前回、学校の校則について書いたのですが、日曜の朝で暇だったため、つらつらと思うに任せて書いていたら、非常に長くなってしまいました。
途中から論点がズレたりと、ひっちゃかめっちゃかになったので、記事を2つにわけることにしたのですが、要はアメリカで暮らす甥っ子と我が家の娘が、学校のことについてSkypeで話していた内容についてです。
「日本はね、ちょっと人と違うことをすると目立つのよ」
娘は相変わらずそんな愚痴をSkype越しに甥っ子に語り、
「あー、アメリカは自由でいいなぁ。日本を出たい。。。」
事あるごとにそう口にします。
隣の芝生が甥っ子の髪色以上に青く見えるのかもしれません。
しかしです、それは彼女がまだ真の「自由」の意味を理解してしていないから出てくる言葉です。
現在の学校教育を見ている限り、それを知ることはかなり難しい状況になっています。
私が学生の頃から比較すると、学校教育も様々な変化がありました。
教師と生徒(その保護者含む)の立場が逆転し、先生方が思うような指導ができないなど、昔では考えられないような事が起こっています。
私が読んでいるブログにも学校の先生が書かれたものがあります。子を持つ母として、教育現場の生の声を聞くのは大変参考になるので、楽しみに読ませて頂いていますが、その大変さは我々保護者が考えている以上に深刻であるとわかります。
それは誇張でもなんでもなく、実際に起こっていることなのです。
実際に娘の通っていた小学校、中学校でも、モンスターまがいの親子から執拗な攻撃を受けてメンタル崩壊し休職を余儀なくされた先生がいました。
以前、先生が昔に比べて短期間で消化しなければいけない単元が増えて、とにかく大変だと言っていたことがありました。仕事は増える一方なのでしょう、毎晩遅くまで教室の窓に明かりが灯っていたのを思い出します。そんな激務に加えてハラスメントまがいのことを日々されるのですから、まともな人間であれば病むのも当然のことです。
我が子の為なら学校行事の日程さえも変更させようと、毎晩遅くまで学校に電話攻撃をする保護者、陰に回って保護者一人一人を抱き込もうと先生の悪口を拡散する保護者、暇さえあれば学校へ赴き廊下から教室の中を監視する保護者、成績が悪いのは先生のせいだと夫婦揃って面談で声を張り上げる保護者。。。
その傍若無人ぶりは目に余るほどです。
そんなモンスターの如き行為が許されるいまの学校って、どうなっちゃってるのよ!ともどかしい気持ちになったのは一度や二度ではありません。
もちろん学校側にもそれなりの原因があるケースも無きにしも非ずです。しかし、これは学校側だけの問題ではありません。
何をしても、何を言っても自由だと言わんばかりの振る舞いを親子でしつつも、自分の責任に対しては無頓着な人が多いのです。
自分のしたことは自分で責任を持つというのは当たり前のことです。しかし今は学校でそれを教えてはもらえません。というより教えられないというのが本音かも知れません。
モンスターの驚異を回避するため、何か事がおこったとしても、責任の追求はなされないのです。
自由には責任が常につきまとうものです。我が子のためにあーしろ!こーしろ!と言って思い通りにした結果が悪ければそれは自分の責任となりますが、今は違います。それは先生もしくは学校の責任とされます。
もちろんこんな親ばかりではありません。ほとんどの保護者はモンスター達を軽蔑した目で見ています。
しかし、モンスターは確実に増加しているようです。まだ小学生、中学生の子を持つ友人は、とにかく「我が子を特別扱いしろ!」とばかりに要求ばかりする保護者が多いと嘆いていました。そして思い通りにならないと、他の保護者を巻き込み、総意だとばかりに学校へ乗り込んでいくと。。。
こんな暇なことをするのは専業主婦かしら?などと思っていましたが、今は企業戦士さながらバリバリと社会で活躍しているママさんが多いといいます。そんな方々がモンスター化しているといいますから、恐ろしいことです。お仕事をしながらも学校や先生にねじ込んでいくパワーがあるというのですから!
「なんで学校で宿題をみてくれないのよ!学力が下がったじゃないの!」
「カリキュラムがなってないわ!受験に対応してないじゃない!」
「給食の献立がよくないわ!栄養が偏るじゃないのよ!」
「子供の教育は先生の仕事でしょ!」
などなど、出来が悪ければ全て学校側の責任だと。。。
よく聞くことではありますが、子供の教育は学校に丸投げということです。
これは専業主婦だから、兼業主婦だからということではありません。仕事をしていてもしていなくても、忙しくても暇でも、子供を家庭で教育していない保護者は、みんなそのように自分がやらないことの責任を学校に押し付けるのです。
子供のみならず、親の方こそが「責任」というものを学ばなければいけないようです。
自分のしたことは自分に返ってきます。子供の教育も然りで、懸命に子育てをしてくればそれは数十年後に結果として現れます。
自分の産んだ子供を学校や他人に丸投げしては、いつかその責任を自分自身で負う日が必ずきます。
親には産んだ責任があります。少なくとも子供が成人するまでは、自立させ社会の中でしっかり生きていく力を身につけさせる責任があるのです。
子育てとは大変根気のいることで、自分の子供でなければとても辛抱できないというほど大変なことです。そんな大変なことを他人が肩代わりしてくれると思う方がおかしいのです。
頼れる人や場所があるなら大いに頼るべきとは思いますが、子供のために命を張れるのは所詮親だけなのです。
そう考えると、子育てを他人に依存することが適切でないことは、誰が考えてもわかることです。
「親である前に一人の人間なの」
昨今ではそんなセリフをよく耳にします。そのたびに、「産んだ責任をどうとるのよ!」と思うのは、私が昭和の女だからでしょうか?
自分を大切にすることも、自分の時間を持つことも多いに結構です。誰が何をしようと、まさに自由ですから。
ただ、その責任を他人に転嫁するのは虫がよすぎるというもの。
自由が欲しいなら、つべこべ言わずにしっかり責任はとりましょう。
「自由」と「責任」は一対なのです。