つい最近こと。娘が憤慨した様子で帰ってきました。
一体何があったのかと思えば、いつものようにたいしたことではなかったのですが、本人にとっては我慢ならないことだったようです。
きっかけは高校時代の同級生のインスタアカウントで、何やらそこにアップされている私物写真やファッションがまるで娘のコピーだというのです。
娘自体はその子とは付き合いがなかったので知らなかったそうなのですが、ほかのお友達に「完全コピーされてるよ」と言われ見てみると。。。
新しく買ったスニーカー、スマホケース、ネールのデザイン、去年はいていたブーツまで、新旧問わず現在娘が身につけているもの、新しく買ったものなど、インスタなどSNSに載せてあるようなものは、かなりの確率で真似をされていると言います。
実際に見せてもらうと、かなり完成度の高いコピーっぷりで、それはそれで「すごいわ〜」と感心してしまうレベルなのでした。
「マミーは笑うけど、真似のくせにさも自分のアイデアみたいな態度が腹立つ!」
私が笑ったことで、火に油を注いでしまったようです(笑)
確かに世の中、恥も外聞もなく人の真似をするという人はいます。これは時折専業主婦ランチでも話題になることなので、女性の間ではよくあることなのかもしれません。
持っていた服やバッグなど、「素敵ね〜」と言っていたと思ったら、次会った時にはシラっと全く同じ物を持っていた。。。なんてことを何度もやってのける人もいたりします。
真似をされるのは持ち物だけではありません。ハンカチの使い方から口癖、座右の銘など時に人格まで真似しようとしているのかしら?という人もいます。
ここで、ちょっと類語を調べてみました。
コピーする
コピーとは複写すること。
そっくりそのまま真似をし、同じものを作るということ。
模倣する
他のものを真似ること、似せること。
ニュアンス的にはそっくりそのままというよりは、それを模範として同じようなものを作るという解釈でしょうか。。。
参考にする
他者がすでに行った方法などを助けにし、自分の考えの足しにすること。
こちらは自分のアイデアありきで、さらに良いところを頂くといった印象です。
どれもやっていること自体は同じようなことですが、コピーというとなんだか悪いイメージがあります。他の二つはどちらかといえば良い印象です。
よくブログなどネット上に公開されているサイトにもありますが、例えば話題のスイーツ記事なども、実際に自分は手にしたことも食べてみたこともない物でも、ネット上の他のサイトから情報を得て、それをまとめて記事にしているようなものもあります。
一見するとレポ?と思いますが、よくよく読んでみれば、どこかで聞いたことがあるような言葉ばかりが並ぶだけで、写真もすべてオリジナルではありません。
これも言ってみれば「真似」のようなものです。しかし全く同じなわけではないので、こちらは「参考」ということになるのでしょう。
現にそのようなサイトに限って、ものすごく上手に作り込んであるため、検索しても上位に上がっていることが多かったりします。
情報を集めてまとめ、それを上手にサイトに落とし込むという作業は、私などからしたら決して楽なことではありません。その点でいえば、すごいなぁ。。。と感嘆せずにいられません。
自分で食べてレポした方がずっと楽な作業だと思います。
そこまで極端でないとしても、同じトピックを度々扱うとか、同じようなデザイン、趣旨のブログを作るなどということは、よくあることでしょう。
これを真似(コピー)と言い切るのは少し無理がありますが。
たまたま同じことや物に興味があったといえばそれまで。また「参考」にしたといえばコピーともいえません。
そもそも、オリジナリティーを持つことは簡単なことではありません。人は誰もが同じような事を考えて生きているのですから、その行動や創造するものが似通っていたとしてもなんの不思議もありません。
こちらが「真似したわね⁉︎」と思っていても、相手からしたら「これは私のアイデアよ!」ということも往々にしてあります。
同じものを持っていた、同じようなものを作っていたからといって、真似をされた!と憤ったところでなんの証拠もないわけですから怒るだけ損なのです。
気になるのは理解出来ますし、あまりいい気持ちがしないのもわかりますが、たった一人の人間に真似をされたくらいで、「気分が悪い」とか「ムカムカする」などというのは、無駄な感情に踊らされているようなもの。
そんなことを言っていたら、芸能人などはどうなるのでしょう。お洋服から髪型、メイクまで、どれだけの人からコピーされているのか。。。しかし、彼女彼らはそれでお金を稼ぎ、より素敵になっているのです。
真似をされるというのはそれだけ自分が人に与えるインパクトを持っているということです。素敵だからこそ真似をされていると思えば、それほど腹を立てるようなことではないと思えます。
確かに何もかも真似をされた上で、それがさも自分のセンスやアイデアであるかのような振る舞いをされればモヤモヤすることもあります。しかしいくら腹を立てても、人真似をする人の言動を変えることは難しいものです。
真似をするということは、自分で創造したり開拓する能力がないからこそ真似に走るのですから、人真似などせずにオリジナリティーを見つけましょうといっても無理なことなのです。
真似をされても実害が及ばなければ、スルーすればいいだけ。
「人と同じはいや!」
娘は言います。そして私もかつては同じように感じ、とにかくオリジナルであることにこだわってきたので、その気持ちはよくわかります。
しかしこの歳になれば、世の中自分と同じような趣味嗜好を持った人はごまんといますし、個性を際立たせることがどれほど難しいかもわかります。
なによりも、よいと思ったことやものを参考にすることは決して悪いことではないと思うのです。むしろ、それだけ向上心があるともいえます。
人に真似されたことに一喜一憂するのは、娘自身が自分に十分な自信がないせいです。
自信のある人は、他人の言動など全く目に入らないくらいに気にしないものです。
小さなことにこだわらず、自分の好きなことだけに目を向けておおらかな気持ちを持って欲しいと思った母なのでした。