お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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大学受験に見る経済格差。これじゃ、少子化は免れないでしょうと感じた件。

前回、受験時にかかる費用について、かなりエキサイトしてバーっと書いていたら、あまりに長くなってしまったので、記事を真っ二つにしてみました(笑)

www.hw-frankie.com


子供を持つ親にとって、子供の将来は気がかりなものです。その通過点である進学問題も、できることならば本人の望むよりよい道に乗せてあげたい!そう思うのが親心。ところが、より良き道へと思えば思うほどお金がかかってきます。
例えば高校を卒業してそのまま就職した者と、大学を卒業した者が同じ年に同じ会社に同時入社するとします。どちらも社会人としてはピカピカの一年生、真っさらなのは同じでも、初任給は同じではありません。大卒の方がずっと多くの基本給が支給されるのが一般的です。
教育費をかけた分、初任給が変わるというのなら、大学くらい行っておいた方がいいわよというのが普通の考えです。
しかし、この「大学くらい」というのが、どれほどお金がかかるか⁉︎
と、そんなことを考えながら前回は大学受験に際してこんなにお金がかかるの⁉︎ といったことを書いたわけですが、それは受験期にかかる経済的なことで、問題はそこからが始まりということです。



大変な受験勉強に耐え、晴れて大学生になったはいいのですが、更にその後の4年間授業料を払い続けなければなりません。
昨年末にパートで働いた時に一緒だった主婦の中にも理系の大学に通う息子さんの授業料を稼ぐために働きに出たという人もいました。聞いてみたところ、年間180万ほどのお金が教育費に消えるということでした。
180万といえば月ならしで15万です。決して少ない金額ではありません。もしもこれに加えて子供が一人暮らしを余儀なくされる状況であれば、親は学費のみならず生活費の仕送りもしなければなりません。
一体いくらかかるのでしょうか⁉︎

たまたま最近、そんな記事を読みました。日本政策金融公庫の行った「平成28年度 教育費負担の実態調査」のデータによる平均的な教育費についてのものです。

《国公立》
自宅通学
初年度 :約 181.0 万円
2〜4年目 :約 101.3 万円 
4年間合計:約 484.9万円

自宅外   
初年度:約 181.0 万円 +約45.0万円(自宅外通学準備費用)+ 約124.9万円(仕送り)
2〜4年目:約 101.3 万円 +124.9万円(仕送り)
4年間合計:約 1,029.5万円

《私立文系》
自宅通学
初年度:約 245.7 万円
2〜4年目:約 149.8 万円 
4年間合計:約 695.1 万円

自宅外
初年度:約 245.7 万円 +約45.0万円(自宅外通学準備費用)+ 約124.9万円(仕送り)
2〜4年目 :約 149.8 万円 +124.9万円(仕送り)
4年間合計:約 1,239.7万円

《私立理系》
自宅通学
初年度:約 310.0 万円
2〜4年目:約 189.9 万円 
4年間合計:約 879.7 万円

自宅外
初年度:約 310.0 万円 +約45.0万円(自宅外通学準備費用)+ 約124.9万円(仕送り)
2〜4年目:約 189.9 万円 +124.9万円(仕送り)
4年間合計:約 1,424.3 万円

《私立医歯系》
自宅通学
初年度:約 628.7 万円
2〜6 年目:約 431.0 万円 
6年間合計:約 2,783.7 万円

自宅外
初年度:約 628.7 万円 +約45.0万円(自宅外通学準備費用)+ 約124.9万円(仕送り)
2〜6年目:約 431.0 万円 +124.9万円(仕送り)
6年間合計:約 3,578.1万円


想像以上の学費にビックリです。恥ずかしながら、大学の学費ってこんなにかかるものなの〜⁉︎ と知らずにいましたので。。。

このようなデータ以前に、今回我が子の大学受験を通して、経済格差が子供の教育に多大な影響を与えること、簡単に想像できました。
子供一人ならまだしも、複数いたら倍々に増えて行くのですから、少子化もやむを得ないといったところでしょう。
子供に望む教育を与えてあげられないのは、親として不甲斐なさや切なさが伴うのは当然のこと。あらゆる情報が簡単に得られる現代では、未婚やまだ子供を持っていない夫婦にも、子供はお金がかかる!というイメージは十分に浸透しているはずです。
こんな湯水の如く流出していく教育費を払い続けるの?と、子供を持つことに二の足を踏むのも理解できることです。
小さな子供に対しては、国が医療費や保育費の負担など、多少の恩恵はありますが、子供が中学を卒業する時期になると、実質国からの負担は皆無となります。
もちろん所得制限ありきで学費負担制度はありますが、ひとたび所得制限にかかれば一銭の補助も得られません。運良く出たとしても、大学まで卒業し普通の教育を受けようと思えば、それでは追いつかないくらいのお金が必要になるのです。

お金があるうちの子供は、沢山の選択肢があります。お金持ちのお友達などは予備校に家庭教師などで年間300万もの教育費を支払い、見事に一流大学への合格を勝ち取っています。万が一受験に失敗した場合は、海外の大学に行くという選択肢を残してありました。実際に私の知人でも、日本での志望校に不合格になり、海外の大学へ進んだ人もいます。
お金に糸目をつけず、良いとされるありとあらゆる学習環境を与えて、よりベターな道へ進むことが可能というわけです。
しかし、お金に余裕のない家庭の子供はどうでしょうか? どうしても大学へ進学したければ、国公立一本で頑張るか、奨学金制度を利用し、社会人になった後も何十年とかけて返済し続けるかありません。
この二者には大きな違いがあります。
まだ社会人としてのスタートを切っていない時期から、すでに大きな格差が生まれていることになります。
子供は親を選んで産まれてくることはできません。
「人生とは不公平なもの」だからこそ、人の幸運を羨むことなく、現実を受け入れて自分なりの幸せを手にするために頑張ろう!というのが私の持論です。不公平を嘆いても仕方のないことですからね。
しかし、この現実って子供にとってはかなり酷なことで、恵まれない子供達から希望を奪ってしまうことにならないのかと思ってしまうのです。
自分の運命を受け入れて努力しろ!と言うは簡単ですが、そんな強い人間ばかりではないのですから。
どうしたら、全ての子供達が同じように希望を持って自分の望む道を歩んでいけるのか?果たしてそれは無理なのか?非力な専業主婦なりに思いをめぐらせているのです。

どんな親でも子供に幸せな人生を歩んで欲しいと願う気持ちは同じです。最初から困難が目に見えていながらも、子供など育てようなどとは誰も思いません。
しかし子供の教育費負担が少しでも軽くなれば、少しは少子化も解消されるのでは?と思うのは安直でしょうか?
夫婦2人で馬車馬のように働きづくめなければ、子供に十分な教育を与えられないなどという今の日本。
人間にとって幸せな生活といえるのでしょうかね?
頭のいい偉い大学の先生達や文科省のお大臣様方、素晴らしい教育を受けてきてるのでしょうし、実際にとっても頭脳明晰なのでしょうから、世の中の全ての子供達のために、そして子供を望む多くの人のために、もうちょっとうまい政策でも考えてくれればいいのにさっ!などと思うのですが。

もしくは、右へ倣へで大学へ進学せずとも成功する手立てはいくらでもある!といった風潮の国にでもなれば、もっと生きやすくなるだろうになぁ。。。などと思ったりもします。
そのためには、子供といえど早くから自分のやりたいこと、得意なことを見つけ、コツコツと準備することでしょうね。
私も我が家の子供達には「一寸先は闇よ!いつまでも親からお金が出てくると思わないこと!」と話して聞かせています。
他力本願でいては子供といえどウカウカしていられない世の中です。隣の人が何をしているかではなく、自分に与えられた才能を生かし、それでお金を稼ぎ生きていくことを目指して欲しいと切に願う専業主婦なのでした。

もう、このようなことを語り出すとキリがないので、捨て金の計算でもしてきます(笑)

大学受験でかかる費用に驚愕。受験とはお金を撒き散らす行為のように感じた件。

受験なんて子供の問題だし、実際に大学へ通うのは本人なのだから「お好きにど〜ぞ〜!」などと能天気に考えていた私ですが、いざその時を迎えてビックリ仰天です。。。

なにがビックリって、思っていた以上にお金が飛んでく、飛んでく!
序章としては高校2年に上がってからの予備校通いで、私立校の年間授業料を上回る額のお金が必要となります。
それに加えて、参考書や模試の費用が加わるので、子供の受験に無頓着でいた私などは序章期間で一体総額いくら支払ったかをすでに見失っていました(笑)

しかし、本番は2月になってからなのでした。。。
まず受験するだけでもお金がかかります。中学受験の際は一つの学校を受験するのに2万円程度だったと記憶しています。しかも例え受験に失敗しても公立校やインターへ進むなど他の選択肢もあったので、落ちたら仕方ないねと、無駄にあちこちの学校を無理に受験することはありませんでした。
しかし、大学受験ともなるとそうもいきません。全落ちしたら大学進学を諦めて働くか、浪人するしかありません。
我が家の娘は働くのも浪人するのも嫌!と、また親である私も浪人してまで行きたいと強く思う学校でないのなら、して欲しくはないわけです。
こうして本命の第1、第2志望校以外にも、ワンランクレベルを落とした学校(学部)、さらには絶対に合格できるレベルの学校(学部)と、何段階に分けて保険をかけることになります。
このようにしていると、軽く10校(学部)くらいは受験することになるのです。周りの受験生を持つ専業主婦友達、何人にも聞き取りしたのですが、皆さんやはり10校以上は受験すると言っていました。もう、それくらい保険を用意しないことには確証が得られないのですよ。

一回の受験料が35000円とすると、受験するだけでも35万ものお金がかかることになります。
我が家の娘は文系なのでまだいい方ですが、これが理系はたまた医学部受験なんてことになったら、一体どれだけかかるのでしょうか?
もう笑ってしまうくらいに、お金を撒き散らすというイメージしか湧いてきません。。。



ちょっと余談ですが、昨今の受験料はネットでクレジットカード払いができるのです。学校にもよるようですが、娘の受験するほとんどの学校は可能でした(コンビニ払いというのもありました)。
私はものすごい面倒くさがりやなので、娘にあらかじめクレジットカードの番号を渡して、自分で支払いしといてね!と丸投げしていたのですが、想像していた以上の金額にビックリしたものです。カードのポイントは増えますが(笑)

しかし、このあたりまでは、他の先輩専業主婦友達などが話しているのを耳にしていたので想定内。本番は合否判定がでてからです。

通常受験日は学校、学部によって異なります。
2月に入るころになると始まる受験ですが、ご存知の通り国公立は一番最後です。
我が家では私立校しか受験しないのですが、受験日が早いのは滑り止め校として受験するような学校です。
偏差値の高い誰もが行きたがるような人気校ほど遅くに行われます。
これがなにを意味しているかというと、合格を頂いたが最後、待ったなしで入学金を始めとする学納金を支払う必要があるのです。
そうしなければ入学は取り消されてしまいます。
しかし、この時期にはまだ第1志望校の合否はおろか試験さえ行われていない時期です。
本命校を不合格になれば当然合格を頂いた滑り止め校へ通うことになるので、キープはしておかなければなりません。つまり行くかどうか未定の学校にお金を支払うということです。
これで、第1志望校に合格した場合はどうなるか?
すでに支払い済みの滑りどめ校へ入学せずに、当然第1志望校へ通うことになります。しかし、すでにお金は支払っている。。。そのお金はどうなるの⁉︎ といったところですが、納めた入学金は戻りません(涙)
授業料や施設費用などは手続きすれば返還してもらえるようですが(学校にもよりけりなので、しっかり調べましょう!)、入学金は諦めるということになります。

少しでも無駄なお金を出さないようにと、受験する学校の試験日やら合否判定日、また学納金の納入期限などと睨めっこして、悪足掻きしてみたりもしますが、これがなかなか上手く出来ていて、合格発表の前に納めなきゃいけないパターンばかりなのですよ。
いくつもの学校を受けていて、本命から遠い順に合否判定が出るのですから、一体幾つの学校にキープの入学金を払わなけれはいけないのか。。。
まさに頭の良い私立校の偉い方々が、意図してスケジュール組んでいるのではないの⁉︎ というくらい隙がないという(笑)

これは中学受験も同じです。
「あり得ないわ!入りもしないのに、入学金だけとられるなんて!捨て金じゃないのよ〜」
以前、そうボヤいた私にお金持ちマダムの放った一言が。。。

「それくらいのお金を平気で捨てられる経済力がないのなら、私立には来るなってことよ」

これを聞いて、
「あなた!ずいぶんすごい事を言うのね〜。他所で言ったら顰蹙買うわよ!」
などと言ったものの、実際に子供を私立校に通わせてみて、なんだか妙に納得しました。なんだかんだと想定外のお金がかかる私立校。たしかに数十万くらいのお金は捨てる覚悟で臨まなければやってられません。。。

「捨て金が多いほど、合格を頂けたというおめでたいことなのよ。というか、そう思うしかないわよ」

そう言った先輩専業主婦は、息子の受験の際に何百万単位のお金を無駄にしたと言います。

どうにもならないので、そんな風にお互いを慰め合う専業主婦友達と、ランチをモグモグしながらも、なんだかモヤモヤしっぱなしの私ですが。。。

こんな制度は我が家の外国人夫にはとても話せません。
特に勉強したいことがあるわけでもなく、目的もないのにただ大学生になりたい!セルフブランディングの一種よ!などとふざけたことを言う娘と、そんなことに意味はない!お金の無駄遣いだ!と散々バトルを繰り返してきた夫です。
こんなお金を捨てるような受験には、真っ向から異議を唱えること間違いなしです。そうなると、また日々バトルが繰り返され、とっても面倒なことになるのは目に見えています。
となると、夫に頼れないので娘の入学金等初期費用は私がこっそりと負担することになるのです。
こんな時、外国人夫って面倒くさいなぁ。。。と思ってしまいます。なんだかんだ言ったところで、この日本では大学に行くのが当たり前となっています。だからこそ、みんな奨学金制度という借金をしてまで行くのですから。
私は社会人としてスタートラインにも立っていない時から我が子に借金を背負わせるのは酷だと思うので、学費は支払ってあげるつもりですが、大学生になった暁には少しでも自分で稼ぐ術を得て、自分の遊ぶお金やスマホ料金、また学費の一部でも負担するくらいの覚悟を持てと言っています。
実際にここまで子供にお金がかかるのは、普通ではないんじゃないのかしら?などと思ってしまうのです。
自分が出してもらっていた時はまったく無頓着で、一体幾ら親が出していたのか知りませんでしたが、実際に自分が払う段になって、初めて教育費の重さを知ったというわけです。




かかるお金は受験期から入学時にかかる費用だけではありません。
その後、4年間は授業や施設費用、さらには通学交通費、その他諸々のお金が必要になってきます。
我が家は自宅から通学可能な大学しか受験しないので、衣食住に関しては余分な出費はありませんが、地方から上京してきたお子さんなどは、住居費や生活費、帰省に関わる出費なども発生することになり、自宅通いの倍以上は覚悟しなければいけないでしょう。
これを4年間も払い続ける親って、本当に凄いもんです。愛がなければできませんね!

と、かなり長くなったのですが、まだまだ続きます。
しかしあまり長すぎても疲れるので、続きは次回の投稿に回すことにしましょう。

ちなみに、これらは全て我が子の受験を例にとったものなので、全ての受験生が同じという訳ではありませので。。。

空の巣症候群とは無縁といえど。子育てを卒業した専業主婦が、次にしたいこと。

「あと4年!」
これは最近、私と外国人夫がお互いを励ますが如く、合言葉のように繰り返している言葉です。
なにがあと4年なのかというと、子育てを卒業するまでということです。

現在今年大学生となる(合格すれば)長女と、高校生になる次女がいます。この子達が4年後、一人は社会人になりもう一人は大学生。

子供もこの歳になれば親の助けは必要なくなります。つまり私の役割も終了するということです。現在支払っている2人分の学費も半分になり、これまた大蔵大臣の役割を担う夫の負担も大幅に軽減することになります。
私達夫婦にとっては、時間的にも経済的にも、グッと楽になるのが4年後ということです。




夫は早期リタイアを目標として、その後の人生をどう生きるか、具体的な計画があるようで、それに向けて準備を進めていますが、考えてみると私はこれといった目標のようなものがありません。
ただ漠然と、

・英語のブラッシュアップをしたい。

・ペン習字を習ってみたい。

・旅行に出たい。

・韓流ドラマにハマってみたい。

これくらいなのですが、どれも今すぐにでも始められることばかり、なんだかパッとしません。。。
こんな専業主婦の片手間でできるようなことではなく、もっと違うこと、これまでの生活ではとてもできなかったような、ちょっと大それた事をやりたいというガツガツとした気持ちになっているのです。

例えば田舎の山奥にでも引っ込んで、誰とも付き合わずに毎日斧で薪割りをし、仙人のような生活をするとか、家事の一切を外注にして本気で事業を始めるとか、一人で寅さんやスナフキンの如くきままに旅をして回るとか、自由気ままに、そして真剣に新しい生活を見つけてみたいというイメージです。

しかし、このような漠然とした夢では、自分が思い描いているような「特別な生活」を始めることはできないでしょう。
年上の知人女性に、そんな漠然とした夢を持って、自由を手に入れるために離婚した人がいます。子供が独立したタイミングで本当に一人になって、100%自由な生活を手に入れたいと思ったからだそうです。
当時は何という思い切った決断をしたのかと、その潔さを羨ましく思ったりもしましたが、その後の生活を見ていると、特別な生活をしている様子はなく、いつも退屈しているような感じが見受けられます。

やはり人って、無い物ねだりなのでしょうか。どんなに欲しいと願っていても、いざそれを手にしてしまうと、途端にそんな思いも色褪せてくるというように。。。

だからこそ、今こそ真剣に考える必要があると感じるのです。
ただ漠然とした夢ではなく、具体的に何がしたいのか、どんな生活を望んでいるのか、そのために必要なことや物はなんなのかと、計画をし準備をしなければいけないということです。
そうでないと、あっという間に歳をとり、気付いた時には時すでに遅しで後悔しそうなので。。。

よく子供が独立した後に何をしていいのかわからず、空の巣症候群になる専業主婦の話などを聞きます。
私はそこまで子供ベッタリではなく、割と自由気ままにやってきたので、空の巣になるほど退屈はしないと自信を持って言えます。
問題は完全に自由の身となった時に、何か特別な事をしなければ損だわ!という焦りの気持ちです。
若い頃では考えられないことでした(笑)
自分の人生が有限であると考える暇もないほどに、自由にあれもこれもと回遊魚の如く泳ぎ回っていたのですから。
しかし様々な足枷を引きずりながら何十年と生きてきて、自分の健康にも不安を覚える年齢になると、躊躇うことが習慣のようになっていて、若い頃のように自由に振る舞うことが難しくなるのです。
その辺のスイッチを切り替えることをしないといけないなぁと強く感じました。

そこで、もう子供とか夫とか親とか、そうした存在を取っ払って考えてみましたよ。
そこで真っ先に浮かんだのが、「行ったことのない場所へ行き、新しいものを見たり経験したい!」という思いです。

まだオーロラも見たことがありません。クロアチアを始めとする東ヨーロッパも北欧もロシアも中国も訪れたことがありません。
イタリア・ペルージャのチョコレート祭もスペイン・パンプローナの牛追い祭も行ってみたいし、ナスカの地上絵も見てみたい!知床で野生の熊も見てみたい。世界各国あちこちにある世界遺産を訪問したい!
もう考えればこれでもか、これでもかと出てきます(笑)

やはり子育て卒業後はスナフキンor寅さんが一番理想に近そうです。



これから4年間は準備期間です。すっかり錆び切った英語のブラッシュアップをし、できれば他の語学も多少は学んでおきたいものです。
そして何よりも重要な準備が、健康維持です!
長いフライトにもどんな過酷な自然環境にも耐えられる健康と体力を持っていなければお話になりません。
4年後といえば、私も50半ばとなります。海外をふらふらとしていた頃の倍は歳をとっているのですから、心してかからなければ冒険はできないでしょう。
まぁ、インディージョーンズするわけではありませんが、とにかく旅は体力勝負です!

外国人夫にそんな計画を話したところ、
「おお!それは楽しそうじゃないか⁉︎ いかにもあなたらしい!」
と、会話が盛り上がりましたよ(笑)

夫には夫の理想とする生活があるでしょうから、頼ることは考えずに、時には一緒にふらふらしたいらしいので、そんな時は荷物持ちにでもなってもらおうと思っています(笑)
なんだか楽しそうじゃありませんか⁉︎

「3日後にサグラダファミリアの前で待ち合わせね!」

「1週間後に赤の広場で落ち合ってランチしましょう!」

「明日、台湾にいるから一緒に小籠包でも食べない?」

などなど、世界各国の地で落ち合い美味しいものを食べる(笑)

考えただけで、ワクワクとしてきます。
とにかく自分に与えられた人生の自由時間を無駄にしないよう、4年後に向けてあれこれ旅の計画を立て始めることにしましょう!

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パート主婦と専業主婦の軋轢。パート社会の闇はまさにドラマの世界だった。

昨年末、3ヶ月間限定で仕事をしてきましたが、無事にお勤めを無事終了し、また本業の専業主婦に戻りました。

このまま社員として働いちゃったら?パートでも構わないからこれからも来ない?
そんな温かいオファーの言葉もありましたが辞めました。
この歳になって社員として働けるなんて、もったいないお話ではありますが、やっぱりそこは私の居場所ではなかったというのが痛いくらいに分かったのです。

そもそも私は当初からずっと働く気はなかったので、最長で3ヶ月と決めていました。最初は忙しい時だけ顔を出す程度でしたが、そのうち毎日お呼びがかかるようになり、最後の2ヶ月間はほとんどフルタイム並みに働くようになっていました。20年も専業主婦をしていたせいか、やはり体力的にきついというのが正直なところ。徐々に慣れてはきたものの、やはり健康不安を感じることもあったので。。。



新しい世界を覗き見るという点では、非常に濃い社会勉強をさせて頂きました。
価値観が天と地ほどにまるで違う人達と過ごすのは、時に修行のような苦しさをもたらすもので、専業主婦生活では無縁なことでした。
よくママ友間のトラブルなどを耳にしますが、その道のプロ(専業主婦)からすれば、職場内の人間関係の方がよほど厄介に感じました。

それは、ただ毛色が「違う」という理由で、着るものから髪型、食べるものから話し方、立ち振る舞い、全てが監視されているようで、私の後ろでは様々な噂話が渦巻いていたからです(笑)

そんな中わかったのが、よく話題にされる「働く主婦」と「専業主婦」の「気持ち」というものですが、そんなに単純なものでもなさそうです。
一言で働く主婦といっても、正社員として責任を有する立場にある人と、パート主婦とでは、またメンタリティーも違うようなのです。
私のような専業主婦にとって、どちらが近い立場かと言えば当然パート主婦になるかと思いきや、ちょっと違っていたのが興味深いところでしたね。

正社員として毎日忙しく働いている方々は、とにかく業務優先で他のことに頓着している暇もありません。とにかく仕事だけしてくれれば御の字といった感じでした。
一方、パート主婦達は責任もない文字通りパートタイマーなので、余計なことを考える時間も余裕もあるようです。

私の例に限定させて頂くと、人の噂を流して陰口を広めるのは、みんなそんなパート主婦でした。
中途半端な立場にもかかわらず、過大な承認欲求を持っている人間の実に多いことか!
なんでここまで拗れてるのかしら?と恐ろしくなるほど、ネガテイブな感情が渦巻いていたのです。

いつも元気に笑っていれば、気楽な立場でいいわねとチクリ。

ちょっとお洒落をしただけで、派手好きな人なのよとチクリ。

働く必要のない人は呑気でいいわね。

美味しいお菓子をお裾分けすれば、ずいぶんと余裕があるのね。

もう、何をしても鼻につくようなのです。しかも、面と向かって言われたことは一度もなく、すべて陰でコソコソと言うという。。。
それを「あの人がこう言ってた」なとど火をくべて扇ぎ立てるようにありがた迷惑に報告してくる人がいたりで、まさにドラマの世界でしたね(笑)
これらは主に中年女性パート達からの言動ですが、恐ろしいのは長年勤めている中年パート主婦が若い社員を手下にするが如くマインドコントロールするものですから、若い女性社員までもが敵意を剥き出しにしてくることもあったのです。
周りの男性社員はといえば、悪しき習慣に慣れっこなのか、知らぬ存ぜぬで完全スルー。。。

それにしても、なにがここまで攻撃の的になったのか? 正直よくわかりません。きっと長年専業主婦感覚で生きてきた私との価値観が違いすぎたのでしょう。
自分の開けっぴろげな性格も、職場の雰囲気にそぐわなかったのかもしれません。周りの空気もなんのその。おかしいと思えば意見を言う。自己主張する。長いものにも巻かれない。そして何よりも、同じパートタイマーという立場でありながらも、雇用主とも通じているという立場。

つまるところ、異質なものに対する拒否反応ということなのかも知れません。
裏で誰に何を囁かれてもいつも楽しそうにしている様子も気に入らないようでした。でもね、仕事をすることが楽しかったのだから仕方ないじゃないの〜といった感じなのですが(笑)
確かに生活のために働いていた訳ではありません。専業主婦の気まぐれと言われればそうなのかもしれませんが、それでもお給料をいただく以上は、仕事に手抜きをしたことはありません。どうすればもっといい結果が出せるか?自分なりの努力もしてきました。
現場を変えるほどの権利も義務もない立場では限界もありましたが、少しでもお役に立つならばと、色々な業務にもトライして、それなりに貢献できたつもりです。
それでも、人は特別な目でしかみません。
楽しそうにしているのが罪であるかのように、斜め目線でしか物事を捉えてくれません。
世の中、人が幸せそうにしていることが気にくわないと思う人もいるのだということを、初めて身をもって知りました。

もちろんそんな人ばかりではありません。同じ主婦でも興味を持って近づいてきては、あれは?これは?と情報収集しにくる人もいました。
どんなシャンプー使ってるの?
服の香りがいいけど、洗剤はなに?
ハンドクリームはなにがおすすめ?
この服、どこで買った?幾ら?
などなど、まるで女子高生のように楽しい会話をできる人もいました。
またずっと年若い女の子の中には、若い時どう過ごしたら、その歳になっても楽しくできるの?
結婚のタイミングやどんなお相手を選んだらいい? 仕事は続けるべき?など、相談してくる子もいました。
それでも、そんなポジティブな雰囲気は巨大なネガテイブパワーに打ち勝つことは難しいようでした。
よく職場内の人間関係でメンタルを崩して退職。。。などという話を聞いたりもしますが、わかる気がします。
元々人の噂話などはどうでもいいと思う性格の厚顔無恥な中年専業主婦なので、私にとっては頭にはきてもダメージになるようなことではありませんでした。しかし、少しでも感受性が強かったり、優しい性格の人であれば、とっとと逃げ出していたような雰囲気がありました。

そんな会社の人間関係について、専業主婦と友達と話していたところ、これは私だけでなく、他のお友達の職場も似たり寄ったりのようでした。
本来の居場所(専業主婦)に戻ってきた多くのお友達が、仕事をするという以前に人間関係の複雑さに驚愕したという同じ感想を持っていたのです。

文句ばかり言うつもりはありません。私とて、人様からあれこれ言われるような言動はあったでしょうから。
昔から組織に馴染めない性格は変わりません。空気を読むどころか、自分本意で物事を進めようとしたり、協調性もありません。
黙っていればいいものを、心に溜めておくことができない。つまり我慢がきかない子供っぽい性格も問題です。
専業主婦コミュニティの中では、なんの問題もありませんでしたが、それは自分と同じ人間ばかりが集う場所だったからなのでしょう。
職場など様々な人が集まる場所では、私のような人間は不向きなのです。つまり、そこは私が一番幸せを感じながら過ごせる場所ではなかったということです。
これはこの歳になって、初めて外に出て実感できたことです。

私の本来いるべき場所ではないにもかかわらず、自分の場所であるが如くの振る舞いが、みんなの癇に障ったのでしょう。
また働きたくはないけれど働かざるを得ない人と、働く必要はないけれど働きたい人、そんな違いもお互い相容れないものだったのかも知れません。

前にも書いたことがありましたが、嫉妬というものがその根源にあるのも確かです。案外それが大きな要因となっていたのかもしれません。
同じ主婦なのになぜあの人はあんなお気楽なの⁉︎と。人は概して表面しか見ないので、人が内に抱えているものは見ようとせず上っ面だけに目を向けて判断して勝手に嫉妬心を膨らませていくのです。
そんなものはまさに不可抗力で、面倒なだけの感情です。
それを感じると本当にうんざりした気持ちになり、人と関わること自体が面倒になってしまうくらいです。
しかし様々な人が集まる場所では致し方ないことなのでしょう。嫉妬することもない、されることもない、そんな飾らない気楽な人間関係の中で生きていきたいと思うなら、同じような人間が集う場所にいるしかありません。



人は「隣の芝生は青く見える」ものです。
私とて人様に羨ましがられるような生活をしているわけではありません。それでもみんなと少し違うタイプの人間だというだけで、勝手に想像を膨らませ、特別視されるようになるのです。
同じ主婦なのに。。。
パート仕事をして、帰宅すれば家事をしてと、同じようなことをやっていても、違うと思われるのですから自分にはどうすることもできません。

つくづく感じたのは、この歳になって人間関係に煩わされるのはなんの得にもならないということ。自分にとってメリットはないということです。
どうせなら、気の合うポジティブシンキングな人達と笑って過ごす人生の方がどれだけ有意義か!

そんなわけで、短い社会勉強をしてまた元の専業主婦に戻ったわけですが、今のところ退屈することもなく、むしろ忙しく過ごしているくらいです。
また心境の変化や機会でもあれば、働くこともあるかなと可能性は残しつつも、しばらくは専業主婦として家のことに力を注いでいこうと考えております!

人の好意を受け入れられない人は、自分にも他人にも厳しいせいで、金運が遠ざかる。

世間には人の好意を受け取ることをよしとしない人も多くいます。
自分が弱い立場となった時、一人では苦労があるとき、困っているとき、そんな時にそっと手を差し伸べてくれる人がいても、その好意を辞退して自分一人でなんとかしようとします。
人をあてにばかりしているよりはよほど立派だと一見思いますが、私は常々疑問に思っているのです。
それって、お互いにメリットはあるのかしら?と。。。
こうした自分に厳しい人は、他人にも厳しい人が多いからです。
人様にお世話をかけるくらいなら、どんなに辛くとも自分でなんとかするのが当たり前。そんな考えで他人が大変な思いをしていても、手を差し伸べることをしません。




私もかつては「人の手助けなんていらないわ」と思っていた側の人間でした。そして当然のことながら人にも非常に厳しいという(笑)
少しでも人に頼っている人を見ると、「自立していないわ!」とか「依存心強すぎ!」などと、一刀両断していた口です。
しかし、そんな考えが今ではガラリと変わりました。
人から手を差し伸べてもらったら、ありがたくその手を握り、ご好意に甘えさせて頂いています。
そのかわり、もしも身の回りに困っている人がいたら、できる限りの手助けをしようと努力するようにしています。
なぜそのように考えが変わったかといえば、それは周りのリッチなお友達から学んだからです。

世間一般では自分に厳しくできる人が成功するというイメージですが、そうとばかりは言えません。
彼等、彼女達は自分にも優しく、他人にも優しいのです。
自分を苦しめるものや悲しませるものは我慢せずに排除し、時には逃げ出すことも平気でします。
「なぜ、わざわざ苦労する必要があるの?しなくていい我慢などナンセンスだわ」と。
自分の身体の不調にも敏感で、無理は決してせずに自分の心身を大切にするよう常にケアを怠りません。
そんな風に自分に優しい人達ですが、他人にも同じように優しい心で接しています。

「無理はせずに、周りを頼ってね」

「あなたには大変そうだから、私が代わりにやるから大丈夫よ」

「誰か力になれる人を紹介するるからね!」

「少しは無理するのをやめたら?」

そん風に常に言葉をかけてくれます。

最初の頃は私もそんな言葉やオファーを素直に受け入れることができず、「ありがとう。でも、自分でなんとか頑張るから大丈夫よ」と、答えていました。
そんな私にお友達が言った一言。

「人の好意はありがたく受け取るものよ。いつか自分が人助け出来る機会がくるから、その時は与える側になればいいじゃないの!みんなお互い様なの」

人は持ちつ持たれつ、与え合いながら助け合いながら生きる方が効率的だという考え方です。

確かに一人でやっていては限界のあることも、適材適所で得意な人が手助けしながらやった方がよほどすんなりと事はすみます。
なんでも自分一人で背負い、苦しみながら我慢しながらやってばかりいたら、最悪心身ともに疲れきりダウンしてしまうなんてこともあります。そうなっては本末転倒。
それならば、得意な人、力のある人の好意に甘えて、そんな窮地を乗り越えるのも上手く生きていく手だと。
そして、もしも自分が人に好意を与えてあげられ力を得たり、そんな立場になった時は、惜しみなく手助けをすればいいと言います。

これには、ちょっと目から鱗だなと思ったものです。
人を頼ったり好意をアテにするという考えではなく、自分に無理なことは人に頼って、自分がしてあげられ時は自分が人様のために動く。
つまり自分のネットワークの中で、助け合いながら窮地を凌ぐという考え方です。
確かに効率もよいでしょうし、自分が受けるダメージも回避できます。

彼女達は人の好意というものを、相互扶助ととらえているからこそ、私にも遠慮をしてはならないと言ったのです。
こうした考えで行動する彼女達は、上手に人の手を借りながら、時に手を差し伸べながら、自分の手にしている幸せをどんどん膨らませていっているということがわかりました。

相互扶助といっても、自分は人様のお役に立てることなどないわ。。。
そんな風に遠慮が出てくるのも正直なところですが、実際は誰にでもできることってあるのです。
人はそれぞれ持っているものは違います。生い立ちも経験も人間関係も、みんな違うものを持っています。それが誰かのために活かせる事は必ずあるものです。
どんな些細なことでも、困っている人からすれば、「藁をも掴む」藁の一本になれることもあるということです。

助けて頂いた人に直接その恩を返せることばかりではありません。もしかしたら、その人に助けが必要な機会は訪れない、また故人になってしまったなどで、お返しする機会を逸してしまうこともあるでしょう。
しかし、問題は誰にしてあげるということではないといいます。
もちろん好意をくれた方にお返しできるのが一番ですが、たとえそれができずとも、また別の助けを必要としている人に、自分がしてもらった好意を同じようにあげればいいのです。

人からの好意を素直に受け入れることで、人にも優しくしてあげたい。そう思うのは普通の心理です。
しかし、自分が常に不公平感を募らせ、幸せでないと感じている人は他人にも優しくなれません。そのせいで確実に得をする機会を逃しています。
つまり人から助けてあげたい!と思われなくなってしまうのです。
余計なお節介はする必要はありませんが、常に身の回りの人の役に立つことができたらと、そんな優しい気持ちでいれば、その気持ちは回り回っていつか自分の元へ帰ってきます。




自分を厳しく律するのも立派ですが、そのせいで他人にも同じ厳しさを求めるのは違います。
一度人の好意に甘えてみれば、その優しさがどんなものかわかるでしょう。そして、同じ気持ちを他の人にも分け与えたいという気持ちにもなるはずです。
持ちつ持たれつと考えて、それぞれが優しさをもって人に接すれば、悪いことは起きないものです。そんな良好な人間関係の中には不思議とお金も近寄ってくるようです。