専業主婦という生き物

美味しいもの、美容、国際結婚、噂話、専業主婦についてなどを思いつくまま綴るブログ。

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専業主婦は孤独と上手に付き合ってこそ楽しめるもの。ひとり時間は贅沢なものと思うべし。

専業主婦は社会との接点がないため孤独に陥りやすいと言われています。
時に子供以外の誰とも会話をすることなく一日が終わってしまった。。。そんな経験は専業主婦ならば誰にでもあるでしょう。ちっとも珍しいことではありません。
引きこもりでなくても、毎日お友達とランチだショッピングだと遊び歩いているわけではありません。むしろ一人で過ごすことの方が多いものです。
つまり、専業主婦になったのなら、孤独であることは当たり前なのです。
夫や子供のいない間は基本独りです。家事も一人でこなします。晩御飯の買い物も一人、掃除も洗濯も一人。ついでに昼ごはんも一人。とにかくずっと独りです。

この「独り」をどう捉えるかはその人の性格によるところも大きいのではないでしょうか。
常に誰かと一緒に行動していなければいけないと思っている人は、きっと独りでいることが不安になるのでしょう。

いつも独りでいる寂しい自分

お友達もいない人付き合いの苦手な自分

社会から置き去りにされている自分

常にそんな風に感じているのでしょうか。
しかし、それが果たして本当に自分の思いなのか?
もしも他人から見た自分という評価を勝手に妄想しているのなら、こんなバカらしいことはありません。



「孤独」というとネガティブなイメージですが、いい方に考えればこれほど「自由」なことはありません。

専業主婦は退屈だ、寂しい、つまらない、そんな風に思って日々を過ごしている人は、「孤独」をネガティブなものと捉えています。
逆に独りの専業主婦生活が楽しい!と思える人は「孤独」である事の贅沢を知っている人です。

外で仕事をしていれば、自分時間をコントロールすることも容易ではありません。人に気を遣ったり、常に他人と歩調を合わせることを余儀なくされるでしょう。
しかし、一人で家事育児を担う専業主婦は誰に気を遣うことなく、自分のペースで自分の好きに行動できるのです。こんな贅沢な身分ってあるでしょうか⁉︎

要はそんな独りの時間をどんな気持ちで過ごすかです。
「寂しくてたまらない。。。」
そう思いながら過ごすか、
「自由とは素晴らしい!」
そう感じているかによって、独りでいることの意味も大きく変わってきます。

私が常々子供達に言っているのは「独りになるのを怖がってはいけない」ということです。

外国人夫の影響もあるのでしょう。特に次女はなんでも思ったことを主張したり、周りとは違った行動をします。
「忖度」「空気を読む」そんな言葉が踊る日本の社会では、人と違うことや奔放さが反感を買うことは想像に難くありません。。実際に娘はお友達との軋轢など数知れず。時にクラスメートから無視をされるなんてこともあるらしいのです。
そんな時、私はいつも「独りでいることさえ怖がらなければ、たとえクラス全員から無視されてもどうということはない」
「独りでも充実した時間を過ごすことはできる」
そんな風に言ってきました。

お友達と一緒にトイレへ行く

一緒にお弁当を食べる

休み時間を一緒に過ごす

授業でペアを組む機会がある

そんな時に独りでいるのは、まるで嫌われ者にでもなったように感じるでしょう。
しかし、もしも「独り」でいることが平気なら、そんな時間さえ苦痛になることはありません。

「孤独」であることは時に強さを要求されるものですが、若い頃からそんな力を培うことはハードな社会を生き抜く一助にもなります。

専業主婦も同じです。一緒に公園遊びをするママ友がいなくても公園で遊ぶことはできます。ランチをご一緒するお友達がいなくても素敵なお店で独りでランチを頂くことは出来ます。
悩み事を相談するお友達がいなくてもプロのカウンセラーを利用すればいいだけです。
寂しいと感じたら、本を読んだり映画を観たり、趣味に没頭したりと寂しさを追いやる方法はあります。
それでもダメなら、寺にでも行って禅を組み無我の境地に入ってみるのもいいかもしれません(笑)

何故に自分は寂しさを感じるのか?

自分の抱えている孤独とはどんなものか?

自分はそれをどう捉えているのか?

孤独であるとはどういうことなのか?

思い切り「孤独」と向き合い、自分自身でこれでもか!というくらいに深く考えてみるのです。

私が「孤独」であることの本当の意味を自分の中で見つけたのは、若い頃に仏教に関する本を読んだことがきっかけでした。
若いのに仏教かい?とお友達には笑われていましたが、たまたまご縁があり知り合った僧侶と話すうちに興味を惹かれたのです。

そこには生きる上での知恵が沢山ありました。そこで指針のようなものを得たのでしょう。一貫して揺らぐ事ない人生哲学を得ることができたと思っています。
とはいえ、そんな大層なものではありません。
つまりは「生きるとは?」という問いに対する一つの答えです。
「生きることは苦しみに他ならない」との考えを前提とし、いかにその苦しみを受け入れて生きていくか。
これは語るとかなり長くなるので、また別の機会に書くとして、とにかくじっくりと自分の心と向き合うことは、孤独を楽しむための入口になります。
そんな時のガイドとして、あらゆる関連書物を読んでみるのも一つの手だてになるでしょう。




最近読んだ新書『極上の孤独』(幻冬舎新書)で著者の下重暁子さんが孤独のイメージを
「孤高」「自由」「群れない」と書かれていました。
なんという素敵な言葉でしょうか!

この本には沢山の孤独に対する考え方や著者の思いが丁寧に綴られています。

その中でも私が特に好きなエピソードがあります。
ちょっとだけネタバレになりますが、本書の【第2章 極上の孤独を味わう】の中にあった「新幹線は一人で乗りたい」というくだりです。

著者にはかつて大恋愛し別れた方がいたそうです。当時は好きすぎて自分の思いの丈をぶつけることもできずに別れに至ったため、その思いが今になって時折疼くといいます。この感情をぶつけない限り死ぬに死ねない!だからもう一度会いたい、絶対に会える!と信じ続け、新幹線に乗るときもキョロキョロとその人の姿を探してしまうそうです。
そんな著者があるとき都内のホテルのエレベーターで、偶然にもその彼と再会したそうです。
しかし、そのとき著者もお相手の男性もお互いにパートナーと一緒であり一人ではなかったそうです。当然のことながら思いの丈をぶつけるどころか、お互い沈黙の後に「お元気そうですね」と一言言葉を交わしただけで終わってしまいました。

折角の偶然の出会いだというのに、お互いに連れがいたのでは何も起きようがない。
一人であってこそ、ドラマは幕を開けるのだ。


『極上の孤独』下重暁子 より

そう締めくくっています。
思わず本を片手に「そうよ!」と膝を打ってしまいましたよ!

もしもお互いに一人でいたら?
著者がいつも思い描いているように、あの頃の感情や今の気持ちを存分にぶつけることができたでしょう。
「やっぱり独りでいるからこそ、素敵な出来事に巡り会えることもあるんだわ!」と激しく納得したのでした。

私のような平凡な専業主婦にとっては、高尚なことによって孤独を語られるより、こんな日常にありそうな出来事から「独り」も悪くないと思えるエピソードが一番心に響くのです。

いま自分は孤独だ。寂しい。そん風に悲観している人は、是非一読をお勧めします。
きっと「孤独」に対する考え方が少しは変わるかもしれません。



極上の孤独 (幻冬舎新書)


人は一人で生きられないといいます。
しかし、所詮最後は独りです。
母親の産道を苦しみながら通り産まれてくるのも独りなら、暗い闇に吸い込まれるように人生の幕を閉じるのも独りです。
誰かと共に生きてきたとしても、人は「孤独」とは無縁ではいられません。
独りでいることを怖がるのではなく、尊いものだと思いながら、そして「孤独」を贅沢な時間であると暮らしていけたら、どんなに心穏やかになるでしょう。

私は半年前から毎朝独りでウォーキングをしています。
健康と体型維持を兼ねて始めたことですが、歩き始めて気づいたことは、「独り」の時間を持ちたいという強い思いがあるということです。
我が家の外国人夫は勤務先が近いせいか、朝早くに家を出ることはありません。
私は朝4時〜5時の間には起床しているので、子供達が学校へでかける頃には大方の家事は済んでいます。つまり朝が長いのです。
そんな朝は独り静かに過ごしたいものですが、家にいると外国人夫がああでもない、こうでもないとうるさく話しかけてきます。
夜は夜で子供達が賑やかに過ごしているので、独り静かに過ごすことができないこともあります。
それはとても幸せなことかもしれませんが、やはり私は独りの時間が欲しいと思うのです。

「孤独が好き」という人は本当の孤独を知らないからだなどと言われています。確かにそうかも知れません。
実際に夫や子供達に囲まれ、日々笑っていられるからこそ、独りになりたいなどとと思うのかもしれません。

それでも、いつかは本当の意味での独りになるのです。
「孤独」と積極的に向き合うことは、そんな時のための訓練と覚悟にもなると思っています。

独りになることを怖がらず、悲観することも動じることもなく穏やかに日々の幸せを感じて暮らす。
そんな風に生きていきたいものです。

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