お菓子を巡る暮らしの雑記帖

アラフィフ主婦が美味しいお菓子とともに過ごす毎日を思いつくまま綴るブログ。食、家事育児、国際結婚、ブログなど。。。

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新型コロナウィルスに対する温度差。週末の公園に集うのは恐れるべき情報が得られない人達なのかも知れない。

今日の東京は朝からスッキリとよい天気。気温も22°Cまで上がりました。それでも外には出られません。

自粛要請が出て、緊急事態宣言が発令された東京ですから、当然のことながら週末はほとんどの人が家で過ごしていると思いきや、そうでない人が沢山います。

昼過ぎ、ミルクが切れてしまったので、外国人夫に家から一番近いコンビニへ買いに行ってもらいました。

帰宅した夫の一声は、

「日本人、おかしんじゃないの?」

聞けば、近所の公園にはお花見時期さながら、沢山の人で賑わっていたといいます。

大きな公園ではありません。都心の中にある猫の額ほどもない小さな公園です。その中に沢山の家族連れが遊んでいると。。。

「ソーシャルディスタンスどころか、親同士くっついてお喋りしてるし、子供達も遊具の取り合いしてるし、あれじゃマスクも無駄になるな」

そう呆れていました。

少し離れたところに住む同じ区内のお友達のところも同じだそうです。遊歩道や公園は休日になると沢山の人が遊びに来るといいます。

多分、そこに集う人達は現状を把握できていなのかもしれないと友人の一人は言います。

テレビや新聞で伝えられることだけが真実ではありません。意図してかどうかはわかりませんが、ローカルの間で伝わってくる情報のほとんどは報道されません。

私の住むエリアも報道では感染者が多いとされていますが、それ以上の緊迫した情報が日々、友人知人から耳に入ってきます。
どこで感染者が出たか、その影響がどこまで及んでいるか、そこに住む者だからこそ得られる情報です。

そんな情報を聞いてしまうと、外に出ることがどれだけリスキーかわかります。
だからこそ、知っている人は外に出ません。

我が家の近辺はここ10年くらいの間で、急激に若いファミリー層が増えたエリアです。
新しくここで住み始めた子育て世代の人には、ローカルな情報が伝わっていないと考えられます。そのせいで危機感が希薄になっているではと。

地元に昔からある商店や飲食店、そこで働く人達、そこに集っていた人達、近所のマンションの管理人さん達、そしてママ友など、長く暮らしていれば自然と色々なお付き合いができてきます。そして何かあれば、情報交換するのが当たり前になっています。

よく東京の人間は冷たいと言われますが、私はそう思いません。
子供達がまだほんの幼い頃に今の土地で暮らし始めた私達家族ですが、地元の方々には本当に親切にしていただきました。
20年近く経ったいまでも、気軽に声をかけて心配してしてくださる方が沢山います。

今回のコロナでも知り得ることを伝えてくれ、「本当に気をつけてね」と言ってくれるのはローカルの人達です。

都会は人間関係が希薄だといいますが、それは完全にその土地の人間になっていない人から出てくる言葉です。

無理に近所付き合いなどする必要はないと思っています。それが苦痛だという人もいるでしょうから。

でも、こんな時はお付き合いしてきてよかったと思います。

海外で暮らしていた時もそうでした。私一人、また夫と二人の時は周りの人とのお付き合いなど必要とは感じませんでしたが、子供を持つとガラリと事情は変わりました。

日本にいても完全なワンオペ育児は大変なものでしょうが、海外ではさらに大変なものです。
学校の問題、子供が病気になった時、忙しい外国人夫に代わって、さまざまな場面で助けてくれたのはローカルの人々でした。

地元の人間ではないからこそ、そこに長く暮らす人とお付き合いをするということが、いかに安心であるか、助けになるかを知りました。


今回の新型コロナも同様です。色々な情報を教えてもらえるからこそ自衛する気持ちも強くなります。
これまで頻繁に集ってはランチを楽しんでいたお友達も、今はみんな家にこもっています。

みんな口々に「この辺りはどこへ行っても危ないわよね。もはや家の中しか安心できないわ」そう言います。

その一方で、同じエリアで暮らしていながら、お休みごとに公園へ繰り出しては遊んでいる家族を見ると、ものすごい温度差を感じます。

これだけ自粛が叫ばれているのに、何故外へ出るの?と。

危険が自分の身に迫っていると実感できれば、少しは違うのでしょうが、そこにいる人にそれを知る術はないのでしょう。

ただ、「自粛をお願いします」では不十分なのです。
コロナ感染者がつい昨日、いま自分のいる場所にいて、自分の触っているものに触れていた。そんな風に想像できる材料がないのですから。

「自分が感染源となり、それによって他人の命を奪うこともある」

だから自粛せよと言うのも不十分です。

人のために努力できる人がどれだけいるのでしょうか。
昔であれば「人に迷惑がかかります」で耳を貸してもらえたかもしれませんが、今はもうそんな時代ではない気がします。

人に感染させる可能性を説くよりも、自分が感染したらどれだけ苦しい思いをするか、命を落とす可能性もあること、さらには子供への影響など、そのリスクは自分の行いによってどれだけ膨らむか、言葉は悪いですが、恐怖を煽るほかないのではとすら思います。

このままでは、感染を食い止めることは出来ないでしょう。
感染爆発をギリギリのところで抑えられたとしても、ダラダラと続いたら大変なことになります。

特に経済に与える影響は深刻です。今は安泰と思っても、3ヶ月後にどんな状況になっているか。。。具体的に想像はできなくても、今よりもはるかに悪くなっていることは疑いようがありません。

私は無駄な我慢はしたくありませんが、これは自分のためにも必要な我慢であると思っています。

外に出なくていい人間は家にいる。
簡単なことです。


我が家の外国人夫のように、仕事へ出かけなければいけない人も多くいます。そんな人達はせめて休日だけでもと、不要不急の外出を控えればいい。

運動したい時は人の少ない早朝や夜間に、誰もいない場所を選べばいい。

要は、外に出る出ないではなく、人と集わない、接触しないこと。それだけなのです。
そして、一番効果的なのが外出の自粛ということです。

ローカルな遊び場に人々が集うというのは、このエリアに限ったことではないようです。銀座や新宿、渋谷といった繁華街から人がいなくなったと同時に、地元の商店に人が集まっています。
相変わらずスーパーには多くの人が行列しています。

アメリカやヨーロッパにいる親類と話すたび、日本は本当にこれで大丈夫なのだろうか、この先どうなってしまうのだろうかと不安になります。


家にいると息が詰まる。夫婦喧嘩も増えてコロナ離婚になりかねない。


子供達を家に閉じ込めておくのは大変。


ストレスでおかしくなりそう。


いろんな声をSNSなどで目にしますが、実際に何ヶ月もそんな生活を送っている人達が世界には沢山います。

日本人は同調圧力には弱いけれど、我慢強い国民性であると思っていました。
こんな時だからこそと、たとえ強制力がなくてもきちんと自粛するものだと疑いもしませんでした。

しかし、実際は違いました。

いま、お外に出て遊んでいるファミリーは、日本がいまのイタリアのようになって初めて気づくのかもしれません。

It's too late ...