お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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毎日カップ麺ばかり食べるな!食への関心は生きる活力となる。

以前投稿した記事で「詳しくはまた次回。。。」と締めくくらせて頂きましたが、その続きです。

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第一弾は食についてです。

ランチタイムの行動を見ていると、少なからずその人となりが、わかったりする事があります。
これ、過去から現在において私が身を置いてきた環境でのお話であり、あくまで私の独断と偏見である事を前置きしておきます。

まずは外のレストランでランチタイムを充実させようとしている人は、探究心旺盛でマメな人が多いようです。
このような方々、時には社外の人間ともなんちゃってランチミーティングみたいなこともやっていて、なにを話しているのだか、情報交換は大事だよ!と、さぞかしすごいランチをしてきたぞ!ってな雰囲気を漂わせながら、満腹になって社に戻ってきます。
そんな成果があってかどうか、社内のポジションも若手ながらなかなかのところにつけていて、お給料もそこそこ貰っている様子。つまり若手の花形的な位置にいるグループです。
冴えない中年社員を蔑んでいるようにも見え生意気な感じですが、人生に対する野心が見えるので、海千山千の中年専業主婦から見れば、そんな嫌味も通り越して気持ちよくもあります。

一方の社食派はとにかく安くお腹いっぱい食べられればOKのとりあえず派。外に出るのも面倒だし、割安で食べられるのならお得だぜ!といった感じなのでしょう。
いつもと同じメンツで、日替わりランチなどを流し込むように食べて、あ〜満腹。
この辺りの方々、社内でもとりあえずの位置をキープ。悪く言えば、毒にも薬にもならないようなタイプと見受けられ、私にとってはもっとも観察する意欲の湧かないタイプであります(笑)

そんなところに出てくるのが、お弁当持参派の方々。このタイプは2つに分かれていて、まずはシッカリさんタイプ。
シッカリさんはとにかくお金を遣いたくない。どんなに早起きをしても、きちんとお弁当は自分の手で作るという信念を貫いています。こんな人は案外自分の夢みたいなものを持っている人が多いようです。今いる場所は仮の場所であり、いつかは飛び出す事を確信しているタイプです。

それとは反対に親にお弁当を作って貰っている過保護なお嬢ちゃん、お坊ちゃんタイプもいます。
向上心のようなものは見えません。チャンスがあれば飛びつくだろうけれど、自分から欲しいものは取りに行かないタイプなので、会社での仕事ぶりも待っているだけ。当然良いポジションは与えられませんが、本人にとってはどうでもいいようです。

そんな中、私がもっとも注意をひかれたのがカップ麺派の人達です。
毎日カップ麺に湯を注ぎ、それをズルズルと食べて、あとは昼休みが終わるまで寝ている方々です。
このカップ麺派は若者のみならず、年配者にいるのですが、共通点があります。
それは「うだつが上がらない」人達ということ。自分の待遇や置かれた環境を呪う言葉を吐き、いつも疲れた顔をしながらカップ麺をズルズル。
私はここで主婦パートの中にもこのカップ麺派がいることにビックリ仰天しました。
主婦であれば、毎日の飯炊きもお仕事の一つです。その気になれば、晩御飯の残り物、残り物がなくてもおにぎりに厚焼き玉子くらいの簡単弁当はものの10分で作れてしまいます。
別にカップ麺がいけないわけではありません。カップ麺は私も好きですよ。特にペヤングとか(笑)
でもね、食べるのは年に数えるほどしかありません。あれは毎日食べるものではないのです。たまに食べるからこそいいものなのです。
そもそもカップ麺は炭水化物の塊です。肉も野菜も乾燥したものがチョロっとあるだけで、とてもバランスが取れているとも思えません。それを毎日毎日食べるのですから、力がつく訳がありません。
つまりカップ麺から生きる活力は生まれないということです。

いつもカップ麺を食べているパート主婦にその理由を聞いてみたところ、「安くて簡単に済むから」との答えが返ってきたのですが、そんな方々の姿はそのまま自身の姿勢を表しています。
40そこそこで髪はパサパサで頭のてっぺんは白いライン(白髪)がくっきり。手もシワシワに荒れていて、最低限の手入れもしていないことがわかります。

衣食住とは人間が生きる上での基本です。その一つである「食」をおざなりにするということは、生活をおざなりにしていることに等しいのです。
別にいつもレストランで高級な物を食べる必要はありません。たとえワカメと豆腐の味噌汁や野菜の煮物でも、自分で手をかけたものを体に与えてあげること。そんな気遣いも面倒で出来ないという人は、他のこともまともに出来ないことが多いのです。

つまりカップ麺がいけないということではなく、それを食べ続けたら体にどんな影響が出るか、まったく考えることをしない。
また、ただ簡単で手間がかからないから食べているという好奇心のなさと怠惰。
これらが生活全般にも影響してくるのです。




人間は食べなければ生きてはいけません。そんな大切な行為を考えもなしに繰り返すという気持ちこそがいけないのです。
美味しい物を食べれば人はハッピーな気持ちになります。そして「またこんな美味しい物を食べぞ!」と、そのために頑張ろうと思えるほど、食の与える影響は大きいものです。
どんなものが食べたいのか? 体と心、両方と相談しながら日々食べるものを選ぶのは、自分の人生を選ぶことと同じ行為です。
だからこそ、食への投資を蔑ろにしてはいけないのです。
世の中の成功者、大金持ちなどは、食に対する探究心旺盛な人が多いものです。何事に対しても好奇心を持ち、些細なことにも真剣に向き合うという姿勢のあらわれでもあるのでしょう。
また、それだけの仕事を成し遂げるためには、エネルギーも必要です。カップ麺など食べていたら、仕事にはなりません。

何事も心身共に健康であることは必要不可欠です。食を重要視することは、自分の健康管理をするということも含まれます。
そういった観点からも、食をおざなりにしてはいけないことがわかるかと思います。

もしも自分の人生詰んだ。。。
などと思って鬱々としている方は、食への考え方を見直してみるべきです。
食べるものが変われば、気持ちも変わります!
カップ麺ばかり食べてないで、たまには自分への投資として、美味しいものでも食べてみてください。