もうすぐバレンタインデーです。
美味しそうなチョコレートがそこかしこに並んでいる様子を見るのは、なんだかワクワクと心が弾みます。
しかし、私は昔からイベントごとには無頓着でした。今もそれは変わりません。
子供がいるからこそ、四季の行事などイベントの日は人並みに特別なお料理を作ったり、それなりのことをしていますが、もしも夫婦二人、もしくは自分だけであったら、なにもせずに普通に暮らしていたでしょう。
誕生日も結婚記念日も特別な一日ではありません。昨日となんら変わりのない一日であると思っています。
プレゼントもおめでとうの言葉もいりません。
お正月にちょっと贅沢なものを食べるのも、家族をねぎらうためであり、私にとっては「お正月だから」というよりも「お正月にかこつけて」美味しいものを食べるといった感じです。
知り合った当初は外国人夫もそんな私に物足りなさを感じていたようでした。
誕生日やバレンタインデーにバラの花束を抱えてきても、あまり嬉しそうにしないどころか、「私は花より団子なのよね。。。」などと呟く可愛げのない女の子だったからです。
そういった意味では、大変申し訳ないことを。。。と私なりに思ったりもしているのですけれど。。。
記念日を大切にするはよいことだと思います。そうした機会に愛情を確認し合ったり、共にお祝いをしたり、人間関係をよりよいものにする一助になるでしょう。
しかし考えようによっては、特別な日がないということは、一年365日、毎日が特別な日であるとも言えます。
自分が「今日はご馳走を食べよう!」そう思った時はたとえ特別な日でなくても、朝から腕によりをかけて作ります。
「今日はなんのお祝いだ?」
昔はよく外国人夫からそう尋ねられたものです。
「別になにも。ただ食べたいからよ」
そんな会話をよくしていたものですが、今では外国人夫もすっかり慣れたのか、「ラッキー!」とばかりに食べています(笑)
食べ物だけでなく、ちょっと素敵なものを見つけたら、プレゼント用に包装してもらい「プレゼントよ!」とそれを渡したり、自分の気分次第で普通の日に特別なことをしたりすることもあります。
よく、「親孝行したいときに、親はなし」などと言いますが、親に限らず誰もが明日をも知れない今を生きています。
次の父の日、母の日には特別なことをしてあげようと思っていても、その時に親が生きている保証はありません。
私は父が亡くなる前、「次女の七五三まで生きていられるかなぁ」と呟いていたのを聞いて、一目でもその姿を見せてあげたいと10月を待たずに半年前倒しにして七五三をやりました。
父は「ずいぶんと早くないかい?」と笑っていましたが、とても嬉しそうでした。
伝統や習慣を重じることは私も大切だと思っています。それでも一番大切なのは今生きている自分達だと考えています。
身近な人を亡くした時に一番後悔が残るのは、やってあげたかったことをやってあげられなかった時だと、私は経験から学びました。
そして自分自身も。。。
大きな病気をした時、5年後果たして自分は生きているのか?
そう考えました。
自分の人生を好きに生きてきて、やりたいと思ったこともやってきたし、まあまあの人生だったなぁ。
後悔はないんじゃないかしら。。。
そう思ったものです。
もしも「あれもしたかった」「これもしたかった」と後悔するようなことがあったとしたら、きっとものすごく悲しい思いをしていたでしょう。
奇跡的にというか、あれから7年、幸運にも私はまだ生きています。
あの頃よりももっと健康になって(笑)
たとえ病気をしていなくても、明日をも知れない毎日を生きていることには変わりません。それは誰もが同じです。
だからこそイベントなど記念日にこだわることなく、毎日が特別な日と思ってやりたいこと、出来ることを全力でやりたい!と思うのです。
人は怠惰な生き物ですから、時には全力投球できないこともあります。私とて、すぐに「これからお昼寝でもしようかしら?」などといつも思っているくらいです(笑)
それでも、とにかく毎日一生懸命に楽しみ、生きること。
そう自分に言い聞かせることは忘れないようにしています。