最近、Twitterでトレンド入りした「ポテトサラダ」。
幼児を連れたある母親が、スーパーの惣菜コーナーでポテトサラダを手にしたところ、見ず知らずの高齢男性から
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」
とかなんとか言われているのを見かけたというお話です。
面白いですね。
こういう話を聞くたびに、なぜ見ず知らずの他人の生活にそこまで干渉できるのか、そのお爺さんがどんな方であったのか興味がわきます。
小うるさい姑かという当たり前の想像を越え、もしかしたら鬼嫁に頭が上がらず、家での鬱憤をよそのお嫁さんで晴らしているようなお爺さんかも。。。なんて想像までしてしまいます。
私はこうした方にはお会いしたことがありませんが、もし言われたら「あなたが私のごはんに口出しするのはどうしてかしら?」また「母親だから手作りしなきゃいけないのはどうして?」などと、まるで「どして坊や」(なんでも、どうして?と聞く子)のように面倒くさい女になってしまうでしょう(笑)
ポテトサラダに関しては、私も断然手作り派です。これは市販のもので好みに合うものがなかなか見つからないせいでもあります。
完璧ではないにしても、好みに近いポテトサラダをお惣菜として出しているお店もあるので、そこへいった時だけは迷わず買いますが、基本的にはカロリー度外視のマヨたっぷり、そして他の人が食べられないくらいお酢やレモン汁を入れた酸っぱ過ぎるポテトサラダを作ります。
市販ではなかなかありません。あれば面倒なので作らず買います(笑)
ポテトサラダ爺さんは、ご自身で作ったことがあるのかどうかわかりませんが、ポテトサラダって割と手がかかるのです。
ポテトを茹でたり、冷ましたり、野菜やハムを切ったりなんだり。。。
難しくはないけれど、割と手間も時間もかかるのです。
ほんの少量なら、買ってしまった方がコスパもいいくらいです。
メインの他にちょこっともう一品あればという時や、ちょっとした付け合わせにポテトサラダをなんて時には、もうお惣菜で十分です。
「時は金なり」ではありませんが、時間をうまくやりくりすることも、賢く生きるために必要なことです。
私のような暇な中年の専業主婦でさえ、余計な手間や時間はなるべく省いて生活しています。
何を最優先するかは、その家庭により違います。他人には分からないことです。
にも関わらず、人様の食卓にまでとやかく言うとは、勘違いも甚だしいとしか言えません。
自戒の念をこめて言わせてもらうなら、歳をとり色々な経験をしてくると、自分が立派な大人になったように勘違いしてしまうことがあります。その挙げ句、自分の経験談を並べて、こうした方がいい、こうすれば大丈夫などと、無責任なことを言ってしまうのです。
しかし、自分はそれで上手く通ってきた道だとしても、すべての人に通用するわけではありません。
こうすれば上手くいくなどというのは、人の人生においては通用しません。
個人の経験はあくまで個人のもの。人はそれぞれ生まれ育った環境も違えば、現在のあり方も千差万別です。
それが、どうして個人の経験をもとにした意見が正しいと言えるでしょうか。
人の経験はあくまでも自分ではない違う人間の経験であり、それは参考になることもあるかもしれませんが、エピソードの一つくらいに考えて聞いた方がいいと私は思っています。
子育てなども然りで、育児本の通りに子供を育てれば立派に成長してくれるでしょうか?
子育ての先輩の言う通りにすれば、良い子に育ってくれるのでしょうか?
もしそうならば、子育てに悩む人はいません。
他人に相談すれば気持ちが多少は軽くなるとは思いますが、根本的な解決にはなりません。
最後は自分で考えて、自分とってより良い解決法を導き出し、実践していくことしかありません。そこで失敗したらまたやり直しですが、そうやって何度も諦めずにトライしていけば、何かしらの出口に辿り着けるかもしれません。
人や人の言葉に頼るほど不安なことはありません。
人は誰しも自分の物差しで物事を測るものです。そして何よりも、自分のことを一番に考えます。
つまり、自分にとって一番信頼できるのは、自分自身に他ならないということ。
ご意見はちょうだいするけれど、アドバイスは聞きません。
私はずっとそんな気持ちで生きてきました。
人を信頼しましょう
人との絆を大切にしましょう
人に頼りましょう
いまは、そんな声が多く聞かれます。
実際に全ての人がそんな気持ちでいれば、素晴らしい社会になるだろうと思います。
しかし、世の中は善人ばかりではありません。いいえ、善人とてまずは自分の暮らしが一番なのです。
どんなに耳に優しい言葉をくれる人でも、実際に困っている人を助けるかと言えば、何にもしない人がほとんどです。
口は出すけれど手は出さない。安全な場所から優しい言葉をかけるだけで、ほとんどは一緒に泥を被ろうという気持ちはありません。共感して励まして、自己満足完結です。
それが悪いということではないのです。人はみんな自分ありきで生きているので、それが当たり前なのです。
ポテトサラダ爺さんも同じです。きっと「子供のためにも手作りのものを食べさせてやれ!」と、そんなことから悪態をついたのではないでしょうか。
口は出しても手は出さないという点では、優しいことを言う人も、ポテトサラダ爺さんも同じです。
これは人を信用するなということではなく、人よりもまずは自分を信じましょうということです。
そうすれば、どこでどんなことを言われても傷つくことはありません。
世の中、意地悪な人や、自分の不満の捌け口を他人に向ける人など、ネガティブな感情を抱いて生きている人もいます。
自分に自信が持てないと、そんな悪意の被害者になり得ることもあります。
ポテトサラダなんて、作りたければ作ればいいし、面倒ならお惣菜を買えばいいのです。
ポテトサラダだけでなく、コロッケでもメンチでも春巻きでもアジフライでも、食べたいものを買えばいいのです。
そこにポテトサラダ爺さんのような人が現れたとしても、それがなんなのでしょう?
自分が作りたいか、作りたくないか、自分が納得していれば、どちらでもいいこと。
いつの時代も人をイラつかせるようなことをわざわざ言ってくる人がいますが、今はSNSなどネットでもそんな話をよく耳に、目にするようになりました。
Twitterでトレンドに上がるほどのことだから何かと思えば、余計なお節介をするポテトサラダ爺さんのお話だったなんて。。。
面白い反面、あれもこれも情報がいっぱいで、面倒くさい世の中になったものだわ。。。と、昭和の人間は思うのです。
散々あーだこーだと言っておきながら、きっとポテトサラダ爺さんも、自分がトレンド入りしているだなんて、知らないのだろうなと思ったら、騒ぐほどのことでもないか。。。そう思ったのでした。