ずいぶんと寒くなってきました。
今年も残すところ2ヶ月弱。2019年もすぐ目の前です。
本屋さんをぶらぶらとしていると、早くも来年の運勢を占う本が並んでいます。
私、占いは信じない派ですが、仲良しのお友達などは信心深く占いも大好き!という人が多く、毎年そんな運勢本を買っては一喜一憂、ランチ会などで騒いでいます(笑)
好きと信じるは違う
先日もそんな占い好きのお友達から、来年の運勢についての助言をいただきました。
どうやら私の運勢はあまりよろしくない様子です。ネットの占いサイトなどを見せられながら解説を受けたのですが、これがひどいのなんのって!
全体運、仕事運、金運、結婚運、恋愛運、どれをとっても散々です。
「こんなの信じてたら、来年一年なにもできないじゃないのさっ!」
思わず叫んでしまいました(笑)
側で聞いていた別のお友達までが、「上手くいかない時は無理をせず慎重に進みなさいということよ」などと、すっかり信じている様子です。
こちらとしては、これから迎えようとしている新しい一年が悲惨だなんて、冗談じゃないわよ!といった気持ちです。
「そんなの、私は絶対に信じないわよー!そもそも私に慎重さなど求められると思うの⁉︎」
と、さらに絶叫です。
いつもこんな調子なので、みんなは私が占い嫌いだと思っているようですが、決してそんなことはありません。
先のことを知りたいと思ったり、どんな結果になるのかという興味もあります。
きっと女性なら、占いは信じないけれど、嫌いではないという人も多いのではないでしょうか。
人生を示唆してくれるものというよりは、エンタメ的な感じで単純に楽しい!といったように。
信じることと好きなことは別です。
好きだから見たり聞いたりはするけれど、結果がどう出ても信じない。そんな人もいるのです。
占いを信じない理由
私がまだ20歳くらいの時です。とても占いの好きなお友達がいました。雑誌や本の占いはもちろん、よく当たると評判のあらゆる占い師さんの元を渡り歩いていたという本物の占い好きさんです。
ある時そのお友達から、とってもよく当たる占い師さんがいるから、一緒に行って欲しいと頼まれ、暇だったのでお付き合いすることにしました。
かなり有名な方だったらしく、そこには長い行列ができていました。
なにぶん昔のことなので詳しくはは覚えていませんが、その占い師さんは年配の男性で手相で運勢を見る人でした。
寒い中、長いこと待ち、ようやく占ってもらったお友達は「すごーい!全部当たってる〜」と大喜びの大興奮です。
そんなによく当たるのなら、長いこと一緒に並んで待ったのだし私も!と見てもらうことにしたのですが、その結果は散々なものでした。
なにが飛び出してくるかとワクワク楽しみにしていたというのに、当たる当たらない以前に、
「ん〜、運勢が見えない。。。」
「はぁ?」
思わずお口があんぐりです。
「邪魔されてるのかなぁ。。。」
とかなんとかぶつぶつ。
「金運がダメなら恋愛運でもなんでもいいから、なにか見てもらえません?」
なんとか食い下がってはみましたが、結局は見てもらうことはできませんでした。
「鑑定料はいらないので、今日はお帰りください」
そう言われてしまいました。
こんなことってあるのでしょうか⁉︎
なんだかモヤモヤしたのを覚えています。
別に失礼な事をした覚えも言った覚えもありません。
解せない思いでその場を後にし、お友達と「なんでかしらね?」と首をひねりまくりました。
「見えないって、私の人生ここで終わりってことか⁉︎」
そんな嫌な想像までして、ますます気持ち悪くなったものです。
様々な占い師さんの元を渡り歩いたお友達の推測では、私があまりに自分のことを話さなかったせいではないかということでした。
彼女曰く、自分のことをしっかり話してインフォメーションを多く与えれば与えるほど、明確な答えがもらえるケースが多いといいます。
そこをあまりに小出しにし過ぎると、ハッキリしたことを言ってもらえないことがあると。
これはそのお友達が唱える説なので、真意のほどはどうかわかりません。当の占い師さんにでも聞いてみなければわからないことですが、もしもその説が少なからず本当であるなら、占いってカウンセリングのようなもの⁉︎ と思ったものです。
その一件以来、何度もお友達のお供で占いに行きましたが、相変わらずあまり話さない私には「当たってる!」という鑑定は得られた試しがありませんでした。
なによりも、「なんにも見えない」などと言われたことがよほど嫌だったのか、占い自体を信じないようになったのです。
人生でたった一度当たった占い
そんな占い不信な私でしたが、過去に一度だけ大当たりした占いがあります。
これは未だもってまぐれ当たりだったのか、その占い師さんの能力であったのかわかりません。しかし、本当に私の将来をズバリと予知したかのような鑑定結果でした。
それは私が20代前半の頃です。表参道を歩いていると、道端に若い女性の占い師さんが座っていました。
私はちょうど友達との待ち合わせ場所に向かっている途中だったのですが、早く着きすぎて、どう時間を潰そうかと考えていました。
これはちょうどいい!と、その占い師さんに時間潰しのお手伝いをしてもらおうと占ってもらうことにしました。
確か生年月日と手相かなんかの占いだったと記憶しています。
特に聞きたいこともなかったので、「金運はどうですかね?」などと、若い女子からぬ、まるで腹の突き出たバブルオヤジのような鑑定をお願いしたのでした。
「お金には不自由しないようです。なんとなく必要な時にどこからか入ってくるので心配なしです」
この答えに気分を良くした私。
「私、結婚すると思います?」
自分はきっと一生独身で過ごすことになるだろうと思っていた(決めていた)ので、確認してもらことにしました。
しかし、その答えは予想外のものだったのです。
「多分、あなたは外国で暮らすことになりますよ。西の方角であればそこで出会った人と結婚して、良い生活が送れるはずです」
その時、私は西の方角、つまりイギリス行きを2ヶ月後に控えていたのですが、そんな話は一切していませんでした。
例のごとく、自分のことは一切話さず、生年月日を伝え「金運は?」と言っただけです。
海外へ行くことを当てられただけでなく、結果としてそこで知り合った現在の外国人夫と結婚し、平穏な日々を過ごしているというのもその占いの結果通りです。
まさに大当たりでした。
当時の占い鑑定料の相場は3000円くらいであったと記憶していますが、その占い師さんは500円でした。占いとは値段ではないようです。。。
夢占い
占いといっても様々な占いがありますが、その中でも割と身近なのが夢占いです。
私は爆睡体質のせいか、普段はあまり夢を見ないのですが、そのせいか時折色濃い夢などを見ると気になって仕方ないことがあります。
起きてからもずっと、一日中その夢が身体中にまとわりついているような感じで、なんとも落ち着かないのです。
また繰り返し見る夢も気になります。同じ場所、同じ景色、同じ自分、そして同じことが起こる夢。
なにか心に癖があるのかしら?自覚しないトラウマでも抱えているの?
そう自分の頭が大丈夫かしら?と思うこともあります。
それ以外にも、初夢や印象深い数字の夢などを見たときは「宝クジにでも当たるかしら⁉︎」と、欲をかきまくって、思わず夢占いサイトを覗いてしまうこともあります。
しかし、これが当たった試しがありません。
件の数字の夢も宝クジ売り場へ走るも、いつも決まって玉砕。
他の夢も同様です。例えば金運。よく蛇やカエルの夢は金運上昇、大きな財運が転がり込んでくる!などと言われますが、蛇が出てくる夢を見ても私のお財布の中は変わりません(笑)
夢占いが当たるとしたら、私は今頃億万長者になっていることでしょう!
ということで、夢占いに関しては「当たらない!」と、声を大にして言いたいのです!(私が欲深いせいでしょうか。。。笑)
などと言いながらも、夢占いって見ていて割と面白かったりします。心理状態なども絡めて深く掘り下げていけば、もしかして違ったものが見えるか?なんて思うこともあります。
占いとの付き合い方
「当たるも八卦当たらぬも八卦」
占いとは、まさにそういうものであると、私は理解しています。
迷った時や悩んでいる時など、自分の頭だけではどうにも決心や判断がつかないなんてこともあります。
そんな時に占いに頼る人もいますが、それは悪いことではないと思っています。
どうにも出口が見えず、相談する人もおらず、藁をも掴む思いで占いに望みをかける人もいるでしょう。
しかし、先にも述べたように占いとは、当たることもあれば当たらないこともある。そんなものなのです。
結局のところ、自分の人生にとって大切な決断は自分の奥底にある気持ちと相談していくしかないのです。それでもしも物事が上手くいかなかったとしても、それは自分の責任だと事実を受けいれることができます。
私は占いを信じません。
行き詰まったときは、占いよりも自分の第六感に頼るようにしています。どんなに考えても答えが出ないことはあるものです。そんな時は、五感をフルに使って右か左か感で進むようにしています。
人間の感とはあなどれないもので、私はいつもこれで窮地をしのいできました(笑)
占いはエンタメとして、良い結果が出た時のみ信じて、それを励みに頑張るなど、楽しみながら付き合うのが一番です!
新しい年がどんな年になるかは、占いが決めるのではなく、私が決めます!