お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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違う神社で「おみくじ」を2回引いてみた結果。どこの神様も同じような事を考えているようだ。

別記事にあげたように、今年は受験生がいるということで、初詣がてら『湯島天満宮』へお詣りに行って参りました。

神社などへ行くと、誰でも「さて、おみくじでも引いてみるか!」となりますが、私も例外ではありません。
その結果に一喜一憂することこそありませんが、良い結果が出れば「おお!」とよい気分になりますし、悪ければ「ちっ!」と思ってしまったりもします。
しかしいずれの結果にしても、中に書かれていることなどを読むのは楽しいものです。




さて、今年最初のおみくじですが、「大吉」を引き当てた娘を尻目に、私の方は「小吉」という、なんだかいいような、あまりよくないような、微妙な結果となりました。
待ち人も辛抱強く待てばくるらしいし、探し物もちゃんと探せば見つかるらしいし、今はダメでも後に儲かるらしいしと、悪いことは書かれておらず、まずまずといったところ。
しかし、どうも極端な結果を期待していただけに、この可でもなく不可でもないといった結果にモヤモヤ。
そこで、かねてから予定していた次なる神社へ行き、再度おみくじに挑戦したのです!

よく、「おみくじって2回も引いていいの⁉︎」と言う人も少なくありませんが、私はあまり気にしないのですよ。2回はおろか、3回でも4回でも自分が満足するいい目が出るまで引いてもいいのではないか?と思うくらいです。
何度引いてもダメな時は諦めます。
「今日はツキに見放されてるわ!また次回リベンジよ!」と、悪いおみくじを神社に結んで帰ります。
良い結果が出れば、そのおみくじを持ち帰り、一年間お財布などに入れておいたりすることもあります。
そんな訳で今年も躊躇なく2度目のおみくじにトライしました。
その結果はといえば。。。

多大なる期待も虚しく「末吉」でした。
「小吉」に「末吉」、言葉違えど、結局のところ同じようなものということですね。(笑)
中に書かれていたことも、多少違っていたところもありましたが、大方は同じような運気といった感じです。
2度も同じような結果だったので、ここでストップ。潔く「ささやかな吉」という運を受け入れたのでした。

お詣りに行ったのは私と長女の2人でした。
他のところへ遊びに出かけている外国人夫と次女の分もおみくじを引いておいてあげようと長女は次女の分を、私は夫の分をそれぞれ引いたのでした。

つまり私は1日で3回おみくじを引いたことになります。
面白いことに、結果はどれも同じでした。自分の分も夫の分も同じ「小吉」。まさに夫婦は運命共同体ということでしょうか⁉︎
しかし、長女は自分ばかり『大吉』を引き当て、次女の分はしっかりと『吉』という無難なところを当ててきたのです。
次女の分はともかくとして、この「大吉」と言う結果が大学受験にそのまんま反映してくれれば言うことはないのですがね。。。

何はともあれ、家族みんな「吉」の文字を見られただけで、幸先の良い初詣になったわ!とポジティブに考えて、この一年をエンジョイしようと心新たにしたのでした。。。

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『湯島天満宮』人並みに合格祈願に行って、牛を撫で合格大福を買ってきた。

連休中に湯島天満宮へ行って参りました。
こちら、東京の人間にとっては言わずと知れた学問の神様がいる神社。受験生ならびその親族にとっては、まさに「ここへ行かずしてどこへいく?」という合格祈願にはお約束の場所なのです。



我が家にも来週センター試験を控えた受験生が一人おります。
見たところ、良い結果が出るほど懸命にお勉強している様子もないので、ここはひとつ、神様に「ツキ」だけでも頂けないかとお願いに上がった次第。

周りのお友達などは、本人は予備校などお勉強が忙しいので、親が代わりに行ったといいます。
しかし、私はしっかり本人と行ってきましたよ。自分のことは自分でお願いせよ!ということです。

本殿をお詣りしてから、絵馬なんぞを生まれて初めて買ってみました。

本人が絵馬に控えめなおねだりを書き込んでいる間に、私はブラブラと歩き回り、そこで大福を発見!
なにやらふっくらと美味しそうです。しかもお名前が『合格大福』とな。

6個入りもありましたが、私しか食べないだろうと、控えめに3個入りを買ってみました。

『合格大福』を鞄に詰め込み、娘の元へ戻ると、図々しくも「東大、絶対合格 ‼︎ 」などと書かれた達筆の絵馬に、自分の絵馬を連なるように吊るしている娘。

「こういう人は沢山努力しているだろうから、神様も贔屓するでしょ?近くならそのおこぼれをゲット出来そうじゃない⁉︎」

などと、訳の分からぬことを言っているので、触ると身体の悪いところが治るという牛の元へ連行!

ここで牛の頭を必死で撫でる娘と、自分の弱いあらゆるところを撫でまくる母。
朝一で人も少なかったので、順番待ちの人を気にすることもなく、存分にお詣りさせて頂けました。

さて、最後に運試しの「おみくじ」です。
もう戦闘意欲丸出しで臨んだ私でしたが、「小吉」でした。。。
しかし、娘は今年も「大吉」を引き当てるという運の良さ。
この娘、思えば毎年「大吉」なのです。

しゃかりきにならず、いつも淡々とゆるゆると生きているような子ですが、何故か望んだものがいつのまにか手中にあるという運の良い人間なのです。
きっと、こんな風に気負わずに「私って結構幸せだわ」なんて生きて行くのでしょうね。
それはそれでいいのかもしれません。


久方振りに神社などという神聖な場所へ足を運んでみましたが、お天気の良い早朝ということもあり、とっても清々しい気持ちになりました。
もともと神社仏閣などを歩くのは嫌いではありません。なんとなく良い人間に近づいたような気がするので(笑)
これを機に、もう少しマメに近隣の神社をお詣りするのも悪くないわね!と思ったのでした。

ちなみに、私の好きな泉鏡花の筆塚もありますよ。

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まずい七草粥を簡単に美味しく食べるために、邪道だけれどアレンジしてみました。

1月7日は朝に七草粥を食べる日です。
無病息災を祈るとともに、正月料理で疲れた胃腸を休める、また冬場に不足しがちな青野菜の補給などといった意味があるようです。

私は風習とか行事には強くこだわる方ではありませんが、食べることに関して「この日はこれを食べる日!」というのは外さないようにしています(笑)

それが例えあまり美味しいと思えない七草粥でもです。


「春の七草」
ネーミングがちょっとウキウキ素敵な感じがしますが、実際に食べてみると「草だな。。。」としか感じません(笑)

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ。

すずしろは「大根」、すずなは「カブ」です。この辺りの野菜なら普段から口にすることはありますが、他はまったくです。セリくらいならお浸しで食べると美味し〜とか言っているお友達もいますが、私はあまり好きではありません。
なのでまさに「草」いや、「雑草」を食べているのかしら、私⁉︎ といった気持ちになります。

白粥に七草を入れただけのお粥では、まったく美味しさは感じられません。それでも毎年1月7日にはお粥にして、「美味しくな〜い!」「苦手〜」「無理〜」という家族の声を抑えこみ、無理矢理食べさせていたのです。

しかしです。なんで不味い、不味いと言いながら毎年食べているのかしら?どうにか美味しく食べられないものかしら?
そう考えるに至り、今年はちょっとアレンジしてみることにしました。

本来であれば胃を休めるという意味合いもあるので、あれこれ加えるのは邪道とも言えるかもしれませんが、どうせなら美味しく食べたいですし、お粥による胃の負担など、大したことはなかろうと、目をつぶることにします。

鶏だしのお粥
まずは白粥でなく鶏出汁でお粥を炊いてみました。
使ったのは、「茅乃舎」さんのお出汁です。

この鶏出汁、とってもしっかりした味でお気に入り。スープや鍋などあらゆる汁物に使っています。
「茅乃舎」さんのお出汁は頂くことも、また贈ることも多いものなので、自然と家にも常備されています。

そんなお気に入りの鶏出汁に「ろく助」の塩を加えただけで、あら不思議!美味しい七草粥となりました。

そうなのです!「茅乃舎」さんのお出汁も美味しいのですが、この「ろく助の塩」も普通の塩とは一味違う旨味のあるお塩で、白米だけのおにぎりなどにも最高なのです。

相手がお粥であれば、この2つの組み合わせなら間違いありません!

中華風粥
今度は少し残った七草粥を中華粥っぽくしてみようと、実験的に「創味シャンタン」を加えて味見してみました。
こちらも中華料理チックなものを作るときにお世話になっています。

そんな創味シャンタン味の七草粥も美味しかったです!
「草」だけでなくチキンや椎茸、搾菜など具材を加えるとなお美味しいにちがいありません。さすがに七草粥に具材は加えませんが、できることならやりたいくらいです。

なんだかますます邪道になっていく気がしますが。。。(笑)


フリーズドライ
いつもスーパーなどで「七草」がパックに入ったものを購入し、刻んでお粥にするのですが、最近はもっと便利なものが出回っています。

それがフリーズドライの七草です。
これは本当に手軽で、炊き上がったお粥にそのままパラパラと入れて混ぜるだけです。

残った場合も保存がきくので、あとでお味噌汁など汁物やおじやなどに投入してもOKです。

ここまでくると、もはやお粥を炊くのすら面倒⁉︎
そんな時は、市販のレトルトパックのお粥があります!

こんなお粥にフリーズドライの七草草を入れれば、あっという間に「春の七草粥」の出来上がりです!

私が一人暮らしや忙しい兼業主婦であったら、間違いなくこの方法を選択することでしょう!(笑)

古いやり方に囚われて大変な思いをするより、便利なものはどんどん使ってみるのも悪いことではありません。

邪道かもしれませんが、どうせ食べるなら美味しく食べたいものです。来年からは、このスタイルで朝の七草粥を頂くことにします。

2018年の運勢?占いなんて信じない。いい時もあれば悪い時もある。運を天に任せた人生を生きるのだ!

私、占いは信じません。嫌いではないのですが、天邪鬼なものでついつい「そんなわけないわ!当たってないわ!」と心の中で突っ込みまくってしまうのです。
これはもう昔からです。まだ若い頃、周りのお友達が雑誌の占いページを真っ先にチェックしたり、よく当たると評判の有名占い師の元へ行くのを目にするたび、「そんなの当たらないよ〜」と茶化していました(笑)
神社仏閣へお参りしたりするのは好きなのですが、巷のなんとか占いなどはどうも信じられなくて。。。

人生なんて、人に聞いたところでひっくり返るもんでもないし。。。運がなければ、どんなに頑張ったところで無駄なこと。逆に運を味方につければ、百人力よ!
などとうそぶいていたものです。

占いなんかより、自分の「感」を研ぎ澄ませて、訪れた運を見極め、その波を逃さずに乗りこなすタイミングを計ることだ!
と、そんな事ばかり考えていたような気がします。
あれから30年近く経過し、思うことは今でも基本的に変わりません。50年以上も生きていれば、自分の力ではどうにもならない「運命」のいたずらといったような事に遭遇する事も多々あり、ますますそんな思いは強くなっているのです。



私は物事を複雑には考えず、なるべくシンプルに気楽に捉えるようにしています。
どんなに悩み考えたところで、運に見放された時は手も足も出ないものです。ただただ多少の足掻きを見せつつも、嵐が去るのを待つしかないといった感じで凌いできました。

自分がどんなに頑張っても努力しても、どうにもならないことってあるのです。
ことごとくツキに見放され、何をしても裏目に出て、どうにもこうにも上手くいかないということが。
そんな時、どうしてそうなるのよ⁉︎と考えると、それは自分の人生に他者が介在するからというのが一つの大きな原因になっていたりするのです。
人のせいにするところが物凄く自分らしいなと思ったりもするのですが(笑)
そこには紛れもなく「運」というものが存在します。自分が出会う人間、関わり合う人間は、時に自分では選べないものです。学校や会社で出会う先生や上司、同僚などがそのいい例です。自分が尊敬できない人と同じ時間、場所を共有しなければいけない場合、まさに「運が悪かった」ということなのです。
よく、学生時代の恩師に影響を受け云々などというお話を聞きますが、そんな出会いを得ることが出来た人は運がいいのです。私など、学生時代にそんな尊敬できる師に巡り合ったことなどありませんからね。
人との出会いは人生にとって重要なものです。運命自体は変わらずとも、人生に多少の波風を与えるものだからです。
自分を変えることはできても、他者を変えることは容易ではありません。相手が自分の思惑と外れた行動をすれば、その余波を受けることは避けられないということです。ここが人生を複雑にしている!と私などはよく思うのです。
人の意識という目に見えないものに、自分の人生が少なからず左右されるだなんて、たまったものではないなぁ。。。などと思いながら、では自分でできることはなんなのか?と考えたりもしますが、何をしてもダメな時はだめなのですよね。とにかく運命を受け入れ、変える努力をし続けるしかないという答えしかないのです。
努力といっても大層なものではありません。簡単に言えば、納得がいくように生きるという事です。

真っ直ぐな道を歩いていて、どこへ繋がっているかわからない横道を、リスクをもってあえて行くか、辛くてもその一本道を歩き続けるか、それは自分で選択できることです。
どちらの道へ行くにしても、その先になにが待っているかわかりません。それこそまさに「運」です。
しかし、選ぶということは確実に自分の意思です。誰が決めるのでもなく、自分で選択した道を行き、あとは運を天に任せる。
誰かに誘導されたのでもなく、決められたのでもなく、自分で選んだ道を行き、もし失敗したら「運が悪かったなぁ」と、また違う道を必死で歩く。この繰り返しこそが、「良運」を呼び込むために唯一できることなのではないでしょうか。
まさに「好きに生きる」ということです。

人間生きていれば、いい事も悪い事も同じようにあります。
別記事で人の死についての話を書きましたが、「明日」があるかどうかなど、誰にもわかりません。
占いの結果に右往左往している暇はないのです。あるかないかわからない先を占ってもらって未来を知ることに、私は意味を感じません。
知らなくてもいいのです。その分、今を大切に、やりたいことをして一緒懸命に生きていければ、きっと後悔は残らないからです。
私、何が嫌かといえば、後悔を残すことなのです。激しく悔しがりな性格なものですから、「やっとけばよかった。。。」などという小さな後悔すらストレスになってしまうのです。
しかし、その時々で自分の思う通りに生きれば、後悔は残りません。期待した結果にならなくても多少は得るものもあるでしょうし、なによりも諦めもつき、「この件は過去のものとなりました〜」と、その先に進もうという気持ちにもなれます。

「人生楽ありゃ苦もあるさ」なのです。
まさにどんな人もツイている日もあれば、不運に見舞われる日もあります。
人生とはバランスです。幸福と不幸は程よいバランスの上に訪れると、私は信じています。
だからこそ、不運な時は嵐が去るのを慎重に待ち、ここというチャンスが訪れた時には、幸を呼び込むために行動を起こす。
こんな風に考えていると、どんな悩みもどんどん小さくなり、心を煩わせているものも、どうでもよくなってくるものです。

自分のことを全く知らない誰か(占い師)に自分の人生を示唆されるよりは、「私ったらツイてるわ!運がいいわ!」と、自分で選んだ道を「孤高の人」の如く進む。そんな能天気な生き方こそが私の理想なのです。

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バターサンドだけじゃない!絶品、麻布十番『beillevaire』の焼き菓子は贈り物にも最適!

以前、バターサンドが美味しい!という同店の記事をアップしました。

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あれから、何度もバターサンドを買っては食していましたが、昨年末初めて焼き菓子を手にし、食べてみました。

いや〜、これまたビックリの美味しさでした!
これほどまでにシットリとバターの味と香りが感じられる焼き菓子は、そうそうあるものではありません。
早速、賞味してもらいたくお友達への貢物として持参したところ、大層感動していただけました!

こんな風に個別包装になっています。もちろん一個から購入可能です。
私も自分用には好きなものを少量ずつ買ったりもしています。

バターサンドも美味しいのですが、こちらは「要冷蔵」です。
しかし、焼き菓子は常温でOK、日持ちもするので贈りものにも最適です。



とはいえ、やっぱり足を運ぶとついついバターサンドにも手が伸びてしまうんですよね(笑)