専業主婦という生き物

美味しいもの、美容、国際結婚、噂話、専業主婦についてなどを思いつくまま綴るブログ。

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学校の校則とはなんのためにあるのか、どんな意味があるのか。聞かれても答えられなかったので考えてみた。

日曜の朝はアメリカで暮らす義兄家族とSkypeをするのが日課となっています。
私にとって義兄とは外国人夫の兄で、嫁と小学生の息子が1人います。
この一人息子の唯一の従姉妹が我が家の娘たちということもあり、一人っ子の彼はまるで姉を慕う弟くんのように、日曜になるとSkypeでコンタクトしてくるのです。




今朝もいつものようにSkypeによるお呼び出しがかかり、外国人夫が応答すると、髪を海のようなブルーに染めた甥っ子がニョニョっと顔を出したのです。

「あらま。。。その髪どうしたの?」

「特に理由はないけど、ブルーにしたい気分でさ」

などと言って笑っています。

「そんな頭で学校行って大丈夫なの⁉︎ 先生に叱られない?」

娘が尋ねると

「おいおい、ここはアメリカだぜ!なんでもアリだよ!」

などと言っているではありませんか。
髪色を変えることはもちろん、ピアスだろうがタトゥだろうがなんでもごされだそうです。

我が家の娘が学校の校則などについて話して聞かせると、甥っ子くんは目をまん丸くして驚愕していました。そして事あるごとに、
「なんで?」
「なんのために?」
「それって意味があるの?」
と繰り返し尋ねますが、娘はもちろん私自身もなぜそのような校則があるのか、改めて聞かれるとわからないのです。
「だだ決まりだから」としかいえません。

校則は非行の歯止めになるのか?

日本では髪を染めることもパーマをかけることも禁止されている学校が多いと思います。
我が子が通う学校も例外ではなく、染めることはもちろん、肩より長い髪は結ばなければいけないという校則があります。

私は自分が学生の頃から、そんな校則が勉学や学校生活とどう関係するのか、全くわかりませんでした。
つむじが頭の真ん中ではなく、たまたま脇にそれていたため、自然と横分けにしていた中学時代、生活指導担当教諭から「横分けしている女は不良が多い!」などと訳の分からないイチャモンをつけられたり、マニュキュアがダメならせめて磨いて綺麗にしようとお手入れしたところ「不良の第一歩は爪をケアすることから始まる」と、これまた意味不明なことを言われたりもしたのです。
髪や爪が少し違うくらいで、お勉強に対する意識は変わらないのになぁ。。。などとぶつぶつ言っていたのを思い出します。
優等生の仮面を被りながらも、裏ではかなりエゲツない事をしている子供は昔からたくさんいました。そんなクラスメイトを見ていたせいか、校則による縛りが不良化の歯止めになるとは思えませんし、今思えばきっと先生方も別の目的をちゃんとわかっていたのではないでしょうか。

校則の真の目的とはなにか⁉︎

「みんなと同じ」それが日本の学校において、最も重要視されることです。
個性を発揮しようなどと考えれば、途端に大人達が寄ってたかった潰しにかかってきます。それに対抗した者はめでたく「不良」というレッテルを貼られ、さらに監視の目は厳しくなります。
身なりをきちんと整えることはとても大切なことです。私もだらしない格好は嫌いなので、子供達にはシャツはアイロンのかかったシワのないものを着ろ!制服のネクタイやリボンは改造してはいけない!またスカートのプリーツは崩さぬよう細心の注意をはらえ!などと口うるさく言っていますが、まるでクローンのように同じになれということではありません。
身なりを整えることと、人と同じ格好をするというのは別の話です。

娘はハーフなので髪色は茶色でウェーブがかっています。しかしそれは天然のもので、後から手を加えたものではありません。それでも「茶髪届け」「天然パーマ届け」というものを提出し、証明書を所持しなければいけないと言われています。
どこからどう見てもハーフ。およそ生粋の日本人であるとは言えないルックスでありながら、このように面倒な事をしなければいけないのは、私からすれば無駄な抵抗であると思うのですが、顔の造作まではみんなと同じアジアンに変えられないので、体裁を整えるための届け出なのだろうと理解しています。
実際には笑ってしまうような校則ですが、あれこれ申し立てするのも面倒なので紙切れ一枚で済むのならいいじゃないのよと従っていますが(笑)

風紀だけではありません。授業の中でも、みんなと同じ教育がなされていると娘はボヤいています。
美術や家庭科などクリエイティブな作業をする際、娘は必ずダメ出しをされるといいます。模倣を主とする中で少しでも手心を加えて、人と違ったものを作ろうと目論むせいです。
先生のみならず、クラスメイトからも「勝手にやり方を変えたらダメだよ。お手本通りにしなよ!」などと言われるらしく不満タラタラです。私もそんな愚痴は聞き飽きて面倒なので、
「模倣も学ぶべき事が多いのだから、とりあえずやってみたら?」
そう言って軽くあしらっていますが、オリジナリティにこだわりがあるせいか気に入らないようで文句はとめどなく溢れてきます。

とにかく、学校の中ではあらゆる場面で、人と同じであることを子供達は知らず知らずその身に刻み込まれているようです。



協調性を育む理由

学校のみならず、社会においても同じことです。校則のようなルールはなくても、人と違うことをすれば拒絶されたり叩かれたりするものです。
だからこそ人は自分の身を守るために横を見ながら、決して出過ぎないように、そして遅れないようにと歩調を合わせるのです。そんな行為を人は「協調性」という言葉で美化し、自らを納得させるのでしょう。
組織を統率する立場からすれば、これほど都合のいいことはありません。みんなが同じ思想ならば管理しやすいのですから。
会社でも学校でも、たくさんの人が集えばそれを束ねるのは難しくなります。だからこそ教育が必要なのです。
日本の学校教育の根底には、そんな思惑があるように思えてなりません。またかつてのように、人を戦争にでも駆り出す事態になった時のために?
そう思うのは杞憂でしょうか。。。

成人してもユニフォーム

さて、このような子供達が高校を卒業するとどうなるか?
今年、卒業した娘のSNSなどを見せてもらいビックリしたのが、多くの子供達が卒業と同時に髪の色を変え、耳にピアスの穴を開けに走ったのです。
これまで抑圧されていたものが一気に吹き出したのか、途端に個性を発揮し始めたのです。生徒会などで活躍していた優等生の子でさえ例外ではなく、制服を脱ぎ捨てた途端に弾けまくったのでした。
しかし、それは一時の麻疹のようなものです。長年にわたる「教え」はそう簡単に払拭できるものではありません。

就活や新入社員を迎える時期になると、まるでユニフォームなの⁉︎ と見紛うほどに紺色のリクルートスーツが溢れかえるのは皆さんご存知のことと思います。
そんな様子を見ると、麻疹を終えた子供達に残るのは、長きに渡る学校教育の成果であることがわかります。
お達しがある訳でもないのに、あれほど多くの人がまるで申し合わせたかのように同じような服を着るなど、他国ではそうそうあることではありません。しかし毎年のようにそんな光景を目にするのですから、凄いとしか言いようがありません。
それはまさに「人と同じでなければいけない!」「出る杭は打たれる」といった洗脳教育の賜物なのです。それは何年経っても子供達の心に強く根付いているのです。




自分の学生時代、そして子供達の学校生活を見てきて、私はずっとこのような事を考えてきたわけですが、本当のところはどうなのでしょうか。
私はちょっと斜めから物事を見たがる癖があるので、曲解している可能性もあります。
考えてみたら、これまで学校の先生に直接これらの事を聞いたことはありませんでした。
機会があれば是非とも先生に尋ね、意見を頂戴し、なんでもありのアメリカにいる甥っ子君にきちんと説明をしてあげたいと思ったのでした。