お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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白金高輪『GAZTA(ガスタ)』のバスクチーズケーキ を食べながら、サンセバスチャンでの旅を思い出す。

先日、白金高輪にオープンしたバスクチーズケーキ の専門店『GAZTA(ガスタ)』へ行って参りました。

バスク、サンセバスチャンと言えば私にとってとても思い出深い場所の一つです。

今から30年近く前にお友達を訪ねて旅をした土地です。
当時、日本人にとって「バスク地方」はほとんど馴染みのない場所でした。私もお友達がいなければ知りもしなかったようなところで、なんの期待もなくお友達に会いに行ったのですが、それはそれはあまりに素敵なところで感動したものです。

それは雑誌などで見るヨーロッパの可愛い田舎町といった感じて、その街並みの美しさを今でも鮮明に思い出すことができます。

訪れたのはちょうど夏。ヨーロッパから多くの観光客がバカンスを楽しむために滞在していましたが、当時は日本人観光客などほとんどいなかったのでしょう。あちらこちらで物珍しくガン見されたり話しかけられたりしたものです。
そこに住む人たちはとてもフレンドリーで、どこへ行っても親切にして頂き、本当に楽しい思い出がいっぱい出来た街でした。

そんな素敵な街からやってきたチーズケーキなら食べないわけにはいきません。

サンセバスチャン滞在中は、毎日昼に夜にとあちこちのバルをハシゴしていたので、どこで何を食べたのか思い出せません。そもそも30年近く前のことなので、ただただ何を食べても物珍しく「美味しい!」と、そんな記憶しかないのです。

最近、ネットのレシピサイトなどで「バスクチーズケーキ」を時折見かけ、その度に果たして私は食べたのかしら?と思い出そうとするのですが、まったく記憶は戻りません(笑)

もしかしたら、食べてみれば思い出すかも⁉︎
そう思って、『LA VINA(ラ・ヴィーニャ)』直伝だというバスクチーズケーキ を食べてみよう!と思ったのです。




それが『GAZTA(ガスタ)』です。
場所は白金高輪、「ガトーバスク」「マカロンバクス」などで知られる『maison d'Ahni(メゾン・ダーニ)』のすぐ近くにあります。

朝は9時からオープンしていて、都心のお店としては早い開店なのが嬉しいところ。

話題のお店なので、沢山人がいるかしら?と思ったのですが、まだ大丈夫でした。

店舗は人が3人も入ればいっぱいになってしまうようなこじんまりとしたもので、ショーケースの中に沢山のバスクチーズケーキ が並んでいました。
サイズは2種類で、私は小さな方を4つ購入してみました。

小サイズ (約8センチ)¥700
大サイズ (約15センチ)¥4000
(ともに税別)

4個入りの箱もありますが、私はコンパクトに持ち歩きたかったので、あえて2個入りの箱二つに分けてもらいました。

かなりしっかりとした箱入りなので、持ち運ぶ際も安心です。
包装もかなりおしゃれに、丁寧にされています。

持ち運びは常温で、帰宅したら冷蔵庫で保存してくださいとのことでしたが、中には保冷剤が入っていました。


こちらの小さなサイズ、直径8センチほどですが、かなりの重量感があります。2人で分けて食べてもいいくらいのボリュームはありそうです。


箱の中にある説明書きに、「冷蔵庫から出して10分程常温に戻してからお召し上がりください」とあります。
常温の方がチーズの風味と食感がより堪能できるとのことです。

一口食べてみて、普通のベークドチーズケーキに比べて軽い?と思ったのですが、実はかなり濃厚です。最初に思った通り、半分で十分に満足できるくらいのテイストと量でした。

お味はチーズと卵の風味が強く、素朴なお味という印象を受けました。
食感も硬くもなく柔らかくもなく、いい塩梅でとっても美味しかったです。

これは間違いなく、定番のチーズケーキになるわ!

何十年後にも変わらず食べられる定番スイーツになって欲しいと強く思いました!
それくらい美味しくて、気に入ったということです(笑)

こちら常温のまま、頂いたもの。



冷蔵庫で一度冷やしたもの。


見分けつきませんね(笑)
見た目は同じなのですが、やっぱりお勧め通り、常温で頂いた方が風味がより楽しめて美味しかったです。

gazta.jp


実際にバスクチーズケーキ を食べてみましたが、やはり30年前の記憶は戻りません。
食べたことがあるのか?ないのか?それすらわかりません(笑)

しかしサンセバスチャンのバルで食べたものはどれも美味しくて、それだけはしっかり記憶に残っています。

機会があれば、また訪れたい街の一つです。その際は、バスクの食を存分に楽しめたらと思いながら、チーズケーキを完食したのでした。

ちなみに以前、下記のような記事を書いたのですが、その時のスペインでのエピソードは、このサンセバスチャンでの出来事なのでした。

www.hw-frankie.com
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夏の作り置きおかず『ラタトゥイユ』。メインに付け合わせ、パンのお供にとなんでもOKの便利な一品。

私は常備菜というものが苦手で、通常は一食一食食べきれる量しか作りません。
しかし、ごくごくたまにたくさん作りちょこちょこと使いまわして食べるおかずがあります。

それが『ラタトゥイユ』です。
簡単でシンプルな割には味わい深く、バゲットのお供に、また肉料理の付け合せに、またそのままパクパク食べても美味しいという、とっても便利なおかずなのです。
冬に熱々のものを食べることもありますが、作るのは断然夏野菜の美味しい季節の方が多く、暑くなってくると「そろそろラタトゥイユでも食べたいわね〜」と思うのです。




ラタトゥイユとは野菜の炒め煮といいますか、炒めた野菜をトマトで煮込むおフランスのお料理です。
おフランス料理というと「なんとかポワソン」やら「なんとかヴォー」となにやら特別な材料や調味料が必要なことも多いものですが、こちらは至ってシンプル。
どこの家庭にもあるもので簡単にできてしまいます。

材料

ズッキーニ 2本
ナス 2本
パプリカ 1個
玉ねぎ 1個
トマト缶 1缶
ニンニク 一欠片

オリーブオイル 多目
ローリエ 2、3枚
タイム 少々
塩 お好み

様々なレシピを見ると、それぞれの野菜の量を同程度にしているものが多いのですが、私はいつもズッキーニとナスは倍量にしています。
味のバランスが。。。などというのはプロにお任せで、私は自分の好きなトロトロ感にこだわってます。

作り方

①鍋に潰したニンニクと多目のオリーブオイルを入れておきます(火はまだつけない)。

②野菜をサイコロ一回り大きめのくらいにカットします。

③用意しておいた鍋に火を入れ、カットした玉ねぎを炒めます。
この時、焦がさないようにゆっくりと、野菜から水分が出てくるように丁寧に炒めます。

④玉ねぎがしんなりとしたらパプリカを炒め、最後にズッキーニとナスを炒めます。


⑤最後にトマト缶を投入。ローリエ、タイム、塩を加えて、20分ほどコトコト煮込みます。
ハーブ類は家に常備してある乾燥ハーブを使っちゃってます。


◉はい。お野菜がトロトロになりました。もうできあがり!


実食

家にたくさんのバゲットがあったので、薄くスライスし軽くトーストしたバゲットに冷たく冷やしたラタトゥイユをオンして食べました〜。



レシピというもの

ちまたには『ラタトゥイユ』のレシピは腐るほどあります。
材料も分量も人それぞれで、味付けもブイヨンやバルサミコを入れて煮るもの、また私のように塩だけなど、作る人によってレシピは違います。

料理って「これが正しい!」という正解はないと思っています。
私が一番心血注ぐのは、立派なものを作るのではなく、自分が「美味しい!」と思える味に仕上げることです。
なのでレシピなどは参考にしかしません。そこから繰り返し作ることで、自分好みの味(レシピ)を見つけるのがお料理の楽しさだと思っています。

本格的なものが食べたいときは、プロの作ったものを食べに行けばいいのです。そのかわり、自分で作るときは邪道であろうがなんだろうが気にせず、好きな味で料理を楽しむようにしています。

『ラタトゥイユ』も自分がどういう食べ方が好きか?それに合った味や作り方は?
そんな風に考えながら、これまで数えきれないほど作り、結局シンプルなレシピに落ち着きました。

焦がさない
ゆっくり火を入れて野菜の旨味を出す

気をつけているのはそれだけ。
あとは野菜、オリーブオイル、ハーブの力だけで充分美味しい『ラタトゥイユ』ができます。

結婚以外の幸せ。結婚はしないけど、独りじゃない人生を選択したアラフォー女性のお話。

先日、パーティーで出会った婚活アラフォー女子についての記事をアップしましたが、そのパーティーで、全く違う選択をしたアラフォー女子とも出会いました。

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年齢は40半ばのその女性は、結婚をしない人生を選択したといいます。
お相手はいるものの、結婚という形をとらずに添い遂げる道を選んだそうです。

お相手であるパートナーは彼女よりも一回り以上も年上の男性で、かれこれ10年の付き合いになるといいます。
当初からお互いに「結婚はするつもりない」「子供も持つつもりはない」と決めていたそうで、最初から結婚を視野に入れないお付き合いだったそうです。



現在、彼女はお相手の希望で仕事はしていないといいます。その代わりにプライベート秘書というのか、身の回りのお世話、といっても家事労働ではなく、主にお相手の社交活動のセッティングや同行をすることで経済的な面倒を見てもらっているそうです。
この日のパーティーもお相手男性のお付き合いで来ていると言っていました。
これは老人介護か?というくらいに、男性に寄り添いあれこれとお世話をする彼女。
「すべてはお金のため?」
意地悪な見方をすればそういうことになりますが、この女性はそれを否定します。

「一緒になってから人生が変わったの。自分には縁のないと思っていた華やかな場所に出入りして、これまで口にしなかったようなものを日々食べて、行ったことのない国を旅して、それまでの生活がなんだったの?というくらいに私の人生は激変したのよ」

それまで、男性運がすごぶる悪かったそうで、紐まがいの男のために働き、時には拳で殴られたりと、結婚はおろか男性に対しては希望が持てないような関係しか経験したことがなかったといいます。
それでも「自分が至らないせいだから」「自分は美しくないから、こんな生活も仕方ない」「お付き合いしてくれる男性がいるだけ幸せ」そんな風に思っていたといいます。
まるでドラマのようですが、本当にそう思い込んでいたといいます。
しかし現在のパートナーと出会ってから、それが間違っていたことを知ったそうです。
女性は大切にされるべき存在だと、初めて教えてくれたのがお相手の男性だったそうで、話を聞いている限り「恋」というよりは「尊敬」といった感情の方が強いように感じました。
それはそれで、よいパートナーシップなのでは?と思えましたが、難を言えばパートナーが彼女よりもずっと年上だという点でしょうか。老後を共にするのはおろか、末はお相手の介護を担う役割をする可能性もなきにしもあらずです。

ここで気になるのが、もしもこの男性と別れることになった時の事です。
仕事を持たない上、法的に財産贈与などの権利も当然ありません。
余計なお世話ですが、その辺のことも突っ込んでみました。

「その時は、長距離のトラック運転手かなんかになって、一人で生きていく!」

そんな答えが帰ってきました。

「自分で選んだ人生だから、どう転がっても自分で始末をつけるわよ」

なんとも力強いです。

私ならパートナーが元気なうちに、生涯経済的に困らないくらいの保証はしてよ!などと、何がしらのものを頂こうと、画策するでしょう(笑)
と、そんな言葉を発すると、「実はね。。。」と本音を漏らしました。
実際はすでに頂いているといいます。万が一、パートナーの男性と別れることになった時にも、経済的に困らない程度のものを。。。
仕事を辞めろと言われた時に、そのあたりの保証を取り付けたというわけです。しかも前払いで。
男に従順なだけの女性かと思いきや、案外しっかりした女性です。

こんなケースなら、無理矢理結婚を求めることもないわよねと、思わず納得しました。これは稀に見る運の良さといいますか、いいお相手に巡り会えたからと言えます。
実際はここまでうまい具合にはいかないでしょう。




なんの保証もなく、ただ男の子守だけならいくら愛情があっても不安です。
しょうもない男と結婚するくらいなら、生涯独りで自由を満喫した方がいいわよ!などと思っている私ですが、この女性を見ていると、ちょっと別のことも考えるようになりました。

結婚はしてもしなくてもどっちでもいいのですが、パートナーと呼べるような人がいてもいいのではないか?というものです。
それは彼女の言った「人生が変わった」という点です。
違う人と共に過ごすことで、これまで知らなかった世界を見たり、そこまで大袈裟なことでなくても、新しい趣味や楽しみを見つけるきっかけになるなど、一人では作れなかった人生を得ることができるのではないか?と考えたのです。

この女性の場合、パートナーが裕福であることが、大きなキーとなっているようですが、もしも女性にある程度の収入があるなら、お相手の年収1000万以上などと言わず、たとえ稼ぎは多くなくても真面目に働いていて、人としてまともな感覚を持った優しい人で、さらには共通の趣味なんかがあれば、それでいいではないかと思うのです。
お相手男性の年収がたとえ300万でも、自分に収入があれば生活は成り立ちます。

女だから家事をしろとか、男だから生活費を出せとか、そんなお約束など関係なく、お互いフェアな立場で共に人生を楽しむ相手。そして万が一どちらかが病気にでもなったりした時は、支えとなりできるサポートをし合えるパートナー。そんなのが理想ですが、これは都合が良すぎるのでしょうかね?

専業主婦の分際で言うのもなんですが、一生男のパンツを洗って暮らすくらいなら、こんなフェアな関係の方がよほど楽しいと思えます。

冒頭の女性に関しては、ちょっと特殊ケースとも言えますが、結婚することが全てではなく、まったく違う生き方によって幸せになることもできるのだなぁ。。。と思ったのでした。

最近、外国人夫と言葉が通じない。 年々難しくなる異言語コミュニケーションの理由。

最近、外国人夫と話が通じないと思うことが度々あります。
一体なんの話をしているのかすらわからない時があります。
「はぁ?」「はぁ?」「なに言ってんの?」そんな事ばかり口にしていると、ふと自分の英会話力が低下している⁉︎ と、日頃の勉強不足を反省したりしますが、よくよく考えてみると原因はそれだけではなさそうです。



言葉が通じない。。。

私が「なに言ってるのかわからないわよ!」とキレていると、すかさず二人の娘のどちらかが通訳に入ってきます。
「だから、ダディーが言ってるのは〜」と。。。
そこで、夫の話している言葉の単語や意味がわからないというわけではなく、なにを言わんとしているかがわからないということに気づくのです。
そこを娘が通訳するわけですが、これは私よりも娘たちの方が夫のことを理解しているということなのでしょう。

以前ならこういう事を話したいのだなとなんとなく雰囲気で察することができたので、どんな表現をされようが、どんなに言葉を省略されようが理解出来たものですが、人は変わるものです。その変化についていけなくなると、相手の言っている事すらわからなくなるといった事態が起きるようです。
しかし、何がどう変わったのか? 本人たちに自覚はありません。まるで雨だれが石に穴をあけるように少しづつその穴は大きくなっていったのでしょう。

その雨だれの一粒一粒はどんなものなのでしょうか。

相手の母国語を話そうとしない

結婚した当初は私が英語を話し、コミュニケーションをとっていましたが、日本在住期間が長くなると、さすがに夫も日本語が話せるようになってきます。
そこで本来の面倒くさがりが出て、日本語で通じるならその方が楽でいいわ!と、英語を話すことをしなくなりました。
相手も同じで、日本語を一生懸命お勉強していた頃は必死で日本語を話そうとしていましたが、ある程度不自由しなくなると途端にサボり始め、今では家の中で日本語をあまり話さなくなりました。
お互いに自分の母国語で好き勝手に喋っているのですから上達はしません。

難しい単語でもお構いなし

20年以上も一緒にいれば、相手に対する気遣いなどお互いにしなくなります。
まるで空気のように、必要だけれど有り難みなどいちいち感じることもなく、そこにいるのが当たり前のようになってきます。
会話をしていても以前なら「この意味わかる?これはねこういう意味でね」などと丁寧に話してくれたものですが、今ではそんなことは皆無です。
政治や経済など難しい話題になると、夫の口から時として知らない単語が飛び出してきます。こちらが「は?」という表情をしていても、お構いなしでまくし立ててくるのです。そうなるとこちらも面倒になって、話半分で適当に相槌をうつようになり、もはや会話は成立しなくなります。
しかしそれで円満なのは、相手も聞いてもらおうなどと思っていないからです。ただ自分のオピニオンを撒き散らせば目的達成といったところだからです。

慣れによる怠惰

「ほら、あれだよ」
「あれ、前にあったじゃん」
「あそこがさぁ〜」
もう、「あれ」とか「それ」「あそこ」とか、それでもなんでも通じると思っています。
昔はストレートな物言いをしない日本人を「おまえたちはエスパーか?はっきり言わないとわからないではないか!」と、散々ディスりまくっていたにも関わらず、今ではすっかりそれに慣れてしまっています。
言わなくてもわかる。忖度。まったくもって便利なものですが、相手にそれを求めるのは怠惰であることの証でもあるのです。
相手に理解してもらおうと努力するのでなく、相手が自分から理解することを期待するのです。
お互いにそんな感じなので、会話が成り立たないのもわかります。

相手の話を聞かない

人間は歳をとると頑固になるものです。若い頃はお互いに素直で相手の言葉に耳を傾け、たとえ意見が違ったとしても、相手を尊重する努力をしていたものです。
しかしアラフィフともなれば、「我こそが王様なり!」と、お互いに自分が一番偉い!一番正しい!と、相手に譲ることをしなくなります。
相手の話を聞き終わらないうちに、覆いかぶせるように言葉を挟んできては喧嘩になることも珍しくありません。
男性にも更年期障害はあるようなので、お互いにここまで傍若無人になれるのは、ひょっとしてホルモンバランスの乱れ?とも思わないでもありませんが、とにかく酷いもんです(笑)

身勝手なサプジェクトチェンジ

これもまた相手に対するリスペクトが欠如しているから起こることでしょう。
例えば私が「今日は暑かったから、晩御飯は冷やし中華なんでどう?」と話しかけると、「いや、辛いものがいいから、タイカレーは?」と、ここまではいいのです。
「タイカレーならココナッツミルクがないから買いに行かなくちゃね」などと、私は依然として晩御飯について話しているのに、夫の方は突如「ココナッツの木」→「森林」→「森のゴリラ」→「動物保護」など、勝手にサブジェクトを変えて暴走していくのです。
もはや会話ではありません。夫による独白です。
私は晩御飯のタイカレーのお話をしているつもりで、頭の半分では何時になったら買い物に行って〜などと考えながら話しているので、半分くらいしか相手の話を聞いていない状態です。一方夫の方はとうにタイカレーから離れ、勝手に話題を変えているのです。気付いた時にはいきなり動物保護の話になっているのですから、私は訳がわかりません。

こんな時、横で会話を聞いていた子供が通訳に入り、その辺のズレを説明し、「タディーもさ、勝手に話題変えるのやめなよ」
「マミーもさ、ちゃんと人の話を聞きなよ」
そう諭されるのです。
もはや言語の問題ではありません。



理由の全ては長きに渡る結婚生活にある

私の英会話力が衰えているのは否定してしませんが、それでも毎日英語を聞いて生活しているのですから、まったくわからなくなったというわけではありません。
普通なら、他の人が話す英語は分からずとも、夫の話す英語だけはよくわかる。そういう人が多いものですが、私は夫の英語こそがわからない!という事態になっています。
まぁ、言葉など通じなくても、充分快適に生活はできるので、大した問題でもないのですがね。

ムカッ!ときたり、ストレスになるのは、言葉が通じないからではなく、そこに透けて見える相手に対する配慮のなさなのです。
これはお互い様なので外国人夫だけを非難することはしませんが、かつてのジェントルマンがいきなり暴君になるのは容赦できません。

よくぞこんなにも長く一緒にいられるもんだと、己の忍耐強さに拍手喝采を送ってあげたい気持ちです。

東京ミッドタウンでひとりランチ『千里馬 南翔小籠』で小籠包と上海焼きそばを食べる。

普段ランチといえばお友達と行くのがほとんどなので、写真を撮ったりすることもなく、そのせいであまりランチのお店を記事にすることもないのですが、今回はひとりランチだったので、ちょっとご紹介です。




こちら、六本木の東京ミッドタウンの中にあるチャイニーズレストラン『千里馬 南翔小籠』さんです。
私はここの上海焼きそばが好きで、お買い物へ行った時などは、ひとりふらりとランチに立ち寄ります。

小籠包5個と上海焼きそばのセットで税込み1300円。
量も適当でなかなか満足度の高いランチセットです。
小籠包のセットは他に炒飯がつくものもあります。

こちらの小籠包、何度も食べていますが、最近皮が厚くなった?と感じるのですが、気のせいでしょうか?
以前は薄くてよく破れていたのですが、今回はかなりしっかりとした厚みのある皮になった気がします。
蒸籠が以前と変わっているので、そのせい?とも思えなくもありませんが、美味しいのでどっちでもいいわ!といったところです(笑)

上海焼きそばはこれといって特徴があるわけでもないのですが、お野菜もたくさん入っていて細麺、少し油っぽい感じですが、途中で黒酢などを軽くかけて食べると、サッパリとまた違った味わいでクセになります。

スープと杏仁豆腐のデザートもついてきます。


オープンは11時、気ままな専業主婦なのでいつも11時半前に行きますが、昼頃にはいつも満席になっています。広い店ではないので、早目に行った方が待たずに済みそうです。

こちら、おひとり様でも気兼ねなく立ち寄って、サクッとランチが食べられる使い勝手のよい店で、たいへん重宝しております。

www.hw-frankie.com