専業主婦という生き物

美味しいもの、美容、国際結婚、噂話、専業主婦についてなどを思いつくまま綴るブログ。

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専業主婦でいることが不幸だと感じるのは、自己肯定感の低さと承認欲求の強さにある。

専業主婦といえば、もはや世の中の敵か⁉︎ というくらいに厄介者扱いされる存在と成り下がっています。
ただ無給で家事育児を、そしてPTA活動から町内会など地域でのお役目、それに加えてボランティアなどしているだけなのに、なぜにそうも風当たりが強いのか。



「働かざる者食うべからず」

働いてもいないくせに、大きな顔をして人一倍食べているではないか、お前たち⁉︎

などと思われているのでしょうか(笑)

冗談はともかくとして、今の社会はそうした目に見えない圧力が強くあるものです。どうしてこうも人の動向にああだこうだと言う輩が多いのか、他人のことなど放っておいてよ!といったところですが、右へ倣えの日本人は流れに逆らう者を容赦しません。
社会が「女性も働け!」と動けば、人の気持ちもそちらへ流れていきます。
一昔前まではそんな風潮はありませんでした。しかし、今は働いていない主婦は役立たずの寄生虫扱いです。
もうネットなどを見ていると、そこかしこで専業主婦バッシングに出会います。
こうした世間の冷たい視線を受けるせいか、専業主婦であることに引け目を感じたり、不幸だと感じている人が増えているようです。

アラサー専業主婦

現在私の周辺には30代から50代の専業主婦がおりますが、とりわけ不幸感を抱えているのはアラサー世代の若い専業主婦達です。

世の中が冷え切った就職氷河期を経験してきたせいか、まだまだ起死回生できるわ!と諦めの境地に辿りつけない年齢のせいなのか、とにかくどこか生きづらさを感じているように見受けられます。
堅実さや異常なまでの危機管理が加わって、心の中に常にカオスを飼っているような状態です。

アラフィフの能天気さも「それでいいの⁉︎」と思うこともありますが、アラサー専業主婦達を見ていると、もっとリラックスしてもいいのではない?と感じます。

自己肯定感

自己を肯定する感覚、つまりは自分を認めるということ。

私はこれでいいのだ!
まるでバカボンパパみたいですが、そのように自分の存在を、そして言動を認める感覚です。

これは専業主婦にとっては非常に重要な要素です。
誰からも評価されることのない家事育児を生業としている専業主婦にとって、一番の理解者とは自分自身なのです。
たとえ誰からも労われたり評価されたりしなくても、自分自身が「これでいいのだ!」「私のしていること正しいのだ!」そう思えれば、心に影が落ちてくることもありません。

自己肯定感の低い人は、自分を必要以上に卑下し、物事を素直に受け止めることができません。

「私は社会から疎外されている」
「誰も私を必要としてはくれない」

そんな思いが頭の中にあるために、今ある生活が不満だらけ、周りにいる人と自分を比較しては不公平感に苛まれ、どんどんネガティブな方へ心を偏らせていきます。

年代の違いということもあるかもしれませんが、我らアラフィフ世代は比較的自己肯定感の高い人が多いように感じます。
まぁ、開き直れる年齢というのもあるのでしょうが、専業主婦であることを100%といわないまでも、90%くらいは肯定して生きています。そのせいで、働いていないという負い目も、社会から疎外されているという感覚もほとんどありません。

刺激のない生活を物足りなく思う事もあったりはしますが、それは社会や他者との関わりとは関係のない、自分自身の充足感の問題なので、自分を卑下するという行為には至らないのです。

承認欲求

文字通り、「誰かから認められたい」という欲求のことです。

これは専業主婦に限らず、年齢問わず、全ての人間がもっている感情であると言われていますが、問題はその欲求の強さです。
承認欲求が強すぎる人というのは、つねに人の視線を気にして生きています。
なにをするにも「誰かに認められたい」というのが根本にあるため、自分の思うように行動できなくなります。
人に認められたいと行動したところでそうそう上手くいくことばかりではありません。他人の感情をコントロールすることなど出来ませんから、時に自分の努力虚しくも、周りからソッポを向かれるなんてことも往々にしてあるものです。
そんな時「私はこんなに頑張っているのに、どうして認めてくれないの⁉︎」などと身勝手にも不満を抱えることとなります。

特に専業主婦などは、ただでさえ「お前達は人の稼いだお金で暮らしているのだから、家事育児などは完璧にやって然るべきなのだ!」などと思われています。
そんな当たり前とされていることをどんなに懸命にやったところで、認めてもらえることなどないのです。

自己肯定感を持つことと同様、自分で自分を認めてあげられない人は、日々モヤモヤと不満を溜め込むことになります。

家事育児などというものはやったらキリがありません。それこそ毎日栗原はるみさん並みの料理を一日3食作り、断捨離のコンマリ(近藤麻理恵さん)さながら整理整頓されたスッキリなお家をつくり、育児は子供3人東大に合格させた佐藤さん並みにと、家事育児に全身全霊傾けるという主婦もいるのですから。
しかし殆どの専業主婦はそんな風には暮らしていないでしょう。
たまたま雑誌やテレビで観た「丁寧な暮らし」などに憧れたところで、三日坊主がいいところです。
毎日ダラダラと煎餅を齧り寝っ転がって韓流三昧とまでは言いませんが、「大変だ、大変だ」と言いながらも適当に手抜きしながらのんびりやっているものです。

そんな専業主婦が承認欲求を満たそうと思うこと自体、まったく図々しい考えなのです。
専業主婦が満たすべきは、承認欲求よりも自己満足なのです。

今日はいつもより念入りに床拭きしてやったわ!

今日はポークリエットを手作りしちゃったわよ!

ああ、私ったら頑張ったわね!

そんな風に、誰に褒められずとも自分で自分を褒めちぎり、褒美に美味しい大福の一つでも食べて満足すればいいのです。

それが出来ない人は、やはり外で働くべきなのです。
なに振り構わず仕事に没頭し成果を上げれば、専業主婦をしている人よりは世の中から評価されるチャンスも増えるでしょうから。



くだらないプライド

私は常々、承認欲求をもつことほど馬鹿らしいことはないと思っています。
人から認められたとこで一体なにがどうなるのか、さっぱりわかりません。
「すごいわね!」
「あの人は出来る人だわ!」
そんな評価を頂いたところで、自分のお腹は膨れません。ただ、その時ちょっといい気分になるだけ(つまり承認欲求が満たされた状態)で、そのあとは更に大きな評価を求めるようになり、くだらないエンドレスゲームにハマったような気になるからです。

承認欲求とはプライドと密接な関係があるのではないでしょうか。
「こんな高学歴な私が認められないのはおかしい!」
「こんなに日々努力出来る人間がなぜ認められない?」
「現役時代は営業成績トップだった私なのに、専業主婦になったらこの評価?」

そんなすごい人間(と自分では思っている)に対して世間が評価しないのは、なんでなのよ⁉︎ そう思うのは、持っているプライドのせいなのです。

くだらないプライドさえ持っていなければ、「まぁ、こんなもんよね」と受け入れることは簡単です。
自分がどんなにすごいと思っていても、殆どは大したことはないのです。
今自分がどんな立ち位置にいるかを見れば一目瞭然です。
その人が本当にものすごく頭脳明晰、高学歴のすごい人であれば、世の中に貢献するような仕事を成し遂げていることでしょう。日々素晴らしい努力を続けている主婦ならばテレビに出ちゃったり、本の一冊でも出版しちゃったり、注目を浴びていることでしょう。もしくはものすごい玉の輿にのり、この世の春を謳歌しているなど、目に見える結果としてそこにあるはずです。
もしも、今目の前に不満タラタラの生活しかないとしたら、それがその人の実績であり評価なのです。

認められたことにより、給料が跳ね上がるとか、褒美にダイヤモンドでも頂けるのなら、いくらでも承認欲求を満たすべき努力をするでしょうが、ちょっといい気分になる程度の褒美しかないのなら、承認欲求などある方が損をした気分にすらなります。

「自己肯定感」を高め「承認欲求」を捨てる。
専業主婦に限らず、どんな立場の人もそれさえできれば、かなり人生は楽なものになるはずです。

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