お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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願いを叶えるために必要なこと。本気で願い、行動し、運が味方につけば、奇跡のようなことが起こることもある。

最近、娘から進路についてよく相談されます。
今年高校2年になる次女ですが、そろそろ将来を見据えて進路決定を促される時期にきているようです。

たかが16歳の子供が将来をのことを決めるだなんて。。。
長女の時も私はそう思っていました。
それは、自分自身がその年齢だった頃、将来のことなど全く考えず、ただ非現実的な夢のようなことを願い、好き勝手に遊んでばかりいたせいでもあります。

娘には将来はこんなことをしたいという具体的に夢があります。しかし、それは側から見たらまさに「夢物語」だと一笑に付されるといいます。
先生のみならず、お友達からも「無理に決まってる」「現実的に考えた方がいいよ」などと言われというのです。

まだ10代の若い子が夢もみてはいけないということなのでしょうか。
私は全てのことに不可能はない!とは言いません。しかし何事も「トライしてみる価値はある」と思っています。

本気で願えば、不可能を可能にするような奇跡も起きないとは限らないからです。




もう10年以上も前のことです。
アメリカで成功したある人物の著書を読み、とっても感銘を受けた私は、外国人夫にも同じ英語版の本を渡し、

「これ、読んでおいて!今度ニューヨークへ行って彼に会うわよ!」

そう言って、翌日にニューヨーク行きのエアーチケットを予約しました。

外国人夫からすれば、それは軽い家族旅行のつもりだったのですが、私は本気でその人に会うつもりでした。彼のいる街へ行けば、きっとどんな形でも会える。。。と何故か思ったのです。

実際に広いニューヨークの中で、複数の会社を経営するその人がどこにいるかなどわかりません。アポイントなど当然取れるわけもなく、会えるとしたら奇跡のような偶然を期待するしかない状態でした。

そんななんの確証もないままにニューヨークへ到着した後は、その人のオフィスのあるエリアで観光したり食事をしたりと、楽しみながらも密かに奇跡が起こるのを待っていました。

そして3日目の朝、通勤などで街が動き出す時間に街へ出た私達は、とうとうその人の姿を見つけたのでした。

本に載っていた写真と同じ顔が、同じ通りの向こうから、歩いてきたのです。

「あの人だわ!やっぱり会えちゃった!」

自分の願いが現実になったことで大喜びの私でしたが、外国人夫は大変驚いていました。
しかし、私はこのとんでもなく強い願いが偶然を呼び寄せたのだ!と、思わずその人に駆け寄り、著者を読んだこと、それがどれほど素晴らしく感銘を受けたか、ニューヨークまで会いにきちゃったわ!と、もう下手な英語で機関銃のごとく訴えてしまいました(笑)

聞けば、普段はあまりそのエリアのオフィスにこないこと。たまたま時間があったので寄ってみようと思ったといいます。

私が著書を読んだだけで、ニューヨークへ飛んできて、実際に自分に遭遇したと知り、その人自身もたいそう驚いていたものです。

「行動力なくしてはありえない奇跡の出会い」

そんな表現をしていました。

そんなゲリラ的に現れた謎の東洋人、しかも変な外国人夫に二人の子連れだった私にも非常に優しくお話をしてくれ、ついでに外国人夫と世間話などもして、しばし立ち話にお付き合いくださったのです。

まるで突き動かされるようにニューヨーク行きのチケットを用意して、訪れた先の出来事に、人生の不思議と希望を持って行動すれば、願いって叶うものなんだわ!そう思ったのでした。

思えばその出来事より遥か前にも同じようなことがありました。

初めてイギリスへ行く時、私は「なにをしに行くの?」というお友達に「Mr.Dに会いに行ってくるわね!」と言いました。Dとは数年前に亡くなったイギリスの人気ミュージシャンで日本でも多くのファンがいたある種のカリスマアーティストでした。

もちろん、みんな「そんな有名人に会えるわけないでしょ!」と、笑い飛ばしたのは言うまでもありません。

しかし、ロンドンで暮らし始めて半年ほど経ったある日、郊外の田舎町でDのライブがあるという噂が耳に入ってきました。

あのDがそんな田舎の小さなホールでライブなどやるわけがない!と、その話を聞いていたほとんど人は軽くスルーしました。

しかし、私はなぜか行けば何か起こるかも⁉︎ 「意地でもDに会うわ!」と、唯一噂を信じたお友達と二人で出かけて行ったのです。

そして、その噂は本当でした。
小さなホールに辿りつくと、沢山の地元ファンが待ち受けていました。その列に加わりホールの中へ入ると、何故なのか私達はステージのすぐ前に誘導されたのです。何か言われたのですが、私もお友達も当時は英語がほとんどできなかったので、今もって理由は謎です。。。

そして、しばらくすると、すぐ目の前にDが現れたのです。。。
10代の頃から憧れていた彼が目の前に来たのです。
彼の素敵な瞳を間近で見たときは、感激で私は石のように固まってしまいました。

大きなコンサート会場の遠いステージ上にいるDではなく、自分の目の前にいるDが笑いかけてくれたのを見て、もうこれは、「会った」と言ってもいいのではないか⁉︎
私の言ったことは現実になった!
そう思ったものです。

もう30年も前の出来事ですが、唯一残念だったのは、当時私は英語が出来なかったので、声をかけることができなったこと。。。誠に無念であります(笑)




さて、どんな途方もなく大きな夢でも、奇跡に近いような出来事も、本気で願えば叶うことがあると、私は確信しています。

そこには3つの大きな要素が必要です。

まず、本気で願うこと。ありきたりですが、その本気というのが問題で、奇跡が起きる時は、まさに一点の曇りもなく、確信と言っていいくらいの強い心で願えるものなのです。
それほどまでに強い思いを抱くためには、ある意味人知を超えた別のエネルギーというものを自分の中に感じられるものです。
この思いはちょっといつもと違う。。。そう感じたら願いが叶う可能性はあります。

次に行動を起こすこと
願いを叶えるために出来うる全ての事をやってみるのです。自分が動かなければ景色は決して変わりません。
まずは行動ありきです。

最後に必要なのは「運」です。
こればかりは自分でコントロールできるものではありませんが、一つだけできることは、「自分は運がいい」「ツキがある」とポジティブな心でいることです。
前向きであれば、どこかから援軍が運を運んでこないとも限りません。
また何事もポジティブでなければ、事は前に進みません。
できる事をした上で運を天に任せれば、たとえ大きな幸運に恵まれなくても、悪い結果は出ないものです。

この3つが上手くシンクロした時に、大きな願いは叶うのだと思います。

今の私には、若い娘達のようにそれほどの情熱を持って何かを願うことはありません。
こうなったらいいな、こんなことが起きたら嬉しいのに。。。
そんな小さな願いはありますが、奇跡と呼べるような大きな願いはありません。

夢や希望とは若さの専売特許です。
もちろんアラフィフにもありますが、願いの大きさやエネルギーは格段に違うものです。

若い人はどんな大きな夢も、どうせ叶うはずはないからと諦めるべきではありません。
諦めるのは歳をとってからでも十分に出来ます。どうせなら、若いうちだからこそできる事を精一杯やって、一度でもいいから「奇跡」ともいえる体験をして欲しいと思っています。

たとえ奇跡によって人生が大きくひっくり返るような事はなくても、それは自分の人生にとって大きな自信となるものです。
生きていく上で、自分に自信を持つというのはとても大切な事です。
その自信の大きな根拠となるのが、願いを叶えられた!という経験なのです。

色々な事を諦めながら生きるより、夢を見ながら、そしてそれを一つでも多く実現させる努力をしながら生きること。
それこそが、後悔のない生き方ではないかと、この歳になって思います。

自分の子供達がなにか口にするたびに、

「やりたいことがあるなら、何でもやってみなさいよ!」

私がそう言うのは、成功して欲しいからとか、人に尊敬される人物になって欲しいとか、お金持ちになって欲しいからでもありません。
ただただ、後悔のない人生を送って欲しい、それだけなのです。

そのためには夢を持って奇跡ともいえる体験を一つでも多く積み重ねて欲しいと願う母なのでした。。。