お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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国際結婚してよかったこともある。変化に富んだ生活が自分の世界を広げてくれたこと。

最近どんな心境の変化か、休みの日などには家事を手伝うようになった外国人夫。
なにか悪い企みでもしているのか、はたまた更年期か?(笑)
理由はわかりませんが、こちらにとってなんら不都合はなく、むしろありがたいくらいです。

普段から、

「国際結婚なんて面倒なことだらけ」

「外国人男性の優しさなどまやかし。」

「今度生まれ変わった時は、絶対に日本人男性と一緒になるわ!」

そんなことばかり言っていますが、相手が優しくなれば、こちらの気持ちも解けてくるのは当然のこと。

国際結婚も悪いことばかりではなかったわ。。。良いこともあるのよね。
などと今更ながらに思い、これは国際結婚しなければ感じることはなかっただろうなぁ。。。と、感謝の気持ちを持つこともあります。

(これは日本で暮らしている国際結婚ファミリーの話なので、海外で暮らしている人などはまた違った考えとなるかもしれません。)





人間関係の多様性

日本の中の外国人社会、とりわけ何十年も日本に在住している外国人のコミュニティは非常に狭く、そのぶん密接な関係が築かれています。

同じ国の人間はもちろんのこと、国籍問わず「日本の中の外国人」として、多様な人間関係が形成されています。

マイノリティーだからこそなのか、情報の共有はもちろん、時にビジネスシーンにおいても相互扶助が行われることが珍しくありません。

我が家の外国人夫もビジネス、プライベート問わず、様々な国籍の友人知人がいます。
それは時に夫だけの人間関係に留まらず、パートナーとして私にもそんなコミュニティに参加する場面が度々あったりします。

そこでは普通なら知り合えなかったような人との出会いが多々あります。
面倒だと思うことも多いのが正直な気持ちですが、自分とはまったく接点のない人達との一期一会は貴重な出会いとも言え、国際結婚したからこその環境であるといえます。

世界が近くなる

日本で暮らし、日本人とだけ付き合っていた頃は、まさに「外国」とは得体の知れない面白くも怖い場所。そんなイメージがありました。
今は違うかも知れませんが、30年前の日本では海外へ出て行く若者は今ほどは多くはなかったので、外国は遠い場所でした。

たとえどんなに海外旅行をしようと、旅行で行く外国、また旅行者として出会う人たちは、実際にその地で暮らしたり生活を共にするとなると全くの別もの。本当の意味での外国や外国人というものを理解するにはただの海外旅行ではなかなか難しいものです。

国際結婚とはまさに「外国人」と共に生活をすることです。そこでは陽気で親切な外国人の姿ばかりではありません。
文化の違いという観点で語られるように、それはそれは難しい問題が次から次へと出てきます。

一方で、実際にそんな異国の地から来た人と一緒に暮らしてみれば、「どこの国の人も、結局は同じ人間なのだわ」と、思うこともあります。
もちろん文化や習慣の違いは小さなものではありませんが、基本的に人間としての営みはどこの国の人も同じなのです。

海の向こうの国も、仰々しくパスポートなどを携え、面倒な入国審査などがあるからこそ「おお!外国だわ」となるだけで、実際に日本を出てみれば、そこでは普通にみんなが暮らしている場所なのです。
私は海外に出ると必ず朝のカフェで街を眺めるのですが、どこの国も朝は通勤で急ぐ人がいて、開店準備を始める商店がありと、同じような景色を目にします。




言葉にする

日本には「忖度」という言葉があります。他人の心情を察して、配慮するという行為です。

これは外国人にはほぼないことです。彼らは良かれ悪かれなんでも直接言葉にしようとします。
私もよく「それくらいわからない?察してよ!」と思うことが多々あり、何でもかんでも主張しなければならないことに辟易とすることもあります。
しかし、悪いことばかりではありません。相手に対して言いたいことがある時など、お腹の中に溜め込まず、たとえ家の中がひっくり返るかと思うほどの大喧嘩になったとしても、自分の思いを相手にぶつけることが出来るため、ストレスが溜まりません。

喧嘩といえば言葉は悪いのですが、よく言えばそれはコミュニケーションが取れているということです。
相手にどうして欲しいか、自分がどうしたいのか、遠慮なく話し合えるのは気分の良いものです。

これはなんでも白か黒か決着をつけたいという私の性格のせいかもしれませんが、外国人夫のストレートさがあるからこそ、自分も遠慮なく好きなことが言えるのだと思っています。

お互いに相手に不満を抱えながら、黙って冷たい関係を続けているくらいなら、派手に喧嘩をして解決の道を探る方がよほど楽なことです。
その点でいえば、何でもかんでも口にし、主張してくる外国人とだからこそ、私は結婚生活を継続することができているような気がします。

子供の存在

そして何よりも、私にとっては娘達の存在は、この外国人夫なくしては授かれなかったものであると思っています。

親バカではありますが、私の遺伝子だけではここまでのルックスは望めなかったであろう二人の美しい娘達を見ていると、これも国際結婚だったからこそであると思うのです。

昔、イギリス人と結婚した森瑤子(故人)さんという作家がいました。
あるエッセイで彼女が書いていたのは、
「娘と歩いていると、通り過ぎる男性の視線が全て娘に注がれている。かつては自分に向かっていた視線が、いまは全て娘のものである」
そんな内容だったと記憶しています。

当時若かった私にはよくわかりませんでしたが、この心情がいまはよくわかります。

娘と一緒にいると、通り過ぎる人の視線が自分を飛び越して娘に注がれるのです。
これはとても複雑な心境になるものです。もはや自分は透明人間?と思うほどあからさまな人々の視線。。。
若さを失った自分への諦めと共に感じるのは、美しく成長した娘への誇らしさでもあります。

外国人というだけで人は特別な目で近づいてくる人もいますが、美しい花にも様々なものが寄ってきます。その恩恵で私の人間関係は広がり、様々な新しい経験をさせてもらってきました。外国人夫のみならず、子供たちのおかげでさらに私の世界は広がりました。




変化に富んだ人生

考えれば、きっと国際結婚にもさまざまなメリットと呼べるものがあるのでしょう。
なかなか細かいところまでは思いつかないのですが、やはり一番よかったと思うことは、さまざまな経験が出来たという点に尽きます。

そもそも若くして自分の国を出て、よその国で暮らそうという人は、たとえ外国人であっても好奇心旺盛であり、なんでも面白いことには飛びつくという人が多いもの。

我が家の外国人夫も然り、どこか根無し草的な生き方が根底にあるのか、安定よりも刹那的に面白い生き方を選択するようなところがあります。

仕事にしても、我が家の外国人夫はこれまでに色々な職種を経験し、勤める会社もいくつも変わっています。
もうアラフィフにもなろうというのに、いまだに声がかかればヘッドハンターなどとのミーティングにいそいそと出かけ、虎視眈々と次の「面白そうなこと」を狙っています。

ここ5年くらいは割と安定して暮らせていますが、それまではとにかくいきなり発作のようにガラリと生活が変わるようなことをしてくれるので、住む場所も転々、経済状況も天から地へ、地から天へとコロコロ変わり、まるでジェットコースターにでも乗っているようでした。

それまで築いてきた生活をガラリと変え、新しい環境で一からやり直す。
ただ聞くだけなら、なんだか面白そう!
リセットできてリフレッシュ!
などと思いますが、そんなことばかり繰り返していれば、次第に疲れてもきます。
ましてや子供でもいれば、学校の問題など、やすやすと環境を変えるわけにもいかないこともあります。

それでも振り返ってみれば、外国人夫と一緒に過ごしてきたおかげで、さらに色濃い人生を送ってこられたのだと思います。
格好よく言ってしまえば、「視野が広がった」とでも言うのでしょうか。
悪く言えば、「カオスな人生」とも言えますが(笑)

人はどんな人と出会うか、どんな人と共に過ごすかで大きくその人生は変わります。
そう考えると、外国人夫と知り合い、共に過ごしてきたこの30年近い年月は、なかなか面白いものであったと思います。

国際結婚だからこその苦労は山ほどあります。むしろデメリットの方が多いのでは?と思うくらいですが、良いこともまたあるものです。





他の人と同じように生きていくことが嫌で、何事にも天邪鬼ぶりを発揮し、あえて逆の道を行くことを好んだ若かりし頃の自分にとって、外国人夫のもたらしたジェットコースター人生は自ら望んだことだったのでしょう。
そのおかげで、後悔のない面白い人生を生きてこられたのもまた事実。

そんな感謝の念を忘れず、悪態はほどほどにしたいと思ったのでした。