お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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結婚以外の幸せ。結婚はしないけど、独りじゃない人生を選択したアラフォー女性のお話。

先日、パーティーで出会った婚活アラフォー女子についての記事をアップしましたが、そのパーティーで、全く違う選択をしたアラフォー女子とも出会いました。

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年齢は40半ばのその女性は、結婚をしない人生を選択したといいます。
お相手はいるものの、結婚という形をとらずに添い遂げる道を選んだそうです。

お相手であるパートナーは彼女よりも一回り以上も年上の男性で、かれこれ10年の付き合いになるといいます。
当初からお互いに「結婚はするつもりない」「子供も持つつもりはない」と決めていたそうで、最初から結婚を視野に入れないお付き合いだったそうです。



現在、彼女はお相手の希望で仕事はしていないといいます。その代わりにプライベート秘書というのか、身の回りのお世話、といっても家事労働ではなく、主にお相手の社交活動のセッティングや同行をすることで経済的な面倒を見てもらっているそうです。
この日のパーティーもお相手男性のお付き合いで来ていると言っていました。
これは老人介護か?というくらいに、男性に寄り添いあれこれとお世話をする彼女。
「すべてはお金のため?」
意地悪な見方をすればそういうことになりますが、この女性はそれを否定します。

「一緒になってから人生が変わったの。自分には縁のないと思っていた華やかな場所に出入りして、これまで口にしなかったようなものを日々食べて、行ったことのない国を旅して、それまでの生活がなんだったの?というくらいに私の人生は激変したのよ」

それまで、男性運がすごぶる悪かったそうで、紐まがいの男のために働き、時には拳で殴られたりと、結婚はおろか男性に対しては希望が持てないような関係しか経験したことがなかったといいます。
それでも「自分が至らないせいだから」「自分は美しくないから、こんな生活も仕方ない」「お付き合いしてくれる男性がいるだけ幸せ」そんな風に思っていたといいます。
まるでドラマのようですが、本当にそう思い込んでいたといいます。
しかし現在のパートナーと出会ってから、それが間違っていたことを知ったそうです。
女性は大切にされるべき存在だと、初めて教えてくれたのがお相手の男性だったそうで、話を聞いている限り「恋」というよりは「尊敬」といった感情の方が強いように感じました。
それはそれで、よいパートナーシップなのでは?と思えましたが、難を言えばパートナーが彼女よりもずっと年上だという点でしょうか。老後を共にするのはおろか、末はお相手の介護を担う役割をする可能性もなきにしもあらずです。

ここで気になるのが、もしもこの男性と別れることになった時の事です。
仕事を持たない上、法的に財産贈与などの権利も当然ありません。
余計なお世話ですが、その辺のことも突っ込んでみました。

「その時は、長距離のトラック運転手かなんかになって、一人で生きていく!」

そんな答えが帰ってきました。

「自分で選んだ人生だから、どう転がっても自分で始末をつけるわよ」

なんとも力強いです。

私ならパートナーが元気なうちに、生涯経済的に困らないくらいの保証はしてよ!などと、何がしらのものを頂こうと、画策するでしょう(笑)
と、そんな言葉を発すると、「実はね。。。」と本音を漏らしました。
実際はすでに頂いているといいます。万が一、パートナーの男性と別れることになった時にも、経済的に困らない程度のものを。。。
仕事を辞めろと言われた時に、そのあたりの保証を取り付けたというわけです。しかも前払いで。
男に従順なだけの女性かと思いきや、案外しっかりした女性です。

こんなケースなら、無理矢理結婚を求めることもないわよねと、思わず納得しました。これは稀に見る運の良さといいますか、いいお相手に巡り会えたからと言えます。
実際はここまでうまい具合にはいかないでしょう。




なんの保証もなく、ただ男の子守だけならいくら愛情があっても不安です。
しょうもない男と結婚するくらいなら、生涯独りで自由を満喫した方がいいわよ!などと思っている私ですが、この女性を見ていると、ちょっと別のことも考えるようになりました。

結婚はしてもしなくてもどっちでもいいのですが、パートナーと呼べるような人がいてもいいのではないか?というものです。
それは彼女の言った「人生が変わった」という点です。
違う人と共に過ごすことで、これまで知らなかった世界を見たり、そこまで大袈裟なことでなくても、新しい趣味や楽しみを見つけるきっかけになるなど、一人では作れなかった人生を得ることができるのではないか?と考えたのです。

この女性の場合、パートナーが裕福であることが、大きなキーとなっているようですが、もしも女性にある程度の収入があるなら、お相手の年収1000万以上などと言わず、たとえ稼ぎは多くなくても真面目に働いていて、人としてまともな感覚を持った優しい人で、さらには共通の趣味なんかがあれば、それでいいではないかと思うのです。
お相手男性の年収がたとえ300万でも、自分に収入があれば生活は成り立ちます。

女だから家事をしろとか、男だから生活費を出せとか、そんなお約束など関係なく、お互いフェアな立場で共に人生を楽しむ相手。そして万が一どちらかが病気にでもなったりした時は、支えとなりできるサポートをし合えるパートナー。そんなのが理想ですが、これは都合が良すぎるのでしょうかね?

専業主婦の分際で言うのもなんですが、一生男のパンツを洗って暮らすくらいなら、こんなフェアな関係の方がよほど楽しいと思えます。

冒頭の女性に関しては、ちょっと特殊ケースとも言えますが、結婚することが全てではなく、まったく違う生き方によって幸せになることもできるのだなぁ。。。と思ったのでした。

最近、外国人夫と言葉が通じない。 年々難しくなる異言語コミュニケーションの理由。

最近、外国人夫と話が通じないと思うことが度々あります。
一体なんの話をしているのかすらわからない時があります。
「はぁ?」「はぁ?」「なに言ってんの?」そんな事ばかり口にしていると、ふと自分の英会話力が低下している⁉︎ と、日頃の勉強不足を反省したりしますが、よくよく考えてみると原因はそれだけではなさそうです。



言葉が通じない。。。

私が「なに言ってるのかわからないわよ!」とキレていると、すかさず二人の娘のどちらかが通訳に入ってきます。
「だから、ダディーが言ってるのは〜」と。。。
そこで、夫の話している言葉の単語や意味がわからないというわけではなく、なにを言わんとしているかがわからないということに気づくのです。
そこを娘が通訳するわけですが、これは私よりも娘たちの方が夫のことを理解しているということなのでしょう。

以前ならこういう事を話したいのだなとなんとなく雰囲気で察することができたので、どんな表現をされようが、どんなに言葉を省略されようが理解出来たものですが、人は変わるものです。その変化についていけなくなると、相手の言っている事すらわからなくなるといった事態が起きるようです。
しかし、何がどう変わったのか? 本人たちに自覚はありません。まるで雨だれが石に穴をあけるように少しづつその穴は大きくなっていったのでしょう。

その雨だれの一粒一粒はどんなものなのでしょうか。

相手の母国語を話そうとしない

結婚した当初は私が英語を話し、コミュニケーションをとっていましたが、日本在住期間が長くなると、さすがに夫も日本語が話せるようになってきます。
そこで本来の面倒くさがりが出て、日本語で通じるならその方が楽でいいわ!と、英語を話すことをしなくなりました。
相手も同じで、日本語を一生懸命お勉強していた頃は必死で日本語を話そうとしていましたが、ある程度不自由しなくなると途端にサボり始め、今では家の中で日本語をあまり話さなくなりました。
お互いに自分の母国語で好き勝手に喋っているのですから上達はしません。

難しい単語でもお構いなし

20年以上も一緒にいれば、相手に対する気遣いなどお互いにしなくなります。
まるで空気のように、必要だけれど有り難みなどいちいち感じることもなく、そこにいるのが当たり前のようになってきます。
会話をしていても以前なら「この意味わかる?これはねこういう意味でね」などと丁寧に話してくれたものですが、今ではそんなことは皆無です。
政治や経済など難しい話題になると、夫の口から時として知らない単語が飛び出してきます。こちらが「は?」という表情をしていても、お構いなしでまくし立ててくるのです。そうなるとこちらも面倒になって、話半分で適当に相槌をうつようになり、もはや会話は成立しなくなります。
しかしそれで円満なのは、相手も聞いてもらおうなどと思っていないからです。ただ自分のオピニオンを撒き散らせば目的達成といったところだからです。

慣れによる怠惰

「ほら、あれだよ」
「あれ、前にあったじゃん」
「あそこがさぁ〜」
もう、「あれ」とか「それ」「あそこ」とか、それでもなんでも通じると思っています。
昔はストレートな物言いをしない日本人を「おまえたちはエスパーか?はっきり言わないとわからないではないか!」と、散々ディスりまくっていたにも関わらず、今ではすっかりそれに慣れてしまっています。
言わなくてもわかる。忖度。まったくもって便利なものですが、相手にそれを求めるのは怠惰であることの証でもあるのです。
相手に理解してもらおうと努力するのでなく、相手が自分から理解することを期待するのです。
お互いにそんな感じなので、会話が成り立たないのもわかります。

相手の話を聞かない

人間は歳をとると頑固になるものです。若い頃はお互いに素直で相手の言葉に耳を傾け、たとえ意見が違ったとしても、相手を尊重する努力をしていたものです。
しかしアラフィフともなれば、「我こそが王様なり!」と、お互いに自分が一番偉い!一番正しい!と、相手に譲ることをしなくなります。
相手の話を聞き終わらないうちに、覆いかぶせるように言葉を挟んできては喧嘩になることも珍しくありません。
男性にも更年期障害はあるようなので、お互いにここまで傍若無人になれるのは、ひょっとしてホルモンバランスの乱れ?とも思わないでもありませんが、とにかく酷いもんです(笑)

身勝手なサプジェクトチェンジ

これもまた相手に対するリスペクトが欠如しているから起こることでしょう。
例えば私が「今日は暑かったから、晩御飯は冷やし中華なんでどう?」と話しかけると、「いや、辛いものがいいから、タイカレーは?」と、ここまではいいのです。
「タイカレーならココナッツミルクがないから買いに行かなくちゃね」などと、私は依然として晩御飯について話しているのに、夫の方は突如「ココナッツの木」→「森林」→「森のゴリラ」→「動物保護」など、勝手にサブジェクトを変えて暴走していくのです。
もはや会話ではありません。夫による独白です。
私は晩御飯のタイカレーのお話をしているつもりで、頭の半分では何時になったら買い物に行って〜などと考えながら話しているので、半分くらいしか相手の話を聞いていない状態です。一方夫の方はとうにタイカレーから離れ、勝手に話題を変えているのです。気付いた時にはいきなり動物保護の話になっているのですから、私は訳がわかりません。

こんな時、横で会話を聞いていた子供が通訳に入り、その辺のズレを説明し、「タディーもさ、勝手に話題変えるのやめなよ」
「マミーもさ、ちゃんと人の話を聞きなよ」
そう諭されるのです。
もはや言語の問題ではありません。



理由の全ては長きに渡る結婚生活にある

私の英会話力が衰えているのは否定してしませんが、それでも毎日英語を聞いて生活しているのですから、まったくわからなくなったというわけではありません。
普通なら、他の人が話す英語は分からずとも、夫の話す英語だけはよくわかる。そういう人が多いものですが、私は夫の英語こそがわからない!という事態になっています。
まぁ、言葉など通じなくても、充分快適に生活はできるので、大した問題でもないのですがね。

ムカッ!ときたり、ストレスになるのは、言葉が通じないからではなく、そこに透けて見える相手に対する配慮のなさなのです。
これはお互い様なので外国人夫だけを非難することはしませんが、かつてのジェントルマンがいきなり暴君になるのは容赦できません。

よくぞこんなにも長く一緒にいられるもんだと、己の忍耐強さに拍手喝采を送ってあげたい気持ちです。

東京ミッドタウンでひとりランチ『千里馬 南翔小籠』で小籠包と上海焼きそばを食べる。

普段ランチといえばお友達と行くのがほとんどなので、写真を撮ったりすることもなく、そのせいであまりランチのお店を記事にすることもないのですが、今回はひとりランチだったので、ちょっとご紹介です。




こちら、六本木の東京ミッドタウンの中にあるチャイニーズレストラン『千里馬 南翔小籠』さんです。
私はここの上海焼きそばが好きで、お買い物へ行った時などは、ひとりふらりとランチに立ち寄ります。

小籠包5個と上海焼きそばのセットで税込み1300円。
量も適当でなかなか満足度の高いランチセットです。
小籠包のセットは他に炒飯がつくものもあります。

こちらの小籠包、何度も食べていますが、最近皮が厚くなった?と感じるのですが、気のせいでしょうか?
以前は薄くてよく破れていたのですが、今回はかなりしっかりとした厚みのある皮になった気がします。
蒸籠が以前と変わっているので、そのせい?とも思えなくもありませんが、美味しいのでどっちでもいいわ!といったところです(笑)

上海焼きそばはこれといって特徴があるわけでもないのですが、お野菜もたくさん入っていて細麺、少し油っぽい感じですが、途中で黒酢などを軽くかけて食べると、サッパリとまた違った味わいでクセになります。

スープと杏仁豆腐のデザートもついてきます。


オープンは11時、気ままな専業主婦なのでいつも11時半前に行きますが、昼頃にはいつも満席になっています。広い店ではないので、早目に行った方が待たずに済みそうです。

こちら、おひとり様でも気兼ねなく立ち寄って、サクッとランチが食べられる使い勝手のよい店で、たいへん重宝しております。

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どんなに好きな人でも会わなければ忘れてしまう。そして自分もまた忘れられていく。

最近、よく亡くなった父の夢を見るわね。。。と思っていたら、ハッと気づきました。

「命日、忘れていたわ。。。」

結構、ショックでした。忘れるなんてあり得ないと思っていたのに。




父が亡くなってもう10年以上になります。当時の悲しみも癒え、寂しさからもようやく解放されてきたかなと感じていました。
なにかツライこと、困ったことがあると「パパ、助けてよ〜」と、心の中で父に頼ることも少なくなりました。
まぁ、そんな歳でもありませんが。。。

肉親に限らず、どんなに大好きで、この人がいないければ私はどうなってしまうのだろう?
それほどの強い想いを抱えていても、人間って忘れるものなのです。
少しずつ、少しずつ、気持ちが薄れていく。悲しみや痛みといった感情がまるで人ごとのように自分から離れていくのです。

顔を見て、言葉を交わし、肌の温もりを感じて、そんな触れ合いがなければ気持ちは変わっていくもの。
絶対に忘れない。。。そう思っていても、時の流れが自分からそうした気持ちさえも持ち去っていってしまう。。。

自分もそうやって誰かの記憶の中から消えていくのかなと考えると、少し寂しくもあります。
もう二度とは会えないだろうけれど、忘れたくない、そして忘れられたくないと思う人はいるものです。

それでも忘れるのは、人は今を生きているからに他ならないからでしょう。
過去ではなく、今目の前にあるものに目を向けて生きているからこそ、ここにないものは忘れるのです。

忘れたくないことだけでなく、人には忘れたいと思うようなこともあるでしょうから、それでいいのかなとも思います。
どうでもいいことや悲しいことは忘れてしまうに限りますから。

一つなにか忘れたら、また新しいなにかがやってくる。

一人誰かのことを忘れたら、また新しい出会いがある。

そんな風に思えば、忘れることや忘れられてしまうことも必要なのかなと思えます。

でも、父親はこの世でたった一人だから、やっぱり命日は忘れてはダメね。。。


デパートコスメのお買い物にはタッチアップを!しかし別ブランドのハシゴはするもんじゃない。

デパートに入っているコスメブランド。略してデパコス。

コスメ好きにはたまらない場所でしょう。私もビューティーにはさほどの興味はないといいながらも、一人前のアラフィフなので、いかにお顔のアラ隠しをするかは大きな問題です。そこでお世話になるのがデパコスというわけです。

私は娘のように新作、新色が出るたびに色めき立つようなことはありません。一度買ったものは最後まで必ず使い切るようにしているからです。
しかし、定期的にエンジンがかかることがあり、そんな時は思い切って欲しいコスメをまとめて買うことにしています。




先日も突如「顔」が気になって気になって、居ても立っても居られなくなりました。
今更ではありますが、どうにかしなければ!と、それはそれは強く思ったのです。

夏の暑さにも崩れることなく、なおかつシミ、くすみ、ついでにたるみまで誤魔化してくれそうな凄いものはないか⁉︎と、新規開拓を試みるため、暑い中テクテクとデパートへ出かけていきました。

その日の狙いはファンデーションやコンシーラーなどベースメイクです。これはちょこっと手につけて試してという訳にはいきません。
そこで必要なのがタッチアップです。これはいわゆるカウンターの椅子にちょこんと座り、そのブランドの美容部員さん(店員)に実際にメイクをしてもらうことをいいます。
ちなみにこのような方々、今は「BAさん(ビューティーアドバイザー)」とか言うらしいです。最初見た時は「バアさん⁉︎」と思ってしまいました。

特にベースメイクの場合は、マットな感じがいいのか、艶感を出したいのか、また肌の色に合っているかなど、実際につけてみないとわかりません。また、そのブランドによってどう使うと効果的かなどもそれぞれ違うので、同時にその方法を実演で学ぶ機会でもあるのです。

さて、そんなベースメイク選びに出かけて行った訳ですが、ファンデーション選びということで、朝自分でしたメイクは目から下の部分からすべてオフし、一から丁寧にメイクをし直してもらいます。

その時に使用するクレンジングや化粧水、乳液なども淀みないセールストークによって、さりげなくお勧めされたりします。
きっと断れない性格の人などは、ここでオールライン揃えて購入なんてことにもなりかねないほどに、それはそれは魅力的にあらゆる商品が飛び出してきます。
さりげなく置かれたパンフレットにさっと視線をやり、電卓をはじくのはいつものこと(笑)
とりわけアンチエイジングラインは高価な物が多いので、化粧水や乳液一本1万くらいするものをガンガンと紹介されるのです。

特別欲しいと思わなければ「今は必要ないので」とはっきり言えば、それで済むので問題はありません。
この日も目的はベースメイク用品だったので、他の物はいらないとお断りすると、「これで使用感を見てくださいね」と、試供品を沢山つけてくれました。

そんなこんなでメイクが終わり、仕上がりを見ると、想像した通り、いやそれ以上の出来に仕上がっているではありませんか!
たいそう気分も良く、この収穫に大満足でファンデーションや下地クリーム、パウダーなどを購入しました。
いつもとは違う明るくなった肌にすっかり気分をよくした私。もう少し何か欲しいわ!という気持ちになってきました。

そこでフラフラと他のブランドのコスメを見て回っていると、なんだか素敵なパレットをみつけました。
チークにもハイライトにも使用できるという、とっても綺麗な4色パレットです。
これはどんな風に使えばいいか?テスターを手の甲に塗ったりしながら見ていると、とてもお綺麗な美容部員さんが声をかけてきました。

そこで再びタッチアップに入ってしまったのです。1日のうちに2度もあのカウンターに座るのは初めての経験でしたが、今度はベースメイク用品ではないからと、気楽な気持ちで座ったのですが。。。

「どこか気になるところはありますか?」

そんな質問に「全部よ!」などと言いながらも、「この歳になればさ、やっぱりたるみ、シミ、シワよね〜」などとなんの気になしに言ったところ、俄然美容部員魂に火をつけてしまったようです。
私が手にしていた他ブランドの商品入りの紙袋にもライバル心を掻き立てられたのかもしれません。と、それは考え過ぎというものでしょうが、4色パレットのお試しのはずが、「ベースによってお色味が〜」などと言いながら、さっき綺麗にしてもらったベースをおもむろにオフ。。。
そして、自社製品を新たに塗り直されたのですが、どう見てもさっきの方が綺麗な仕上がりです。

しかも、あれもこれもとお目当てのハイライト以外にも塗り重ねられたせいか、私のお顔は叶姉妹の胸元をくっつけようなギラギラ顔に変わってしまったのでした。

「こんなはずじゃなかった。。。」

私はあの4色パレットが欲しかっただけなのに(涙)

タッチアップなどせずに、パレットだけ買ってさっさと立ち去れば、私はツヤツヤの綺麗肌で一日を過ごすことができたのです。

メイクや髪型が気に入らないと、なんだか憂鬱な気分になるものです。
もう気分は下げ下げです。せっかくの百貨店、しかもセール中なので、他にもあれこれ見たいものもあったのに。もうお家へ帰るわ。

一生懸命にやってくれた美容部員のお姉さんに対して、「やり直せ!元に戻せ!」などと言えるわけもありません。私もリクエストが多過ぎたのかもしれないという反省があります。あれこれ言うからそれを補正するために、また重ねてあれこれつける。そんな感じだったのでしょう。

そんなわけで、最初に目をつけた4色パレットだけ購入し、その場を去ったのでした。




ここで学んだこと。
タッチアップは1日1店舗。別ブランドのハシゴは決してするものではない!ということです。

化粧品選びとは難しいものです。
そのブランドによって、使い方やテクニックは異なります。下地の作り方にしても、ファンデーションにしてもチークでもなんでも、塗る順番から肌への馴染ませ方など、本当に違うのです。それは色々なところでタッチアップして頂くといつも感じることです。

また、肌質の合うもの、似合う色、また香りなど、好みも人それぞれです。
どこのブランドのものだから絶対いい!ということはありません。
だからこそ、自分に合ったものを慎重に選ぶ必要があります。
そのためのタッチアップなのですが、お店側からしたらそうしたサービスと同時に、商品を紹介し宣伝するという意味合いもあります。

今回も4色パレットだけならベースメイクをオフする必要はありませんでした。上から軽く乗せるだけで済んだはずです。
しかし「より映りがよくなる」と、ベースからコンシーラーまでガッツリ塗り直しをしたのは、自社製品の宣伝をするためです。
4色パレットのついでに他の商品もいかかですか?といった意味があるのです。

これに意を唱えるつもりはありません。なんでもタダのものはないのです。タッチアップをして頂くからには、他の商品のセールストークを聞くのもやぶさかではありません。
むしろ、自分の知らなかった商品やメイクテクニックを教えてもらえるのでありがたいくらいだとすら思っています。
だからこそ、私はあの椅子に座るのです。

これからも私は化粧品を買いに行くたびに、あの椅子にちょこんと座ることでしょう。
しかし二度とハシゴは致しません。そのブランドの良さを上書きして消してしまうのはもったいないですからね。

何はともあれ、当初の目的であったベースメイクの新規開拓も上々の結果。
家に帰り、ゲットした戦利品を並べてすっかりご機嫌が戻ったのでした。