専業主婦という生き物

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ゾロ目の1111の意味と思い込みの効果。運がいいとか感がいいとか、漠然に頼りイキる中年女のポジティブシンキング。

新しい年を迎え、初詣などでおみくじを引いたりと何かと運試しの機会がある新年です。
元旦早々にゾロ目を目にして、何やら今年はとんでもなくラッキーな年になるかも!? などと相変わらずポジティブな解釈をしていますが、これは毎度のこと。。。

実際にそんなことに意味はあるのかないのか、ずいぶん前にそのような運に関することを真剣に考えたりしたことがありました。




ゾロ目

ぞろ目(ぞろめ、揃目、ゾロ目とも表記される)とは、2個のサイコロを振った時に同じ数字(目)が出ること。そこから転じて、2桁以上の数列が全て同じ数字で構成されていること。

by Wikipedia


目覚めていつものようにコーヒーを淹れホッと一息つき、キッチンカウンターのデジタル時計を見ると「4:44am」。


スーパーで買い忘れたものがあったので、途中で寄ったコンビニでまた必要のないものを買ってしまったわと思った時のお会計が「 ¥1,111」。


外出から戻り、ああ疲れたとしばしソファに寝転びニュースを観ていたが、そろそろ晩御飯の支度をしなくちゃと起き上がり、テレビに目を向けると「4:44 pm」。


ああ、今夜も夜更かしをしてしまった。。。と思っていたら、外国人夫が帰ってきた。今夜は早いわねと時計を見ると「11:11pm」。


ふとした時に、こんなゾロ目が目に飛び込んできます。

ここにあげたのはほんの一例で、私にとってもっとも出現率の高い数字「1」と「4」は頻繁に現れる数字です。他にも5555や8888なども時折あります。
何故かラッキーとされる「777」は出ません。きっとギャンブラーではないからでしょう(笑)

よくある偶然

1日に何度もゾロ目を目にすことに気づいたのはいつだったでしょうか。
多分、2年くらい前だったように記憶しています。
それは自分でも時に不自然に思うほど、日に何度も何度も、それこそ数字を見るたびにゾロ目を目にするという日があるくらいでした。

あまりの頻度にこれはなんなの?とさすがに気味悪くなったり、これは神が私に何かしらのサインを送っているのではないかしら?などと大げさに考えて宝くじを買いに走ったり、そこに何か特別な意味を見つけようとしてきました。

ネットなどで調べたこともあります。
そこには「エンジェルナンバー」「ハイヤーセルフ」などという、アニメの中でフリフリのワンピースを着て戦う美少女戦士のような名前が飛び交っていました。
そして「あなたは天使に見守られています」とかなんとか、もう何もかもが上手くいっちゃうわよ!といったことが書かれていたりするのです。

これはもしかしたら選ばれし人間になっちゃったとか⁉︎ と、ひと時期待に胸を膨らませるものの、聞けばそのような人は周りにごまんといることがわかったのです。。。

以前、私が専業主婦ランチの席で、よくゾロ目を見るという話をした時、そこにいた全員が「私も!」というではありませんか。
そこで、以降出会う人に尋ねてみると、ものすごい高確率で皆さんゾロ目との遭遇を語ってくれたのでした。

こう言っては浪漫も何もありませんが、つまり特別でもなんでもなく、ただのよくある偶然みたいです。




思い込みの効果

「自分は強運の持ち主だ!」
そう思っている人もゾロ目と同じく、なにやら自分が特別な能力でも持っているかのように思っているものです。

そもそも自分は運の強い人間であると思っている人は、どんな出来事も前向きに捉える傾向にあります。
どう見ても不幸だと思われるようなことにも、自分なりに良い解釈をして自分をラッキーパーソンにしてしまうのです。

例えば、我が家の外国人夫が以前交通事故に遭った際、結構な怪我を負いました。しかし、それに対して外国人夫は「この程度の怪我で済んで、本当に運が良かった!」と言います。
私もまた「運が強い男だわ。。。」と思ったものです。

完全なる貰い事故で、本来であれば「なんと運の悪い。。。」と思うのが普通です。実際に沢山の人から「災難だっわね」「運が悪かったのね」などと言われたものです。
しかし本人は全くそう思っていません。
この時、運の良し悪しとは、自分で決定できるものなのではないかしら?と気づいたのでした。

常々、自分は「運がいい」と言っている人は、自分で自分を幸運の人にしているだけなのです。
そして、不思議とそんな人の周りには同じような人が集まり、超ポジティブワールドを作り、「私たちはとても運がいい。そのせいでとても幸せに暮らせているわ」と思わせてくれるのです。
それが仮に錯覚というものであったとしても、本人が幸せなら問題はありません。「笑う門には福来る」という諺がありますが、まさに笑って幸運だと思っていれば、全ては福となるということなのかもしれません。

感がいいということ

運がいい同様に、

「私は感がいい!」

「感に助けられて生きてきた」

これもよく聞くセリフです。私も年がら年中そんなことを言っています(笑)

しかし、これとて特別なことではありません。そもそも、感などというものは誰しもが持っている能力です。
問題は意識の違いだけといえましょう。

一瞬の閃きがそれまでの経験に色付けされることで、より確かなものになるということで、侮れないものだと私自身も思ってはいますが、それとて百発百中ではありません。千里眼でもあるまいし、なにもかも分かるわけがないのです。

当然のことながら、「感」任せだけでは生きてはいけません。
それでもなお、感に頼って生きている!と言うのは、自分は感がいいと心底信じ込んでいるからです。

普段から「感」というものを信じ、それを意識するという行為は、知らずにあらゆることを観察しているとも言えます。
そこには「感」以外の要素も含まれているはずなのです。しかし、それを何が特別な能力であるかのように思い込もうとします。

「感」を研ぎ澄ますという行為は、気持ちをまっさらにして、フラットな目で物事を見てこそ閃くものです。
私は感がいい!と思っている人は、日頃から無意識にそのような鍛錬をしているからこそ、いざという時に「これ!」という内なる声が聞こえるということなのです。
逆に「私って感が鈍いから」と言っている人は、持っている能力を置き去りにしているため、ただ錆びついてしまっているだけなのです。

誰でも意識することによってその感覚は研磨され、「感のいい人」になれるものだと私は思っています。

ポジティブシンキング

いずれにしても、とってもポジティブです。我々の年代(アラフィフ)にはこんな人が多くいます。
やってできないことなどないのよ!と大風呂敷を広げ、お立ち台さながらその上で踊り狂っているような中年です。
子供達などに言わせると、「イキってる」(調子に乗ったり、えらぶっている様子)らしいです(笑)

いつも何かしていなければ気がすまない、目新しいものを追いかけ、面白そうなことがあれば、やらなきゃ損とばかりに飛びつく。
自分の感情や欲望を余すとこなくさらけだし、大きな声で笑ったり、派手な喧嘩をしたりと、そんな忙しないパッションな時代を生きてきた中年。

今の子からすると、そんな中年女のパッションはウザイらしいです。
私もいつも子供達からそう言われています。。。

しかし、子供達の言うことも分かるような気がします。
すっかりコタツ猫のような生活に落ち着いた私も、お友達が未だに夜の街で派手に遊んでいるのを見ると、「あらあら、お元気だわね。。。」と思うくらいです。

自分が好きで遊んでいる人はいいのですが、

「あなた、夜遊びもせず、老人みたいに早寝早起きしてなにが楽しいの⁉︎」

「アラフィフだってまだまだこれからよ!」

「たまには酔って騒ぎましょうよ!」

そんな風に、事あるごとに連れ出そうとするパッション中年は、はっきり言って「ウザイ」です(笑)

しかし、アラフィフは本当にこんな人が多いのです(私の周りだけでしょうか?)。
若さも美しさも、そして体力もとうの昔に失われたにも関わらず、まだ気持ちは20代というポジティブさといったら!
まさにイキっています(笑)

そうなのです。このイキリこそが「運がいい!」とか「感がいい!」などと豪語する根底にあるのです。



私はまだなにかできるはず!

私の人生、まだまだ輝くはずよ!

そう思うためには、なにか人と違う力を持っている必要があるのです。
運がいいとか感がいいというのは、その基準が非常に漠然としています。数字で表れるようなものでもないことから、これ!というものを自他に認めさせる必要のない領域とも言えましょう。
つまり、何者でもない、また何も持っていない自分を納得させるにはとっても都合のいい材料というわけです。

だからこそ、我々中年女は「私って運がいいの!」「今日もまたゾロ目見ちゃったわよ」などと、自分を安心させる材料を誇示するのです!

「ゾロ目。。。ゾロ目。。。」と、たかが数字を見ただけで、妙に何かを期待したくなってしまうコタツ猫の私も、まだまだ第二の青春を謳歌しようという気持ちがどこかに残っているということなのでしょうか。。。

今日、買い物をした時のお会計が ¥1,111 だったので、ちょっとそんなことを考えたコタツ猫なのでした。