんな風に育てたかというと、まずは衣食住です。
お手伝いデビューは1歳で、取り替えたオムツを自分でゴミ箱に捨てに行くというミッションです。
食事の後は使った食器をキッチンへ持っていくなど、もちろん補助や見守りはしなければいけませんが、出来ることはやらせるようにしていました。
幼稚園、小学生になってからは、お菓子作りから料理まで。これは夫が一緒にやっていました。何故なら私はモタモタやっているとイライラして「面倒くさい!」と全部自分でやってしまうからです。それでは子供の学びにならないと、夫が買って出てくれたというわけです。
掃除に関しても、長女は部屋全体に掃除機をかける、キッチンの洗い物、次女は洗面所やトイレなど水回り担当と、できる時にやらせるようにしてきました。
洗濯物は私の五十肩が酷い時は、干す役目、取り込みもやってもらいました。そして取り込んだ洗濯物の山から、各々が自分の衣類をとって、自分のタンスにしまいます。
他にも旅行に行く際のパッキングも、幼稚園からやらせています。一人一個小さめのスーツケースを渡し、旅行に必要な荷造りをさせるのです。
一度、中がぬいぐるみで一杯だったなんて事もありましたが、そんな時は「お風呂に入った後の着替えはどうするの?」などと、ヒントを与えながら考えさせました。
おかげで小学生の頃には、完璧に荷造りができるようになっていました。
こんなふうに、幼い頃から自分のことは自分でマネージして下さい!とやってきたせいか、現在は高校生、中学生になった子供達はなんでもできます。
たとえ私が留守にしていても、不便を感じることなく、普通の生活ができるので親の私も安心です。

過保護ちゃんは使えない

いま、お手伝いに行っている会社でも、沢山の過保護ちゃんバイトを見かけます。
20代はおろか、30過ぎても毎日豪勢なお弁当を親に作ってもらっているお嬢さん方。はっきり言って使えない人が多いです。
いちいちやり方を教えないと、ボーッと立っているだけとか、仕事を割り振っても自分で考える力がないのか、まるで非効率なやり方で延々とやっていたり。。。
デスク周りの整理や片付けすらまともにできなかったり、側に落ちているゴミすら拾えないとか、もう見ていて「親はなにを教えてきたんだよ⁉︎ 」とイライラするほどです。
しかし、若い子に目くじら立てる中年おばさんもみっともないので、そんな心の声はぐっと押しとどめ、一から丁寧に教えるという、私にとっては非常に苦手なことをしているのです。
一方でしっかりと育てられた子はわかります。なにをやらせてもソツなくこなし、常に次に自分がやるべきことを考えるのです。そして分からない時は、すぐに自分から出向いて指示を仰ぐなど能動的に仕事をします。
仕事を与える方も、忙しい時は教える手間ももどかしく、結局は使える人に動いてもらうことになるので、過保護ちゃん達は、さらにボーッとする機会が増えるのです。そんな雰囲気が伝わるのか、本人達もとても居心地が悪そうです。
私とて臨時バイト同然のお手伝い要員です。仕事を始めた時期も同じであり、全てが新しいことなのは同じこと。ましてやこっちは20年のブランク有する中年のヘタレ専業主婦なのですよ。そんな私でさえ1ヶ月もいれば、教えをこわずともできる仕事なのに、一向に自分からは動けないのです。
どうしたらこんな風になるのだ?と興味を持った私は、ランチタイムに色々と聞いて見ましたよ!
すると社会人になってからも、お母さんにお弁当を作ってもらい、実家住まいなのに家に家賃も入れない。携帯電話料金も親が支払い。掃除、洗濯もお母さん。もちろん朝ごはんも夜ごはんも家に帰ればすぐ食べられるという、至れり尽くせりの過保護ちゃん達でした。
一見、羨ましいばかりですが、お母さんのその愛情は、この子達のためになっていませんよ。
実際にその会社の社長(知人)などは、バイトの中にいい子がいたら社員にしたいんだけど、誰かこれは有能だって子はいる?などと、私に内偵をさせているくらいです(笑)
派遣とバイトを渡り歩いている人にとっては、正社員になれるのならなりたいという人も少なくありません。つまり、これはチャンスなのです。
しかし、いつもボーッとしている過保護ちゃん達は、いくら可愛くても推薦などできません。
まさに親の愛情が裏目に出ているといういい例です。

ならば専業主婦になればいい?

正社員にならずとも、とりあえず派遣やバイトで働いて、あとは結婚して専業主婦になればいい。そんな風に考えているお嬢さんもいます。
しかし、それは甘いです。専業主婦歴約20年の私が言うのですから、間違いありません(笑)
専業主婦といえど、自立していない人間は幸せな生活を送る事はできません。
主婦の仕事である家事、子供がいれば子育ても加わりますが、これらはある意味マルチタスクでなければ、ソツなくこなすことはできません。
家事などは慣れれば誰にでもできるようになるものですが、それを効率よくこなすのは別の話です。料理上手になるのも、綺麗に整理整頓された家を作るのも、ただやっているだけでは上達しません。ある意味、仕事同様に向上心が必要なのです。
それ以外にも社交という場面では、地域や子供の学校など、様々な場面で人とのお付き合いが生まれます。ここでもうまく立ち回らないと苦労することになります。
自立心のない人は、周りに合わせたり、人の顔色を見ながら行動するためか、それで疲弊してメンタルを崩してしまう人さえいます。まさにえげつない専業主婦の世界です(笑)
そして、なによりも経済的な問題。専業主婦は夫の稼ぎに依存して生きているニートだ、寄生虫だと言われています。その通り、我々は夫の稼ぎで生活しています。
しかし、それが永遠に続くと思ってはいけません。万が一、夫の稼ぎが途絶えた時、路頭に迷ってしまいます。
だからこそ、今は夫婦共働きが普通になっているのです。
「そんなこと言って、あなただってずっと専業主婦じゃないさ!」
などという声が聞こえてきそうですが、ただ夫の稼ぎに依存しているわけではありません。
我々アラフィフには、過去に作った財産があります。そして長年かけて作った人脈もあなどれません。もしも本当にお金が必要で働かなければいけない事態になっ時、そんな人脈を駆使すれば、仕事を選びさえしなげれば(ここが問題ですが)職を得ることはできます。実際に私は現在、知人に頼まれて期間限定で仕事のお手伝いをしていますが、それだけで自分一人生活できる程度のお金は稼げます。
あとは持ち前の楽天家気質と、根拠のない自信で、夫が稼げなくなったら次は私が稼ぐわよ!とそんな気概があるのです。
専業主婦でいるからには、覚悟が必要なのです。
財産+人脈+自信。これが専業主婦願望を持つ今の若い人にあるでしょうか?
もしあるのなら大丈夫!
なければ専業主婦願望などさっさと捨てて、若いうちから自分で生きていく道をしっかりと作っておくことです。
まぁ、親が億万長者で莫大な遺産でも期待できる人は別ですけど。。。

今からでも遅くない!

そんな超ラッキーな過保護ちゃんは、一生過保護ちゃんなまま、親が死んだ後もお金という愛情を受け取り続ける事ができますが、世の中そんな大金持ちの過保護ちゃんばかりではありません。
私も多少は親から譲り受けた物はありますが、一生安泰というものではありません。だからこそ、過保護ちゃんを脱却しておいてよかった〜と今になって思うのです。
前記した通り、私自身過保護ちゃんでした。だからこそ、社会に出て自分が全く使えない人間なんだわ!という自覚が生まれるのは手に取るようにわかるのです。
でも、まだ遅くはありません。気付きさえあれば、若い人は自分を育てる時間はまだまだあります。
まずは衣食住に関して、せめて自分の身の回りの事は出来るようにトライしてみることです。
家事というのは誰にでも出来ることです。簡単なことですが、いかに効率よく質の高い家事をするかは、案外頭を使うものなのです。これは社会に出た時に仕事にも活かすことができます。
仕事の全容と自分の役割を把握し、優先順位を決めて処理していくのは、家事も仕事も基本的には同じことなのです。
自分が生きていくために必要なことをマネージ出来ない人間が、きちんと仕事をこなすことなどできません。
まず変えなければいけないのは、人に(親)に頼って生きるのが当たり前というメンタルです。
私は父が亡くなってから、小遣いをくれる人もいなくなり、送迎してくれる人もなく、挙げ句の果てに全く分からなかった父の会社を廃業整理したりと、それはそれは大変な事が次から次へと押し寄せてきたものですが、父が亡くなる前に散々海外で訳の分からない事にぶつかり、自分で一人で解決してきた経験と自信があったので、なんとか滞りなく、全てを片付ける事ができました。
私の自立デビューは23歳でした。我が家の子供達に比べれば、ずっとずっと遅いデビューです。
しかし、それでも手遅れではありませんでした。今ではなんでも自分で出来ますからね。
これがアラフォー、アラフィフになり自身の親が亡くなるか、介護が必要になるころに「自立」だなどという事態になったら、とんでもなくツライ事になります。だからこそ、なるべく若いうちに自立するべきなのです。
親の方が子供から離れないというパターンも多いのですが、それならあえて自分から離れればいいのです。
この人生は親のためのものではなく、自分のものですから。



愛情というもの

手をかけてあげることだけが愛情ではありません。
親として本当の愛情とは、自分がいなくなっても子供がしっかりと生きていけるように育てることだと思っています。
我が子が可愛いのは誰でも同じですが、ペットではないのです。可愛い可愛いとみんなに頭を撫でられながら一生を終える人など稀です。ほとんどの人は社会の荒波に揉まれながら生きて行くのですから、そんな中に放り投げられても立ち上がり前に進んで行く力をつけてあげることが、最終的に幸せな人生を与えてあげることに繋がるのです。
「可愛い子には旅をさせろ」という諺がありますが、本当にその通りだとおもいます。

京都 修学旅行におすすめしたい、私がリクエストする3つの定番土産。

修学旅行で京都へ行った我が家の娘。今時の修学旅行で驚きなのが、現地で名所を回る際はタクシー移動するということ。なんという贅沢な。。。
しかも、おこずかいのが上限が2万円とは驚きです。
中学生の修学旅行で何万ものおこずかいって普通なのでしょうか?
交通費も宿泊代も、あちらでの食事代も全て学校へ積み立てたお金が使われるので、本人がお財布を開く場面はありません。ということは、お土産代になるのでしょうか。
それなら、本人の自由にはさせないぞとばかりに、私の好きなお菓子を買い集めるミッションを与えました。




『八ツ橋』

京都土産の中でも定番中の定番です。しかし、私は「生八ツ橋」ではなく、あの堅焼き煎餅のようなカリッとした硬い八ツ橋が大好きなのです。
もちろん生八ツ橋も嫌いではありませんが、テレビなんぞを観ながらボリボリやるなら、断然硬い方です!
日持ちもしますし、保存も楽だし、いくら沢山あっても大丈夫。
「いま京都にいるんだけど、八ツ橋欲しい?中は餡子?抹茶もあるわよ〜」
などと聞かれると、「焼いた方の八ツ橋で!」と答えます。生八ツ橋派が圧倒的に多いらしく、いつも「相変わらず変わってるわね〜」などと言われながら、一人でボリボリします。
まぁ、東京にいてもデパ地下の地方銘菓売場などでは並んでいたりするのですがね。
ちなみに八ツ橋のメーカーはいくつかありますが、私はやはり老舗『聖護院』の八ツ橋が一番好きです。
普段からそんな八ツ橋愛について語っているので、娘達の修学旅行土産は言わなくてもカリカリの八ツ橋を買ってきてくれますが、たまには違ったメーカーもいいでしょ?ということで、今回は『本家 西尾』の八ツ橋でした。こちらも言わずと知れた老舗です。
負けず劣らずとっても美味しいので大満足です。


滿月の『阿闍梨餅』


こちらも京都土産の定番ですね。薄めの餅製生地に、丹波大納言小豆を使用した餡子が入っているものを焼き上げたお饅頭のようなお菓子です。

私の周りでもファンが沢山いて、お互いに京都へ行った際は必ず持ち帰ってくるお菓子の一つです。
もう何十年食べているかわからないくらいですが、仙台銘菓『萩の月』同様に、私の大好物です。
「あじゃりもち」だなんて、名前からして可愛くて大好き!
ちなみに東京でも、これまたデパ地下で見かけることがあります。調べてみたら、日本橋三越や新宿伊勢丹、西武池袋本店で取り扱いがあるようです。
しかーし、やっぱり京都からお持ち帰りしたいものを頂いた方が、気分的にも盛り上がります。

『茶の菓』抹茶のラングドシャ

こちらは上の2品と違い、私にとっては比較的新しくランクインしたお菓子です。
ラングドシャ好きとしては、初めて食べた時に軽く衝撃を受けたものです。
なんといっても抹茶のクッキーが美味しい! とっても濃厚な抹茶風味にホワイトチョコレートがサンドされていて、『茶の環』の「お濃い抹茶ラングドシャ」にも匹敵する美味しさなのです。

普段は日本橋の三越へ行った際などに、『茶の環』で調達している抹茶ラングドシャですが、京都で買うとなれば『茶の菓』ですね。


京ばあむ

番外 : 子供達のイチオシ
最近、子供達に人気の修学旅行土産ということで、娘のお友達もほとんどがこの『京ばあむ』を買っていたとのこと。
そう言えば、3年前に長女も買ってきたた覚えが。。。

期待していた以上に美味しかったです。生地もわりあいしっとりしていて、甘さもひかめな上品なお味でした。
子供達に人気なのも納得の一品です。

地方の銘菓

定番のラインナップとなりましたが、なんだかんだ言っても、定番品とは長年多くのファンに愛されてきたということです。
それは「美味しくて、誰にでも喜ばれる」という証にほかなりません。
地方の銘菓は普段マメに買って食べるようなものではありません。自分が旅行へ行った時、誰かから頂いたとき、そんな特別な時に口にするものなので、何十年食べても飽きる事がないのです。
どんどん新しい銘菓が登場する中、新規開拓もしたいと思いますが、やはりこれら定番品からは一生離れられそうにありませぬ。

人に期待しなければ人生はもっと楽になる。でも自分には大いに期待するべし。

普段からあまり人には期待しません。しても自分でどうこう出来る事ではないので、その結果に一喜一憂するのが面倒だからです。
期待して、それが叶わなかったとき、どうしてもガッカリしてしまうものです。性格的に引きずるようなことはありませんが、心がザワザワとすることには変わりありません。そんな風に心が暗い方へ向かう感じが好きではないのです。




そもそも、こうなって欲しい、ああなったらいいなぁ。などという期待は、自分本位なものです。勝手に期待なんぞされてしまった方は、自分の身に置き換えてみれば迷惑なお話です。
人の心の中などエスパーでもない限り、どんなに親しい間柄でも、たとえ血の繋がった親子でもわかるものではありません。
期待された当人は、もしかしたら期待して欲しいなどと思っていないかもしれませんし、むしろ「勘弁してくれよ」と迷惑がっている可能性すらあります。
だからこそ、私は夫にも子供にも期待しないようにしています。
家族や身近な人に期待しないというのは、諦めとは違います。私にとって期待しないこととは、干渉しないことです。これって深い信頼関係があってこそできることだと思います。
子供が親の望む道を歩かなくても、きっと上手く生きて行くであろうという信頼、普段は能天気な外国人夫もいざという時は、家族のために体を張ってくれるであろうという信頼。
それは期待とは違います。期待しなくても、やる時はやるし、やらない時はやらない。それがよくわかり合った同士だからこそ、干渉しなくても心配ないということなのです。
これは、やはり家族ならではの形なのかなと思います。




また、他人に対してはまた少し違った思いで、期待はしません。
例えば仲の良い友人とは、お互いに貸し借りも作らず、持ちつ持たれつもしないというような、あっさりした関係です。
どこかへ行ったらお土産を、誕生日や記念日にはプレゼントをと、そんなことはお互いにしません。
ただ、自分が美味しい物を見つけた時などは、ついでに買ってお裾分けし合ったりと、そんなことはしょっちゅうしています。
これには期待がまったくありません。義理とか義務とか感じる必要もなく、ただサプライズという嬉しさだけがあるだけで、非常に気楽です。
これがもし、記念日に毎年プレゼントを贈り合うとなると、気に入らないものだったら申し訳ないなぁとか、お値段の釣り合いとか、なにかと気を遣ってしまうものです。そこには多少なりとも期待があるからです。
そんな口には出せない感情に、迷ったり悩んだりすることが、とても面倒に感じてしまう性分なので、期待に繋がるような要素は友人関係でも排除しています。

男女間の問題でもそうです。今は夫がいるので、男の人とのお付き合いもありませんが、昔から恋愛関係において、相手には期待しませんでした。
好きな人が出来ても、相手からデートのお誘いを期待するとか、距離を縮められるかしら?なんて期待は皆無です。
「どうせ私なんかだめだわ。。。」と、そんな気持ちではありません。
ものすごく好きになったなら、相手がこちらに関心がなくても、こちらが思う気持ちだけでいいのです。これぞ、まさに以前書いた泉鏡花の『外科室』の世界です。

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こちらを振り向いてくれるかな?お付き合いできるかな?など、そんな期待は持ちません。期待しなくても、お互いに気持ちがあれば距離は徐々に縮まっていくものだからです。
だいたい相手が自分に気があるかどうかなどは、なんとなく分かるものです。期待したところでダメなものはダメでしょうし、たとえ期待などしなくても、うまくまとまる時はまとまってしまうものです。
余計な期待をして思いを深め、それでもどうにもならない関係に思い悩んだり、駆け引きしてみたり、イライラしたり、挙句に相手を「可愛さ余って憎さ百倍」とばかりに恨んでは、せっかくの恋心が台無しになってしまいます。
人の心なんぞ、うつろいやすいものですからね。期待するだけ虚しいものです。それなら自分の気持ちを大切にした方が、よほど恋が楽しくなるというもの。

このようにどんな形であれ、人には期待しないに限るのです。
その代わり、自分には大きな期待をかけます!
何故ならば、人の心は分からずとも、自分のことは自分がよ〜くわかっているからです。
次の資格試験、絶対にパスできるわ!
あと5キロ痩せたら、もっと綺麗になってモテモテだわ!
◯◯を達成したら、どこどこに旅行へ行ける〜!
などなど、自分が並べたハードルをクリアするために、大きな期待をかけるのです。
これはある意味、自分次第です。自分に期待して、その分頑張ることで期待に応えることができるのですから。

見ることのできない人の心なんぞに期待する暇があったら、自分に大きな期待をかけて、自身を向上させる方がよほど充実した人生を送れるはずです。
時間は有限なのだから。。。

五十肩(四十肩)の痛みを治すためにやったことと、これだけは手元に置きたい便利グッズ。

四十肩に悩むお友達を尻目に「私は全然大丈夫よ〜」と、自慢げに腕をブンブン振り回していた数年前の私ですが、五十代に突入してすぐに異変が。。。

その、はじまり

五十肩はそれとなく、本当に気づかぬうちに忍び寄ってきました。
今思えば、左の二の腕辺りに違和感を覚えたのが始まりだったのかも知れません。
なんとなく、二の腕の前側あたりが時折痛いような気がしていました。激痛というほどのものでもなく、チクっとしたり、鈍痛みたいな感じでだったり、ちょっと気になる程度の痛みです。
乳房から近いことから、乳癌なども考えて、自己チェックなどもしていましたが、これといった異常は見つかりませんでした。
そうこうするうちに半年くらいが経過、二の腕の違和感にも慣れてきた頃、黒幕が徐々に姿を現し始めたのです。



腕が上がらない!

ある朝、着替えをしようと腕を上げた時、左上腕部に痛みを感じました。もしかしたら変な体勢で寝てたのかしら?などと気にしていなかったのですが、その痛みは日に日に強くなり、とうとう少しでも腕を動かすと激痛が走るといったレベルになってきました。
こうなると、もう寝返りを打っただけで激痛で目覚め、まともに睡眠もとれません。すれ違いざまに誰かと肩が触れ合っただけで激痛が走り「ギャー!」。
もはや着替えすらも一人ではできない状態で、ジャケットを脱ぐのも誰かに手伝ってもらわなければ出来ません。お風呂に入る時も、家族の誰かに服を脱がせてもらわなければいけない有様。
温めていいのやら、冷やした方がいいのやら、もう色々やってみましたが、まったく効果は無し。
買い物をしても重い荷物を持てないので買わなくなり、五十肩節約してしまうほど重症化していました。

そんな日々が何ヶ月も続けば、どうにか慣れてくるものです。
痛みのピークは過ぎていたのか、激痛が走るのを我慢しながらも、左腕をかばいながらなんとか一人で着替える術も身についてはいましたが、どうしても出来ないこともあります。
それが自分の背中を掻くことと、耳のお掃除です。
とにかく左腕が上がらないので、体の片側はいじれません。これには大変困りました。

便利グッズ

そこで私が買ったのは「孫の手」です。
昔はどこのお宅にでもあったものですが、最近はあまり見かけません。どこに売っているのかすら見当もつかなかったのでネット通販で購入しました。
この「孫の手」は本当に重宝しました。背中がかゆくなったら右手で孫の手を持ってカリカリ、カリカリ。お陰で問題は無事解決致しました。
もう一点、あると便利なのが耳かきです。なにぶん腕がまったく上がらない状態です。綿棒などでは短過ぎて耳の穴まで届かないのです。
そこで役に立つのが耳かきです。普通に耳掃除をしたり、お風呂上がりには先にクルクルと薄く脱脂綿を巻いて綿棒がわりに耳のお掃除をしていました。
この2つがあるとないとでは大違い。本当にあってよかった〜と思ったものです。


竹製 炭化竹孫の手一本


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五十肩を治すために

周りのお友達にも沢山の四十肩、五十肩の先輩がおります。
とにかくそんな沢山のお友達に、五十肩インタビューをして回ったのですが、結論から言えば「何をしてもダメよ。時期を待つしかない」という言葉がほとんどでした。
針を打ってみたり、マッサージに通ったり、痛み止め注射まで打っている人もいましたが、気休めにしかならないと言います。
私も主治医に相談してみましたが、痛み止め打ってやるぞ!としか言われませんでした。
ただ、あるお友達は仕事を始めて体を動かすようになってから、改善されてきたと言います。
アパレル関係のお仕事だそうで、ハンガーに洋服をかけて腕を上げる行為がよかったと分析していました。痛くても頑張って少しずつ腕を上げるようにしたところ、どんどん上がるようになり、そのうち痛みも引いてきたそうです。

上も横もダメなら後ろ

そこで私も考えました。確かに長年運動不足でまともに体を動かしていないので、節々も硬くなっているはず。気休めの注射などを打つ前に、少し自分で腕を動かすような運動を試してみる価値はあるかもしれない。
しかし、もちろん左腕は痛くて上には上がりません。上がダメなら横はどうだろう?
うう。。。これも痛すぎる。
ならば後ろは?とやってみたところ、なんとか少しは動きます。
私がいつも座っている椅子の後方には、孫の手が置いてあります。それを振り返らずに腕だけ伸ばして取るというのを試しにやってみたところ、痛いけれどやって出来ないことはなかったので、痛いのを我慢しながらもとりあえずそれをしばらく続けていました。
すると、徐々に痛みが軽くなり、腕が少しずつですが上がるようになってきました。
やはり動かすのは効果があるのかも⁉︎ と、激痛を覚えない程度に、今度は多少重さのあるものを持って、腕を前に横にと上げてみたり、負荷をかけながら(1キロ以下の物を持つなど)動かす機会を増やしていきました。
そして一年後の今、万歳できるくらいまでに回復です。
まだ完全に痛みがないわけではありませんが、生活に支障をきたすようなことはなくなりました。

自然治癒と痛みの期間

私は約1年でなんとか五十肩を脱することが出来そうですが、人によっては2年かかったという人もいます。
沢山の人に聞いてみましたが、これは本当に個人差があるようですね。
体を動かしている人は、期間も短く軽く済んでいる傾向にある一方で、私のような専業主婦は運動不足なのか、長引く人が多いと感じました。
ただ、2年以上痛みが続いたという声は聞きませんでした。何をやってもダメだったので、ひたすら痛みに耐えて放置していたところ、2年経過したところで、痛みが徐々になくなり、完全に自然治癒したという人もいます。
なんだかよくわからない四十肩、五十肩ですが、更年期障害の一つみたいなものと受け入れるしかないようです。

注意

ただ、私の場合は痛みがピークの時は、とにかく安静にしていました。
ネットなどの五十肩情報にも、炎症が起きている時は動かさない方がいいとあったので。
運動を開始したのは、かなり経ってからで、五十肩の痛みともお友達になったくらいに慣れた頃です。
もう、本当に馬鹿に出来ないくらいに痛いので、始まって間もなくは動かさない方がよいように思います。
私などは痛みがピークの時に、外出先でアクシデントがあり、腕を思い切り動かしてしまい、全身の血の気が引き、息が出来なくなったことがあります。気分が悪くなってその場にうずくまり立ち上がれなくなってしまい、一緒にいた人に付き添われて近くの喫茶店でしばらく休んでいました。それでも、その後1週間は炎症が酷くなったのか、ほとんど左腕は動かず外出もできませんでした。
たかが五十肩ですが、それはそれは凄まじい痛みなのです。
私の場合は四十肩は知らずに40代を終えましたが、人によっては四十肩と五十肩、両方に襲われたという人もいます。
もうあんな痛みは勘弁だわというくらいの激痛。
去ってみれば、あれ?という感じなのは、まさに出産の痛みと似ているような(笑)

とにかく、この記事が少しでも世の中の四十肩、五十肩に悩んでいるご婦人方の参考になれば幸いです。

年賀状を出すのをやめたけれど、どうということはなかった。もらって嬉しい人ばかりではないってことよ。

早いもので、あっという間に11月に突入です。1日からは全国の郵便局で年賀はがきの販売が開始されました。

私も3年前までは、毎年この時期になると「今年は何枚年賀はがきを用意すればいいかしら?」と、送る相手の数を確認したり、出す相手によって何通りかのデザインを考えてみたり、さらには日本語版、英語版の文言を考えたりと、それはそれは大騒ぎでした。
それでなくても我が家は夫が外国人なので、海外にいる家族や友人知人にはクリスマスカードやプレゼントを送らなければならず、その上年賀状なので、全て終わった時はもう疲れてしまうのです。

そんな何十年を過ごしてきましたが、ある時ふと、これがものすごい負担になっていることを感じたのです。
その時初めて「どうしても出さなきゃいけないもの?」と考えました。



大変な思いをして送りっこ

3年前の11月、いつものように誰に年賀状を送ろうかとリストを眺めている時のこと
「この人もあの人も、もう長いこと会っていないのに、どうして毎年年賀状だけ送り合っているのかしら? これってただの義理⁉︎」
そう思ったのです。
特にお世話になっているわけでも、お世話しているわけでもない完全に疎遠になっている相手に、なぜ大変な思いをしてまで毎年年賀状を送り合っているの? それっておかしくない?
もしかしたら、相手もそう思いながら、人付き合いの「マナー」という言葉に縛られているのかもしれない!
そう考えたのです。
相手が送ってくるからこちらも出す。そう思っているのは自分だけではないのかもしれません。本当はどうでもいい相手でも、あちらは毎年くれるから。。。と、気を遣って送ってくれている人が、少なくとも半数はいるのではないかと。

今はパソコンやプリンターさえあれば、挨拶文から宛名書きまで、自分が手を動かさずとも機械がやってくれます。また外注に出せば業者さんが綺麗に仕上げてくれます。しかし、どうせ出すならオリジナルのものを!と考えると、それはそれは手間がかかります。
暇な専業主婦などは、一年のハイライトシーンを賀状いっぱいに写真で埋め尽くしたり、そんな写真を加工して面白いものに仕上げてみたり、それはそれは手が込んでいます。(その手間ほど貰った方は面白くないのですけどね。。。)

私も毎年、多少は楽しみながら写真選びをしたり文言を書き込んだりしていましたが、やはり大変さの方が優っていました。しかも「元旦必着 ‼︎ 」を考えると、まるで締め切りにでも追われているような気分になったものです。
これがビジネスに有効であるとかなら(つまり利益に結びつく)、ステキな賀状でもつくってやるか ‼︎ と気合いも入りますが、所詮は専業主婦のお付き合いです。まったく付き合いの絶たれた人か、今更賀状もなにも、しょっ中遊んでいる仲良しかしかいないのです。

年賀状を出さないのは非常識なのか?

そもそも今の時代、年賀状を出している人ってどれだけいるのでしょう?
巷の統計などはあまり信用していないので、これまた狭い専業主婦世界でのフランキー調べによりますと、「出す派」と「出さない派」は半々くらいでした。
アラフォー、アラフィフという年齢からもう少し出す派の比率が高いと思われましたが、案外出さない人もいるのですね。
それに対して「出す派」の人は、
「年賀状すら出せない人は、何事にも非常識な人が多いのよ!」と口々に言います。私がかつて「それはマナーだから」と、心を縛られていたのと同じ感覚です。
でもね、考えてみると、その常識自体が時代によって変わるのですよ。その昔、昭和の時代にはLINEやSNSなんてなかったもの。。。連絡といえば電話か手紙でした。そんな時代には年賀状を送り合うことにも、今より大きな意味があったのでしょう。
お互い一年に一度くらいは気遣いしあいましょうねということだったのかもしれません。だからこそ「出す派」の方々は、一年に一度のことくらい出来ないのは怠惰でだらしない。そんな事も出来ないのは常識がない!という意見なのでしょう。

しかし今は時代が違います。好きな相手に好きな時にメッセージを送る手段が山ほどあるのです。年賀状を出さないくらいで、お付き合いをないがしろにしているとか、不義理をしているということにはなりません。昭和の時代と違い、もっと簡単に早くメッセージを送る方法があるなら、そちらを選ぶのが合理的というものです。もはや、年賀状を出さないことが非常識であるという時代ではありません。

ただ、そんな手段を持たないお年寄りや年配の方々には、相応の気遣いが必要ですが。

万が一の数枚

親戚の叔父や叔母など、年配者になると、年賀状は出して当たり前と考えている人が多いものです。
私はそんなお年寄りには、例外的に送ってくれた人だけに出すようにしています。それは、年賀状を楽しみにしているからです。
特に家族、親類縁者の中ではブラックシープな私は、どこでなにをやらかしていのやら?と心配されているようなので、とりあえず年に一度の安否確認として待っている爺さん、婆さんには出すことにしているのです(笑)
そのため、すでに柄と文言があらかじめ印刷されている年賀状を10枚ほど用意しています。それで足りなくなった時は、元旦早々にコンビニへ走ることになりますが。。。
今は便利なもので、年が明けて三ヶ日過ぎてもコンビニにはしっかり年賀状が並んでいます。絵柄は選べませんが、それでも事足ります。

本当に送りたい3枚の年賀状

年賀状を出すことをやめたとは言え、実は私には3人だけ気合いを入れた年賀状を送る相手がいます。
一人は幼馴染です。小さな頃から年賀状を送りあったり、交換日記をしたりしていましたが、今は遠く離れて住んでいます。
何故か自分でも理由はわからないのですが、LINEなどは繋がっていません。ただ毎年年賀状を手紙がわりに送り合っているのです。
もう一人は学生時代の男友達で、絵を描く事を生業としている人です。いつも手書きのイラストでものすごくアートな年賀状をくれるので、そのお返しとして、私も絵を描いて送っています。
最後の一人は親友です。頻繁に会っていますが、年賀状にはその年に二人で遭遇したハイライト的な出来事を、お互いの切り口でイラストにした「絵年賀状」を送り合い、お互いにそれを見て元旦から大笑いしましょう!という趣旨です。
この3枚の年賀状だけは、本当に書く(描く)のが楽しくて、今後もずっと続けていきたいと思っています。
まぁ、年賀状というよりはレクリエーションといった感じですが。

新年のご挨拶も多様化

昨年は海外に住む友人から、メールで新年の挨拶が届きました。
表示されたところをクリックすると、メッセージが画面が現れるといったものです。これはなかなか素敵だな〜と思ったものです。
これまでは紙が主流だったものが、どんどんペーパーレスな世の中に変わっています。年賀状も然り「脱・紙の年賀状」と、そんな時代になっているのです。
知人の中にはFacebookなどを利用して、一気に家族、友人、知人へ新年のご挨拶を済ませてしまう人もいます。それだけ新年のご挨拶も多様化しているのです。

おまけ : 持論、子供の写真入り年賀状はありか?

これ、よく話題になるテーマなので年賀状トピックついでに一言。
私個人的な意見としては、人の子供の写真などどうでもいい!といったところですね(笑)
貰って嬉しいのは、ジィジやバァバだけでしょう。赤の他人で貰って嬉しいとか、楽しみにしている人などいないのではないでしょうか?
子供がいない人、独身の人だけでなく、私のような子持ち専業主婦でさえそう思うのですから、これは親の自己満足以外の何物でもありません。
子供の写真に加え、ご丁寧に訳の分からないキャプションつきです。

「運動会で一等賞になりました!」
(だから???オリンピックにでも出たような騒ぎね。。。)

「バレエの発表会でくるみ割り踊りました!」
(たかが群舞でしょ⁉︎ 自慢になるの⁉︎)

「我が子もハワイデビューです!」
(ハワイデビューって意味不明だわ。。。)

もう、このようなものを見ても嬉しくも楽しくもありません。これを見て目を細めるのは身内か仲良しごっこをしているお友達くらいでしょう。
それはそれで親孝行の一つなのかしら?と思わないでもありませんが、友人知人など相手を選ばず、誰もかれも同じ内容で出すのはいかがなものでしょうか。
以前、知り合いにもそんな方がいたので「これは親の自己満足にしかならないんじゃない?」と、単刀直入に言ってみたところ、驚きの回答が!

「年賀状で子供の成長をみなさんにお知らせするのは大切なことよ!」

参りました!世界中の人が自分の子供の成長を見守っていると思っているのですから。子供は社会の宝だとかなんだとか言っておりましたが、他人の子供を宝だなんて思っている人なんているのでしょうか?
それとも私が意地悪なのでしょうかね。。。

世の中には色々な考え方があるものです。ただ、子供を持たない私の友人達は、年賀状を一切出さないという人もいます。それは書きたくないのではなく、出せば子供の写真付き年賀状を受け取る羽目になるからだと言います。自分が出さなければ、送ってくる人もいないからと、一切そういった習慣を絶ったそうです。
年賀状とは本来、新年を祝い、喜び合うご挨拶です。しかし貰って喜ぶ人ばかりではないということも知り、出す前に今一度考えるべきでしょう。




2018年の年賀状

年賀状を出すのをやめて数年経つので、来年はさらに届く枚数も減ることでしょう。
昨年までは万が一の返信用に10枚用意していましたが、若干余ったので今年は8枚だけ購入しておこうと思います。
家族に関しては、子供ももう大きいので、それぞれ自己判断でということになっていますが、中年の私でさえ出すことをやめたのに、今時の若者ならなおさら年賀状とは縁遠いようで、これまた出す枚数も受け取る枚数も年々減少しています。
夫は外国人のため、日本人の知り合いがいても、あちらは期待もしていないので、もちろん出しません。
こうして我が家の年賀状離れは、確実に進んでおります。

どうか8枚で足りますように。。。
年賀状ごときで、元旦早々コンビニへは走りたくないので(笑)


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